だいたいがである | 【実録】ネコ裁判  「ネコが訴えられました。」

だいたいがである

普通一般的に裁判という事になる前に

なんらかむこうから直接言いに来るものであると思う。


それで結論が出ないから裁判になるのが順当な順序というものだと思う。


例えばアナタが突然受け取ったらどう思うであろうか?

決して気分の良いものではないと思うのであるが。




随分前に、このブログを始めた直後に書いたものである。


今、改めて書くと……全く違った気持ちで読める。



ワタシは小さい時から

「人のせいにするな」と教えられてきた。


そして今、

「人のせいにするな」とイチロウに教えている。


とても大切な事である。


人のせいにして物事を解決するのは簡単である。

自分に責任が無くなるし……自分の努力を必要としない。


だが……それは果たして人として正しい事なのであろうか?


物を買えば物に対して

行動すれば行動に対して

発言すれば発言に対して


人は何某かの行動をすれば、それに対して責任が発生する。



高級車を買った川畑は車の保管に関して責任を取る必要があった。

そして裁判という形でいきなり提訴した川畑は、その結末まで責任を取らなければならない。


自分の都合のいい時だけ権利を主張し、都合の悪い時は人のせいにする。

許される事ではない。



「裁判を起こす権利は誰にでもある。」

「裁判を起こすのは自由である。」


何度か裁判所で言われたし、弁護士さんにも言われた。


今の日本の司法制度では、事前に事実確認がされていなくても、交渉があっても無くても

そんな事は関係無く……提訴されれば裁判所は訴訟を受け付ける。


これは泣き寝入りを防ぐ為に、裁判の敷居を低くする為の物であるとも考えられるが

同時にむやみやたらに裁判を起こす「乱訴」の原因にもなっている。



最近「お天道様」は薄暗くなった。

そして「世間様」も顔を利かせなくなった。


法律とはいったい何なのであろう……。


無人島で一人で生きるなら……法律はいらない。

二人で生きるなら……役割分担くらいはあるだろう……。

三人、四人になると、小さなルールなんてものが出来るかもしれない。


法律とは……特に民法とは不特定多数の人達が暮らす際に、

個人間では物事が収拾しない時に使う為の目安の道具ではないだろうか?


個人間で収拾できそうな事情を、いきなり法律という道具を使って解決しようとするのは

「ゴミのポイ捨てをした人をSWAT隊員で追いかける」くらいの勢いであろう。




「訴えられる」


確かに裁判で無実を証明すれば良いだけの話ではあるが……

世間様は「訴えられる」と言う言葉に良いイメージを抱かない。


そもそも「揉め事」に良いイメージを抱かない。


「刃傷沙汰」がケンカの最終形態であるように

「裁判沙汰」は揉め事の最終形態のように表現される。


重ねて書くが

「裁判を起こすのは自由である。」


だが……自由と勝手は違う。

自由には責任がついて回るのである。


自己の取るべき責任を棚の上に上げて、むやみやたらに自由を振りかざす……。

それは既に自由ではなく勝手である。



皆さんはどう思うであろうか?





今から裁判所に控訴期限が切れたかどうかの確認をし、

判決確定であれば「訴訟費用確定の手続き」に行ってくる。


少々、雑談や雑記が増え……小難しかった「ネコ裁判」であったが……

明日からは予定通り「反撃」となる。





気を取り直していつもの調子で行きたいと思う。

乞うご期待である。




以下次号。