直木三十五について書いたのであれば、山本周五郎についても書いてみたい。

直木賞を辞退した唯一の作家であるからだ。

周五郎が直木賞を断ったのは、主催側である菊池寛との不仲説が挙げられる。

また選出された作品や選者の評に不満があったともされる。

果たして、そうなのだろうか。

 

周五郎が業界の集まりに行ったときのことである。

その中に売れない作家が交じっていた。

その作家に向かって、別の作家が

「何日も食っていないような顔だな」

と冷やかした。

それを聞いた周五郎は激怒し、皮肉を口にした作家に絶好を宣して席を蹴ったそうである。

後日、周五郎は、

「彼は本当に何日も食っていなかったんだ。俺はそんなことを平気でからかうやつの無神経さに我慢がならなかった」

と語ったという。

周五郎は、尾崎士郎から「曲軒」というあだ名をつけられたほど天邪鬼であったが、斜に構えていたわけではなく、熱い男であった。

 

政治というのものには権力が付きものだし、権力というやつは必ず不義と圧制をともなう。それはその席に就く人物の如何にかかわらないし、決して例外はない。(山彦乙女)

 

周五郎は、小説の中で上記のように書いている。賞の中に、政治的なもの、権力的なものを感じ取ったのかもしれない。

 

人間の一生というものは、脇から見ると平板で徒労の積みかさねのようにみえるが、内部をつぶさにさぐると、それぞれがみな、身も心もすりへらすようなおもいで自分とたたかい世間とたたかっているものである。その業績によって高い世評を得る者もいるし、名も知られずに消えていく者もある。しかし大切なことは、その人間がしんじつ自分の一生を行きぬいたかどうか、という点にかかっているのである。(作品の跡を訪ねて)

 

周五郎が辞退したのは、直木賞だけでなく、毎日出版文化賞も断っている。

やはり元来の反骨精神がそうさせたのであろう。

木村久邇典氏は、

 

山本さんの屈折する発言は富裕学歴に対する劣等意識から出た潤色であり、その都度に山本さんは、今にみろ、という激しい闘志を内にかきたてたものと推察されます。(人は負けながら勝つのがいい)

 

と指摘している。

 

理由はどうあれ、自分を貫いた姿勢は立派である。

死後、山本周五郎賞が設けられたことにたいして、周五郎は墓の下でどう思っているのであろう。

 

その周五郎が人生の箴言としたのは、スウェーデンの劇作家・ストリンドベリイの

 

苦しみつつ、なお働け 安住を求めるな この世は巡礼である

 

という厳しい言葉である。

 

最後に、周五郎の本名は、清水三十六。

直木三十五は、直木三十三、三十五と筆名を変えたところで数字を増やすのをやめ、直木三十六は名乗らなかった。

偶然だが、面白い。

 

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