夛田慎二のブログ

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山形県中山町のこと、議会のことを書いていきます。
中山町議会議員 1期目

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 よろしくお願いいたします。

 今年こそブログをと思っていたのですが、結局書いていませんでした(汗
どうしても、X、Facebook、Instagramが中心となってしまいおろそかになってしまいました。
 議会広報常任委員会で議会だよりも書いているので、議会のことは議会だよりに書いていることもあり、どういった運用がいいのか再考していたのですが…
 議員のなり手不足の話をすると、そもそも議員が何をやっているのか、何ができるのかわからないというご意見もよくいただくので議会以外に何をしているのかを書いてみるのもいいかなと思っています。
 プライベートなことはSNSにたくさん書いているので線引きをどうするか悩みどころですが…

 そして、1年ぶりの日記のタイトルですが、今年の漢字です。

 1年を振り返るブログを書くのに、先日、『みんなの居場所 岡縁里』で今年の漢字を書いたのでそれがいいなと思っていたのですが、なんと1年前も同じことを考えていたようで...

 

 今年は、とにかく移動してた距離がすごく多かったイメージです。なかなか観光というより視察的な視点になってしまいますが…

 

 1月は28,29日の日程で議会広報常任委員会の視察研修で岩手県雫石町と宮城県加美町へ行きました。いろいろを中山町議会だよりに取り入れるべき内容があったのですが、まずは議員の動きがわかるダイアリーを毎号掲載しています(約3か月ごと)

 

 2月は1日、2日の日程で全国災害ボランティア議員連盟の研修で福島第一原子力発電所へ

 カウンターを付けながら建屋が目視できるくらいの距離でいろいろをご説明を頂きました。

 まだまだ事故処理には長い時間がかかってしまいそうな現実と、帰還できると言われても帰還できるような生活環境が整っていない現実もあり、復興の難しさを改めて感じました。

 そして、施設では事故の謝罪から説明が始まり、事故当時は小学生だったのでは?と思われる方から説明を受けていることに時間の長さも感じました。 

 

 4月には、元日に大きな地震が発生してしまった能登地方へ初めて伺いました。

 私が震災のボランティアで初めて現地で活動した際に受け入れをしていただいた「はまセン」のセンター長で災ボラ議連副会長もされている岐阜県議の川上議員が自衛隊のお風呂から引き継ぐ、お風呂を設営されるということでお手伝いに。

 給水から排水の方法まで構造を教えていただきながら作業。

 隣では自衛隊がお風呂の撤収をしており、翌日には別の部隊がお風呂を展開。 

 自衛隊の展開、撤収の早さにも驚きました。

 最終日は、てとめっとの山中さんのところにお伺いし、仮設住宅の引き渡しの現場へ行かせていただきました。数日前に手すりにバリがあったらしく、手すりを頼りに歩いていた方が刺さって怪我をされたということでなでながらチェックしたりと、完成したからすぐ入居ではなくチェックも大切ですと。

 短期間で作っていることもあるとは思いますが、壁紙が破れているところがあったりと期間限定とはいえ、新居としてはもう少し丁寧に作業していただけたらと思うところも多く…。
 そして、コースレッドをたくさん拾いましたけど、これは誰が拾うものなんだろう…。

 

 あ、書いてたら年が明けました… 

あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします。

 

 5月には複業のデントリペアで大規模な雹害が発生してしまった滋賀県に…遠かった…
 5日間滞在したのですが、被害がひどくなかなか直せず…
他にも、兵庫県、東京都内でも大規模な雹害が発生しており、日本全国どこで発生してもおかしくない環境になってしまっているようです。しかも、大きさも年々大きく、被害も大きくなっているような感じがします。

 

 6月は、災ボラ議連の総会で東京に。

 せっかくならとさくらんぼの注文を伺ったら想像以上の反響があり、さらに時期が早かったことと不作が重なり、ふるさと納税の予約注文を受けるのも難しいと聞いていたのを実体験(汗

 

 また地域創生EXPOで東京からの日本青年会議所自動車部会のStudy例会で大阪へ

 地域創生EXPOは大規模な展示なので2日間くらい見たかったのですが時間が取れず、防災関連ブースを中心に見て回り、AIコーナーも少しだけ。 

 気になるところは名刺をもらって色々調べてはみるものの、実際に町に導入するにはいろいろとハードルもあるなぁと…難しい。

  

 

 大阪では、日本でも始まったライドシェアについて自動車関連事業者の視点から説明いただき勉強してきました。

t問題にも対応できる制度であり、公共交通機関と併せて今後どういう活用方法があるのか考えていきたいと思う内容でした。

 

 7月は日本青年会議所サマーコンファレンスで横浜へ。と言っても本会は卒業しており、自動車部会の担当委員長として業種別部会のブースで自動車部会のPRをしていて他のは見れず…
ふと、夜にクラフトコーラを飲めるところを探していたらクラフトコーラバーなるものを見つけて行ってきました。いろいろクラフトコーラをなかなか飲める機会が山形ではないのでと思っていたのですが、東京でも専門店となるとなかなか厳しいというお話でした。

 また、県内各地で大雨被害が発生してしまったので、青年会議所山形ブロック協議会、災ボラ議連、DRT栃木の桑原さんと連携しながら週末をメインに活動しました。

 

 8月は宮城県の地域テック×こどもテックに行きました。

 こちらはもともと行く予定だったのですが、議会でも行くことになったので初日にじっくり聞きたいブースを回り、議会で行ったときにはセミナーを中心に学んできました。

 こどもテックは初めてだったので、いろいろなアプリを教えていだたきちょっとずつ触ってみています。

 

 9月には治山治水特別委員会の視察研修で宮城県か山元町と丸森町へ 

 山元町は、震災のボランティアで長くかかわっていたのですが、初めて中浜小学校の中を見学させていただきました。

 

丸森町も水害の際に何度か伺っていたのですが、改めて被害の大きさ、その後の普及・復興の道のりを教えていただきました。

 災害対策工事に規模感がすごかった…

 

 10月は議会の大型研修で鳥取・島根県に2泊3日で行きました。

 地元の特産品を活用した赤ちゃんへのギフトの取り組みや、英語教育への取り組み、地域商社による地域活性化への取り組みなどを学んできました。

 新たなものを生み出す活性化と地域資源を生かした活性化のバランスについて改めて考えるきっかけにもなりました。

 

 12月は11、12日と自動車部会の卒業式で愛知県へ

 初めて山形空港から初めて名古屋へ行ったのですが、想像以上の近さにびっくりしました。

 例会前にはトヨタ産業技術記念館へ、翌日には名古屋城へ行ってきました。

 どちらも初めてだったので、ガイドツアーをお願いしたのですが平日だったこともあり参加者は私だけということでいろいろと詳しく教えて頂けました。

 

 事前に調べたときは所要時間2時間程度と書いてあったもののどちらも3時間見ても足りない…

 交通費も東京よりかからないので時間が取れたらもう一度観に行きたいです。

 14、15日は複業のデントリペアの技術コンテストを見るために大阪へ

 コロナで中断していたこともあり、5年ぶりの開催!

 しかも、前回チャンピオンはウクライナの職人ということで来日できるのか心配してましたが、無事来日され出場されていました。決勝ラウンドには残らなかったもののドア修理部門ではハイスコア賞を受賞されてました!

 各地の雹害現場でお世話になってる方々ともお会いできて良かったです。

 

 帰りに伊丹空港でお土産を買おうと思ったら、財布を手荷物として預けてしまってたことだけが悔やまれます…

 

 スケジュール表を見ながら振り返ったら想像以上に移動してました…。

 ただ行くだけでなく、しっかりと学んだことを取り入れて町政にも生かしていきたいと思います。

選挙期間が終わってもブログを書き続けようと思っていたのですが、気づいたら大晦日になってしまいました…

タイトルの今年の漢字は岡縁里さんで年末に今年の漢字を書くというのをやっていて、忘年会中に降られて書いたものです。

皆さんに「らくかよ!」と突っ込まれましたが、『楽しい』です。

 

1月は青年会議所の京都会議でJCI大洲様に声をかけていただき、津和野町を活動エリアに含むJCI益田様、中山町を活動エリアに含むJCI山辺で『日本三大芋煮LOMナイト』が実現しました!

 

4月にはこのご縁をきっかけにJCI増田の松本理事長を巻き込み、モルック津和野大会に参戦。

津和野町長にも中山モルックサークルのピンバッチをお渡しして足跡を残してきました。

JCI増田の皆様に前夜祭までセッティングしていただき、翌日は勘違いからキックオフミーティングに参加させていただいた『本当の自分と旅をする』津和野Yu-naさんの百景図を巡るサイクリングツアーにも参加。

オンラインツアーで見た景色、そして江戸時代にもあった景色が目の前にあることに感動!

 

6月にはずっと作りたい、作りたいと言っていた竹のジャングルジム製作が実現!

一部、誤解されているのですが、子ども達のために作ったものではなく、私が作りたくて作ったのです(笑

そして、そこで子ども達も楽しんでくれたのでWIN-WINです。

岡縁里さんに場所を貸しいただき、近所の方から竹を頂き、鹿児島から愛竹家の橋口さんに来ていただき、多くの方のご協力により実現しました。

 

9月には町議会議員選挙に2度目の挑戦!

なかなか立候補される方が少ない中で今回は渡辺史さんが決断をされ、どうやったら立候補のハードルが下がるのかいろいろと考えました。

そのなかで、ポスター貼りの相互協力は良かったんじゃないかなと思っています。

これは後に思いついたことですが、複数の候補者による合同演説会なんかをやれば興味を持ってもらえるし、投票の参考にもいいのかもしれません。

 

上記の考えに至ったのは全候補者の取材ができなければ記事にしないというフリーライターの畠山理仁さんを追った映画『NO 選挙,NO LIFE』で畠山さんが『無頼系独立候補』と呼ぶ候補者を見たり、舞台あいさつで民主主義の根幹であるはずの選挙が、メディアによってすでにふるいにかけられていて、直接候補者と会って話を聞くことの重要性を再認識したからです。

実際、町議選でも史さんが何を訴えられるのか街頭や個人演説会に聴きに行ったり、していたので無意識には感じていたのかもしれませんが、より具体的に認識したのかもしれません。

同じ映画を劇場まで4回も観に行ったのも、いろいろな人に勧めたのも初めてでした。

 

そして、あっとほーむまめ太さん、史さんに声をかけて頂いて、春から1年を通してあまり関わりのなかった子どもたちともたくさん遊びました!

最初は子ども達が考えたお祭りを、秋には手作りのお化け屋敷のお手伝いをさせて頂きました。

スポ少のコーチをしていた時は自己嫌悪に陥るような関わり方をしてしまっていたことも多かったですが、本当に関わっていて楽しいです。

もっとちゃんとしろ!と思われているかもしれませんが…

 

6期目となった熱中小学校だったり、芸工大学生のワークショップに参加させていただいて、小学校の時は嫌いだった音楽や美術に関しても、やり方が変わっただけでこんなに楽しいものだったのかというのも再認識しました。2024年のビエンナーレが楽しみ!

 

色々なことがありましたが、本当に楽しい1年でした。

来年はもっと楽しいことをするために準備を進めています!

2月ぐらいにはお知らせできると思います。

先日、埼玉県虐待禁止条例改正案が取り下げたことが話題となりました。

今日のブログでは内容ではなく、取り下げとなった経緯について考えてみようと思います。

 

報道の内容をまとめると、10月4日に改正案を上程、内容説明がされました。

6日に県議会福祉保健医療委員会で賛成多数で可決

13日の今会議で採決が行われ、賛成多数で成立するのではないかと思われていました。

しかし、6日ごろにこの改正案が委員会で賛成多数となったことがXをはじめとするSNSで拡散し、埼玉県内の保護者やPTA関係者が改正案に反対する意見書のとりまとめたり、インターネット署名などが開始されるなど、大きな反発があり、10日に取り下げが発表されました。

 

もし、このまま上程、採決となった場合に条例の成立を防ぐ方法はなくはない(首長が再議(拒否権)を行使して議会で再度採決をして2/3以上で可決成立)ものの現実的に議員発議で可決されたものに対してはハードルが高いのではないかと思います。

今回は本会議で採決される前に条例改正案の内容が広く知られたことにより大きな動きとなりましたが、もしあまり公開されていない議会であれば、住民が知らないまま条例改正案が成立していた可能性もあったのではないでしょうか?

 

中山町でここまで反発されるような議案が上程されることはないと思いますが、議会で何が話し合われるのかを事前に知る方法がほぼなく、傍聴以外に本会議の内容を知る方法は議会後に発行される議会だよりくらいしかないのが現状です。

なかなか本会議の上程前に、上程内容をお知らせするというのも難しいとは思いますが、埼玉県議会の事例を考えると真剣に考えなければいけないのかなと思っています。
議会に限らず、教育委員会をはじめ、各種委員会などでも多くの会議が開かれていますが、なかなかその中身を知ることができないのは問題なのではないかと考えています。

より開かれた議会、政策の決定過程がわかる透明性の高い議会となるよう、努力していきます。

今回の中山町議会議員選挙で私が得票数を多く減らしてしまったことについて、改めて選挙って難しいと感じています。

 

実は6月の一般質問、8月の一般質問を通して、今回選挙に出るべきなのか、議員の立場から離れて減災に取り組んでいくべきなのかずっと悩んでいました。また、複業の仕事も議員活動を優先していたため4年間で減少しており、任期が終われば、何の保証もないため、今後の人生を考えてこのタイミングでやめた方がいいのではないかとも考えていました。

実は上記の件について、まだ立候補を表明されていなかった渡辺史議員にも相談していたという…

 

しかし、議員に立候補される方も少なく、前回、無投票で議員が決まってしまう現状を変えるために立候補した経緯もあり、立候補しないことで無投票になるということはあってはならないとも考えていました。

 

そして今回の選挙では告示1週間前のタイミングで今回トップ当選された渡辺史議員が立候補を決断されました。渡辺史議員とは子ども達と一緒につくるイベントにお誘いいただいたり、町政についてご意見をいただいたりと以前より面識があり、議員になってほしいとも思っていました。

優先順位をつけるのであれば渡辺史議員は町にとって必ず必要、私は10人の議員の中にいた方がいいくらい認識です。

 

選挙準備がコロナ感染で遅れていたこともあり、方針として確実に渡辺史議員と支持層が被っている部分があり、極力奪い合いにならないように渡辺史議員が間違いなく訴えないと思われる内容でポスター、はがきを作り運動を展開することにしました。

過去の選挙戦では女性候補が落選していたこともあり、どういった展開になるか全く予想できていませんでした。

選挙が始まって2日目、3日目くらいまではポスター貼りをしていると、渡辺史議員はどんな人なのかを頻繁に聞かれたので、立候補表明が遅かったのでどんな人か知らない方も多かったようです。

私のポスター内容よりも確実に関心が高かったのは新人2名のことでした…

さすがに4日目くらいからは聞かれることはなくなりましたが、お二人とも知っている方なので自分のこと以上に丁寧に説明するという謎の選挙運動をしてました(苦笑

 

 

その後、新聞の情勢報道を見ながら運動方針を見直す予定だったのですが、渡辺史議員が当選確実でもなければ、私が当落線上とも出ておらず、なんとも判断できない状況に…

前回の選挙時も取材を受けても感触は全くわからない…

報道する側も独自の運動としか書かれなかったので、皆さんどうやって票読みをしているのか謎.です…

 

15日に掲示を予定していた、予算案否決のポスターは票が減ることはあっても増えることはないと思ってはいたのですが、これによって人生が大きく変わってしまった人もおり、評価が二分していたこともあり、4年間の議員活動を評価していただくためには避けてはいけない内容とも考えていたので掲示しました。

 

そして、秘策として考えていたNFC(マイナンバーカードと同じ技術)を活用したLitLinkカードにスマホをかざして私のLitlLnkに飛んでもらう計画は選挙管理委員会に問い合わせたところ、文書頒布にあたる可能性があるということでお蔵入りに…


選挙期間が終わっったので、使い放題だーと持ち歩いておりますので気になる方はお声がけください。
QRコードのようにカメラを起動する必要もなく、かざすだけで表示できます。

 

今回に選挙戦と4年前を比較すると大きく変わったのはポスターへの興味の高さとブログへのアクセス数です。
前回はタッカーの音を聞いて近所の人が出てきてくれたのでポスターの政策についてお話しできたのですが今回は出てきてくれる方も少なく、内容も新人議員のことでした…

ただ、これは選挙カーの反応も同様だったと数名の議員から聞いておりますので天候などの影響もあったと考えています。

 

そしてアクセス数が約半分に低下していた影響も大きかったのかなと思います。しかも、渡辺史議員の記事をめちゃくちゃ宣伝しました!という方もいたので、もし書いていなかったらもっと少なくなっていたのかもしれません。

 

製作中は気が付いていなかったのですが、4年前のはがき・ポスターのほうが投票に行きたい!と思える内容たっだような気がしています。

 

上記の選挙運動の中身を踏まえて、今回の選挙が失敗たっだのかというと個人的にはほぼ成功だったのではないかと思っています。

渡辺史議員のトップ当選を最初から予想できていなかったという点では失敗だったかと思います。

しかも、勝手に応援したことで、渡辺史陣営を困惑させてしまい、ご迷惑もおかけしました…

 

そして10人を選ぶ選挙でも1人の名前しか書けない難しさを改めて感じました。

この人になってほしいという人が複数名いたときに一番なってほしい人を書くべきなのか、なってほしい人で当落線上にいそうな人を書くべきなのか…

私自身、記載台で一番議員になってほしい渡辺史議員の名前を書くか、議会の多様性のために自分の名前を書くかギリギリまで悩みました。

また、渡辺史議員の当選を予想していた方からは落ちそうな私に投票したという方もいらっしゃったようです。何名もの方から言われたので、その方々に本当に救われました。

 

そして何より、私がギリギリでも当選てきたということではなく、今回の選挙後に町内外の私より若い方から選挙についての問い合わせをいただけたことは今回の選挙運動は大成功だったのではないかと思っています。

2票差の人、とよく言われるので言い訳に聞こえるかもしれませんが、個人的には落選した、票を減らしたから失敗、当選した、票が増えたから成功という評価ではないのです…

『たぶん無所属』の推薦を受ける際にも代表から票を減らすことしかやってない気がするのですが…と心配され、でも楽しそうじゃないですか?という謎の会議を1時間半もしていたので想定の範囲内だったこともありますが…

先日、フェイスブックにこのようなコメントを頂きました。

何故、日本青年会議所 山形ブロック協議会が投稿した河北青年会の事業紹介をシェアしたものに対してコメントされたのか理解に苦しみますが…

 

選挙の総括は?

SNSだけでは勝てないことがわかったか?

何が足りなかったのか?

 

これに対し、私からはこのように返答させていただきました。

 

何を持って選挙の勝利なのでしょうか?

少なくとも私はこの方法にこだわりを持って本気で取り組んでおります。

投票してくださった私を除く、239名の方にも失礼だと思います。

 

この投稿時は当選無効の申立期間内であり、もしかしたら...とも考えていたのですが特に返信も当選無効の申し立てもありませんでした…

 

これは議員に立候補した時(4年前)から思っていることなのですが選挙の勝ち負けって何なのでしょうか?

立候補した全員が中山町を良くしようと立候補されているはずです。

選挙なので当然、議員になれる人、なれない人は出てきますがけんかしているわけでもなく、全員、街を良くする仲間ではないでしょうか?

今回、選挙応援兼ウォッチに来た方のお話によれば、他地区では相手のことを悪く言うような選挙運動をする人がいるとは聞きましたが、中山町ではそんな運動をしている人はいないんじゃないでしょうか?

このときはもちろん結果を知らないのですが、今考えるとなかなかすごい写真ですね(笑

 

渡辺史議員の個人演説会を聴きに行った際に、応援弁士の方があり得ないと驚いていたと聞きましたが、最終日にはその方の声掛けでツーショットを撮って頂いたり、佐東幸治議員の選挙事務所の前を通ったら寄ってけ―、と水分補給させていただいたり…

 

 

 

今回だけじゃなく4年前に立候補した時も、いろいろな候補者から助けていただいたので中山町が特殊なのかわかりませんが、敵対するという感じではないのかなと思っています。

もちろん、意見が対立することはありますがあくまで町を良くするためというのは共通しているのは間違いないと思っています。

 

それが、勝ち負けという分断するような表現をされてしまうのが悲しいです。

候補者全員が時間もお金も使って本気で町をよくするために選挙に出ています。

そこになぜリスペクトしてもらえないのか…

 

こういうところも立候補者が増えない原因なんじゃないかと思います…