被災地を訪れて。 | .

被災地を訪れて。

今回の仙台旅。
いよいよ、明日で最後です。
とても内容の濃い充実した時間になりました。

とても素敵なクリスマスを過ごす事ができた事、
この地でとても素敵な人たちと出会えた事、
大切な人との時間、そして被災地訪問。

今日、お昼に仙台と言えばやっぱりこれ!という「牛タン」を食べました!
実は数年前に親友と仙台・山形の旅をした時にも牛タンは食べたんだけど
この時食べた牛タンがまぁ~~美味しくなかった…。
今回はその思い出を吹っ飛ばすとても美味しい牛タンをいただけました!
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マジで美味かったです。牛タンのイメージ変わりました。

牛タンをいただいた後に被災地へ。
僕が今回行ったところは仙台市城野区蒲生というところ。
ちょっと地理関係はわからないけど仙台港があるところのようです。

車でそこに近づくにつれて津波が残した爪痕を目にするようになります。
まず目に入ったのはぺしゃんこにつぶれた車の数々。
簡単に車がつぶれてしまうくらいの力だったそうです。
そこにあった車にはもちろん人も乗っていたわけですが
乗っていた方たちがその後どうなったのか…もちろん僕にはわかりませんが
その光景を目にした時点から言葉が出なくなり始めました。

その次に目にしたのはグシャっと折れ曲がったガードレール。
そして誰も居ない津波の傷跡が残る民家の数々。
この時点から涙があふれてきました。

正直、きっと冷静に見てしまって涙とか出ないんだろうと思っていたけど
感情よりも先に涙が溢れて出ている僕がいました。

車の中からだったけど、民家を見るとある程度片付けられた家もあれば
家具が横転し、その時のままの家もありました。

更に先に進むと小学校が。
でも、そこにはもう子供たちが笑顔ではしゃぎ回る小学校の姿はありません。
1階部分は何も残されていない状態。
津波が直であたったおそらく体育館と思われる部分の損傷は
それはもう想像を遥かに越えたものでした。

その小学校を更に進むとたくさんの家が並んでいたはずの場所へ。
そこにあったのは民家の土台部分だけでした。
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この光景は本当にもう言葉を失います。

土台部分に近づくと土の中に割れた茶碗が埋まっていました。
きっとここに居た方が使っていたんだと思いますが…
本当に言葉にするのは難しいですがそれはあまりに生々しく
一度に色んな感情が僕の中に入ってきて正直処理しきれず
ただただ涙が出るだけでした。

今日僕が行った時も海からの風が強く
ヒートテックを来て上着をちゃんと来て温かい格好をしてたのに
その寒さは体の芯まで届くものでした。

震災があった3月11日。
その日は雪が降ったそうです。
きっととても寒かったはず…。
僕はそこでの寒さを体感しつつ、あの日雪降る中
津波に流されてしまった方々の事を思いました。
きっと海水で体は冷え、その寒さは僕が体感したもの以上の
想像を絶するものだったはずです。
それを考えるとまた言葉を失ってしまいました…。

本当はもっとちゃんと写真も撮っておきたかったのですが
数枚撮るのが限界でした。
写真を撮るとか、もうそういう次元では無かったんです。
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この写真は最後に撮った1枚です。
もともとここには教会があったようで、震災後にこの十字架を建てたそうです。

被災地を訪れた後、車で仙台駅まで送っていただいたのですが
車中、言葉が本当に出てきませんでした。
ついさっきまで牛タン食べてはしゃいでた自分の姿も忘れ、
ただただ心と頭の中を埋め尽くす色んな感情を整理していました。

遠く東京でテレビやネットを通して被災地の事は見ていましたが
実際に見たその光景はやはりまるで違うものでした。

色んな場所で復興が進み、ある場所では震災前と同じように
街には灯りが有り、車が走り、人が行き交う光景があると思いますが
あの場所はがれき撤去など整理はされていますがそのままの姿です。
復興…きっとそれは本当に長い時間を必要とする事なんだと実感しました。
被災地の方の心の傷が癒えるには更なる時間が必要となるでしょう。

僕は被災地をこの目で見て、自分に出来る事、自分にしか出来ない事は何か?
それを知りたいと思っていましたが
実際にこの目で見て正直それは更にわからなくなりました。
でも、あの被災地の実態…
そして、現地の方に聞いた震災の時の話はたしかに僕の頭と心に刻まれました。
東京に戻り、改めて気持ちを整理し考えたいと思います。

2011年、最後に本当に貴重な体験をしました。
今、このタイミングで被災地を訪れる事が出来た事の意味。
その意味を噛み締めて新たな年をスタート出来たらと思います。

まとまりの無い、読みづらい文章だと思います。すみません。
でも、今のこの気持ちの状態で書き記しておきたかったので
乱文になってしまいましたが書きました。