私の愛してやまないロックバンドの名曲(迷曲?笑)のひとつに【雪虫】という曲があります。
大好きだった人との悲しいお別れが、とっても晴れた日だったよ、みたいな詞が出てくる歌です。

昨日は私の父方の姉である叔母さんのお葬式でした。
もう何年も癌を患ってていろんな所に転移して、この秋に医者から「すでに末期、年は越せないだろう」と告知されて、それからあっという間でした。

私は叔母さんとは疎遠だったので大きな悲しみはありませんでしたが、叔母さんの娘さんは、それはもう痛々しいくらいに泣き崩れて憔悴していました。

ヴェーダの知識では、私達が装っているこの肉体はこの世界で生きていくための単なる道具だと言います。
本当の【私】は身体でも考えでもなく、魂なのだと。
魂は肉体を使い終わるとそれを脱ぎ捨てて身軽になって、ちょっと休んでまた新しい肉体を纏ってこの世界に再び還ってくる、と。

最期のお別れの時、きっと叔母さんが愛用していたであろうタオルケットや好物であっただろうチョコレート達を、たくさんのお花と一緒に棺に入れてあげていた娘さん。
それらの愛すべきものや美しいものはもう、これから叔母さんの行く世界には持って行けないのになと思いながらも、悲しみで潰されている娘さんの姿を見て胸がギューっと痛みました。

棺の中の叔母さんはもう叔母さんの脱け殻で、きっとすでに彼女は身軽で、癌の痛みからも副作用の煩わしさからも全然関係ない場所にいるっていうのに。
私達はこの世界しか目に見えないから、棺の中で白い顔をして横たわっている叔母さんの脱け殻こそが叔母さんであると認識するしかなくて。

ヴェーダンタは【魂は滅ばないよ、存在は永遠だよ】って言うけれど。
そうかもしれないけれど、私達の身体と考えはこの世界でしか生きていく術がない。
この世界で、この肉体と考えを使って生きているなら認識出来るのは【私個人】。
【私個人】以外は【私】じゃない。

そうとしか感じられなかったとしても。
そうだとしても。
それでも。
それでも、です。

叔母さんはもう元気。
もう[叔母さん]という個体は脱いじゃったけど。
でも、もう元気。
ずっと元気。
また、1から始まる。

そういう風に考えたい。
ヴェーダンタの知識にすがりたい。

別れは悲しい。
でも終わりじゃない。
またみんな、同じ所に還ります。
だからまた会いましょう。 
姿形は違ってるけどね。

だから今は、安心してこの世界で喜びや悲しみや怒りや愛の経験を楽しもう。



▪▪▪と、もし自分の身内が同じ立場になった時、同じように思えるだろうか。
まだ、私には自信がない。。。


OM



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