技術革新によるコンパクト化は文化には相容れず
先月のことになるのだが、さる東証一部上場企業のCFOの方とランチをする機会があった。CFOとは会社の財務責任者を指す。都銀出身の方なのだが、IRの責任者としても大きな役割を担いつつその企業のIRの取り組みに関して意識改革の先導役を果たしている人だった。
初めてお会いするのだが、なぜか弊社のHPや私のブログをよく読んでおられるようで、いきなり話が私が年末に書いたブログであるマーラーの交響曲第9番
となった。
「今日、太田さんにプレゼントを持ってきましたよ」ということで手渡された小さな包みを受け取りながら、「これは、私の大好きなバーンスタイン指揮のマーラー第9番です。実はこれまでは2枚組のCDしかなかったのですが、ようやく最近になって2枚組を1枚にまとめたものが出ました。よろしかったらぜひ聴いて下さい。すばらしいですよ」
私がブログに書いた話は、我が家では毎年12月31日にベートーベンの第9番を聴くのではなく、マーラーの第9番を聴くというものだ。しかもその版はショルティ指揮シカゴ交響楽団の1982年のものであり、その習慣を20年以上続けている話だった。もちろんバーンスタインの1979年版のベルリンフィルも名演奏であり、クラシックファンの間ではきわめて評価が高いというのは知っていた。我が家にもどこかにあるはずだ(もちろんCDではなく、LPレコードである)。
「これはすごいことですよ。なぜならば、これまで2楽章から3楽章にいくためにはCDを交換するという興ざめする手間が要りましたが、これで最初から最後まで何もせずに音楽を堪能できるのです」とCFO氏。
なるほど、その気持ちはよくわかる。2枚組のCDならば1回CDを交換するだけで済むが、昔ような2枚組のLPだとA面からB面にひっくり返すというさらに2倍の手間がかかる。それが最初に再生ボタンを押せば最後まで何もしなくてよいのなら聴き手の精神的余裕も異なってくるというものだ。
ということを考えながら、私は突然、25年近く前の忘れもしない失望した感覚を思い出したのだった。それは、CDの登場でレコード店から一斉にLPが消え、1年も経たないうちに完全なCD売り場へと様変わりした光景だった。当時私は大学3年生くらいだったが、アルバイトの収入の大半を書籍とレコードに費やすという生活をしていた。しかし、レコード店がCD売り場と化してからはそれまでのレコード熱が一気に冷めて、ほとんど買わなくなったのだ。
LPの大きなジャケットはレコードメーカーが販売を伸ばすために必死に知恵を絞って実に個性的な競争がなされていた。繊細なもの、斬新なもの、優雅なもの、シャープなもの、まさにLPのデザインにはそれぞれが尖がった個性にあふれていた。そういうジャケットの魅力に惹かれて「ついで買い」のような形で聴いたことのない作曲家、指揮者、楽団といった新たな発見を随分したものだった。しかしながら、CDになったとたんに、競うためのジャケットサイズが小さくなりすぎて没個性的となってしまい、今までの魅力が一気に消え失せてしまったのである。しかも、アナログの音に比べて、いかにも「つるん」とした平面的な音が気になって仕方がなかった。技術革新が「小さく、薄く、軽く」をどんどん目指して進むのは仕方のないことだが、文化が同じベクトルに進むと、それまでの魅力を急速に喪失してしまうのだな、と思ったのがこの頃である。
バーンスタインの1979年の名録音を久しぶりに聴きながら、文化がコンパクトすることは非常に便利な反面、本来持っている魅力の喪失につながるというのを昔のことを振り返りながら思い出した次第である。
太田忠の縦横無尽 2010.2.7
「技術革新によるコンパクト化は文化には相容れず」