BLOG -10ページ目

深夜のコンビニ



深夜なんかにコンビニに行くと

なんとも生気のないアルバイト店員が番をしています。


深夜のアルバイト店員と客

立場という分厚いアクリル板のような隔たりが
両者を完全に隔離してしまっているようで
なんとも寂しくなったりならなかったり。。


今日も頑張ってるねえ!

いやあ、眠いっすよ~


なんてやり取りはなかなかありません
ここ日本では特に。

必要な動作を問題なくこなすだけが目的
これでいいんですここでは。
そこに自分らしさはいりません
面倒臭い。


レジで向かい合う数十秒の間
別にたいした事でもないのですが
時々ふとアルバイト店員のネームプレートを見るのです。
名前と小さな顔写真

そう、この顔写真
そこに写っているのは
彼らの数ヶ月~数年前の姿だったりします。

おいおい○○、ずいぶんやつれてしまっているじゃないか
可哀相に、、

短髪で黒髪!
別人じゃないか○○、初々しい!

お前こんなに爽やかな笑顔できるのか○○!


彼らのほんの少しの情報が
ほんの少しの親近感を生んだり生まなかったり。。



村越匡将のアートギャラリーHPはこちら

ホームページに販売コーナー追加


私のホームページのギャラリーページに販売コーナーを追加しました。

ホームページ自体構想中でまだまだ実験段階ですが
随時色々と追加していく予定なので時々覗いてみて下さいね。

また、ご意見ご感想などありましたら遠慮なくお寄せ下さい。

よろしくお願いします。


村越匡将のアートギャラリーHPはこちら



血を食らう者

photo:01




夏は好きなほうなのですが

蚊がいるから嫌なのです。

私はとにかく痒いのが大嫌いなので
これがないともうパニックに近い事になってしまいます。

奴らは何故痒くするのでしょう
痒くしないのであれば血なんか今の3倍はくれてやります。

どうして自らの命の危険を冒してまでこのような手段を選んだのでしょうか。

鈍足な者は叩かれて滅ぶ
より俊敏な者が生き残るために
あえて茨の道を選んだのでしょうか。

私が年々奴らを仕留められなくなっていく気がするのは
衰えのせいではなく、奴らの進化スピードの速さのせいなのか。

もしそうであるならば
血を食らう者としてまさにふさわしき生き様、アグレッシブさ。

いやいやそんなのに付き合うのはゴメンです。


村越匡将のアートギャラリーHPはこちら



ドクダミの花





現在に至るまで見事な崖っぷち人生を歩み続けている私なのですが
この類まれなるバランス感覚を何処で身につけたのかと言えば
やはり少年時代なのでしょうか。


密集した家と家とを隔てるブロック塀
私は少年時代その上を歩くのが大好きでした。

10cmあまりの道幅
植え込みの枝やせり出した屋根をかわし
時には1mほどはあろうかという塀と塀との間を飛び移り
本来の通行人である猫達には道を譲らせ
数々の障害物を乗り越えてはひとつ隣の路地へとショートカットするのです。

ありあまる時間の中で生きていた私達子供には
ショートカットする意味などまるでないのですから
どちらかと言えばスリルのあるちょっとした探検コースです。

そんなスリルと緊張をさらに高めるように漂っていたのが
そうこの香り、ドクダミです。

家の裏のブロック塀との狭い隙間
あのジメッとした日陰には決まってドクダミの花が咲いていたでしょう。



匂いと記憶というのは脳の中でかなり強く結びついているようで
ある匂いを嗅ぐと

なんだっけ?この懐かしい感じ。。

運よく思い出せた時にはセピア色の超々短編映画の上映が開始されます
断片的ですがなかなかの感動作です。

そして20年以上の時が流れ、、
という展開になる前に退場しておきましょう笑。


ジメッとした日陰に生えていたり、あの独特な香り
なによりこのネーミング。
なかなか日の目を見ないドクダミの花ですが、
私は結構好きなんです、見た目もカワイイじゃないですか。

薬草でもありますし、蚊に刺された時なんかこれを揉んで塗っておけば
あっという間に治ってしまうんです。


まあただの思い出話になってしまいましたが
ふと家の窓から裏庭を見た時に
飼っていた猫2匹のお墓とドクダミの花が咲いているのを
見つけたものですから。


村越匡将のアートギャラリーHPはこちら



遠い空の上から




ただそこにいるかんじ



遠い空の上から見下ろすと
ポツンとひとりこちらを見上げている自分がいる


何年に一度か
そんな想像をすることがあります。


これを最初にやったのは私が中学生の時。

あらゆる初めてを経験するだけで精一杯、
考える暇なんかなかったそれまでの人生に
初めてのセンチメンタルが訪れたのも
その頃だったのでしょうか。


遠い遠い空の上から見下ろすと
ポツンとひとりこちらを見上げている自分がいる


その時思いました。
次に空を見上げた時自分はどうしているだろう

大人になっているだろうか
元気で立派にやっているだろうか



まあこんな事は思春期の中学生が考えそうな事で、
すぐに忘れてしまうようなメルヘンな思想なのですが。
それから10年ほどしたある日に
ふとこの日の事を思い出したのです。

その瞬間、中学生から20代半ばの10年を
いきなり飛び越えてきたような錯覚に陥り、はっとしました。


元気だけど立派にはやっていない


それだけ心の中で呟くと
また元の生活に戻っていったのです。

それから何年かに一度これを思い出しては心の中で呟いてまた忘れるのでした。



なんとだらしのないお話でしょうか。
ライトノベル作家を目指す中学生でも、もう少しドラマチックに展開させてくれるでしょう、
笑われてしまいます。


34歳にもなった本日
また同じ言葉を呟くことになるのですが、
今日は少し長めに遠い空を見上げてみようではありませんか。

こちらはすぐに忘れて目をそらしてしまうけれど、
遠い空の上の自分はもしかすると
ずーっとこちらを見つめているのかもしれません、怖い怖い。

そろそろいくらか立派にならないと
このまま普通に遠い空の上に逝ってしまいます。

いやいや、これからドラマチックな展開にしてやろうじゃないですか。
とりあえずこのブログにはそれが記されるはず、
そのために始めたんですから。


(あ、今も昔も実際に空を見上げてるわけではありません。)




村越匡将のアートギャラリーHPはこちら