これは震災翌日の3月12日、避難所となった近所の小学校体育館で配られていた地元新聞の朝刊です。
写真は津波に流されてゆく閖上です。。。
ここ数日、あの日のことを鮮明に思い出します。
突然カーラジオから流れた緊急地震速報。
うねるように揺れた道路と倒れそうな電柱。
道路に散乱したブロック塀。
ほとんどの商品が棚から落ちて床に散乱していたコンビニ。
なに一つ元の場所になかった家の中。
かろうじて開いていたコンビニの行列。そこでかろうじて買えた食料。
はじめて足を踏み入れた避難所の騒然とした雰囲気と、一様に不安そうな表情を浮かべる住民。
ところどころ陥没した道路。
カーラジオから流れていた刻々と被害状況を伝えるニュース。
町中がショートしたかのように真っ黒な夜。
寒くて寒くて、使い捨てカイロを貼って布団をかぶって過ごした一夜。
深夜、30分に1回は揺れた余震。
夜通し上空を飛んでいたヘリコプターの音。
翌朝、信号が消えて渋滞している中を、海へと向かう自衛隊車両の長い列。
避難所で読んだ号外と朝刊。
避難所のストーブで暖をとりながら、見知らぬ人と言葉を交わしたこと。
給水所で「お水いりませんか~」と元気に声をだしていた子供たちの姿。
12日の早朝、たまたま開いていたパン屋で買って食べたコロッケパンの味。
震災からちょうど一年ですが、未だに新聞の震災死亡者欄には毎日名前が載ります。
(おそらく身元が判明した方でしょう)
僕の覚えてている限り名前の載らなかった日はこの一年なかったと思います。
行方不明者はいまだに3000人以上。
捜索は今も続いております。
身元不明のご遺体も1000体以上あると聞きます。
避難生活を余儀なくされている方は34万人。
被災地に残る瓦礫の量は2000万トン余り。
震災はまだ続いてるのではないでしょうか。。。
今週、地元FM局に寄せられたリスナーからの投書は、ほとんどが震災関連で、それを読むパーソナリティも声を詰まらせるシーンがありました。
今日は仙台市でも追悼式典があります。
近くの若林区役所でも献花台が設けられるとのことなので行ってみようと思ってます。
そして午後2:46の黙祷では、ただひたすらに合掌してこようと思います。

