7月4日に生まれて
トム・クルーズではなく、何を隠そう私のことである。
そう、今日7月4日は私の誕生日。映画のタイトルにもなっているが、今日はアメリカの独立記念日である。米国人に生まれていれば、非常に特別な日のはずだが、日本人である私にはあまり関係がない。毎年のごとくこの日は梅雨のちょうど半ばにあたり、カラッと晴れた日などついぞお目にかかったことはない。だが、今年は珍しく晴れた1日だった。
私が生まれたのは1964年である。実はこの年は日本にとってエポックメイキングな年であり、東京オリンピック開催、東海道新幹線開通、東京モノレール開業と日本がまさに高度成長期の真っ只中にあり、まだ貧しくともひたむきな姿勢で生きていた日本人が最も輝いていた時代である。ついでだが、東京の国立西洋美術館で「ミロのビーナス特別公開展」が開かれ6時間もの行列をして(!)人々が熱心に見学していたのも1964年である。
あれから45年が経過し、今の私がいる。小学生の頃には想像もしていなかった年齢に達してしまった。「みんなは2000年には何をしているのかな?」と当時小学3年生のときの担任の先生が授業中に言ったのを昨日のことのように覚えている。「2000年か。想像もできない未来だな。自分は36歳。何をしているのだろう」と子供心に自問自答したその2000年はあっと言う間にやってきてしまい、あれからすでに10年近く時間が経過しているなんて信じられないくらいだ。
45歳はどう考えても人生の折り返し地点を過ぎていると思う。だが、今のところ体力が落ちたとか、気力が落ちたとかいう身体上の不自由は感じておらず、ちょうど心と体のバランスが取れてきた感じである。バランスが取れていなかった若い頃の不快感というものがまったくない。
今の精神状態は大学生の頃と全く変わっていない。いや、高校生、中学生、いや小学生の頃の心のあり方からもあまり変化していないように思う。そうすると、70歳や80歳になっても心のあり方はあまり変わっていないのだろう。
子供の頃は50歳くらいの人たちを見ると、自分とあまりにもかけ離れた大人という感じであったが、彼らだって若い頃の心根はそのままだったんだな、ということがよく分かるようになった。そうすると、70歳、80歳になってもちっとも怖くない、という感じである。もちろん老いから誰しも逃れることができないが、健康にうまく年齢を重ねていけば本当に死ぬ直前の動けないとき以外は、普通に生活していくのだと思う。2年前に亡くなった我が家のドナちゃん(14歳10ヶ月のジャーマン・シェパード犬。人間でいうと85歳くらいの年齢にあたる)が当日の朝まで元気で暮らしていたように。
ちなみに冒頭で触れたトム・クルーズの誕生日は7月3日であり、米国においては私のほうが皆から賞賛されるべき(!)立場のはずであり、彼は「なぜ7月4日に生まれてこなかったのか」と人生で何度も悔やんだに違いない、と勝手に私は想像している。
太田忠の縦横無尽 2009.7.4
「7月4日に生まれて」