クリスチャン・ツィメルマンのショパンを聴く
今日、6月10日(木)にサントリーホールでおこなわれたクリスチャン・ツィメルマンのピアノコンサートに出かけた。今年はショパンの生誕200周年にあたり、それを記念したオール・ショパンプログラムである。曲目はノクターン第5番、ピアノソナタ第2番「葬送」、スケルツォ第2番、バラード第4番、ピアノソナタ第3番に加えてアンコールにこれまた有名なワルツ第7番という内容だった。
実は私はショパンが苦手である。ピアノを弾くくせに、今まで一度もショパンの曲を練習したことはなく、レコードやCDを集めて聴いたことがない唯一の有名な作曲家がショパンである。クラシックピアノに小さい頃から取り組んでうまくなれば、早ければ小学高学年あるいは中学生くらいに必ず誰もが挑戦したくなるのがショパンの「幻想即興曲」である。それくらい、クラシックピアノの世界では一般化というか定番化している。
苦手というのは少し語弊があるが、「聴いていても惹かれる部分が少ない」というのが正直なところである。「心を揺すぶられる」「訴えかけられる」という要素が少ないのだ。これは非常に個人的な印象を述べているので、ショパンの愛好家の人たちは無視して欲しい。とにかく「流れるような音楽」があまりにも自然な感じで「挑戦的」「挑発的」「戦略的」なところがカケラも感じられないのである。
それが大昔、ショパンコンクールで優勝した大ピアニストのツィメルマンが演奏会をするというので出かけたのだ。私の妻は昔から彼のファンであるため、今回こそ私のショパン病の治療になるか、という期待もあった。
客席は約8割程度の入り。2階席は空席が目立った。ツィメルマンほどのピアニストでも満員御礼とはいかないようだ。客席を観察していていると3つのタイプの聴衆がいるのが感じられた。ひとつは私の妻のようなツィメルマンの熱心なファン、もうひとつはショパンの熱心なファン、そして三つ目はピアノを熱心にやっている(やっていた)人たちである。華麗なる指さばき、自由自在のペダリング、ハッとする弱音ペダルの美しさ、などどれをとってもすばらしかった。そして、華々しいエンディングの曲において弾き終わる時に後ろにのけぞるようにずっこける彼独特のしぐさも可笑しい。
しかしながら、結局のところ、従来からのショパンの枠をぶち破るほどのものは得られなかった。どうもショパンとは波長が合わないらしい。
太田忠の縦横無尽 2010.6.10
「クリスチャン・ツィメルマンのショパンを聴く」