本郷菊坂。

坂の途中に「ズボン堂」という店がある。

スボンの修繕をしてくれる。

外からみると棚にたくさんの折りたたまれビニールに入れられたスボンが積まれている。

そこには直したスボンだけでなく売っている時代物のスボンもあるらしい。

 

近くに越してきて20年以上たつがずっと気になっていた。

スボンだけを積み上げて、修繕・販売をしている店を

それまで見たことがなかったから。

 

行きつけの床屋さんの主に聞くと、

修繕で三度利用したことがあるという。

ジーンズをちゃんと直せるミシンを使っている店は珍しいそうだ。

リーバイスだ。

501、502、503…なつかしい。

1970年代だ。

当時は、Gパン全盛で、

リー、ホブソンズ、エドウィンといった和製?Gパンがたくさんあり、

お金のない10代は、それらを買って、

米国製のリーバイスにはなかなか手が出なかった。

当時は、「パンツ」でなく「ズボン」だった。

形は、ストレート、スリム、ベルボトム、バギー、いろいろあった。

グループサウンズ、フォークシンガーの面々はみなそれらを履き、

アルバムの表紙を飾っていた。

 

スボン堂は、1937年からここにある。

堀江さんという年輩の方がやっている。いまは二代目。

おそらく、顧客は遠方からも来ていて、商圏はすごく広いだろう。

 

余談だが...

わたしの親は、服のことを「吊るし」と言っていた。

昭和の頃は、服は「仕立て」が上等で、既製品つまり吊るしは安物だった。

「吊るし」のはじまりは、江戸時代の神田岩本町から馬喰横山町あたりだ。

神田川沿い、神田秋葉原から浅草橋あたりまでの通称「柳原土手」沿いに、

たくさんの古着屋の店が集まってきたが、そこから「吊るし」服がファッションの主流になった。

最初は和服の古着だったが、明治以降は洋服の既製服に変わっていった。

 

いまでは、「吊るし」服は、着なくなったら、使い捨て、というか、リユースだ。

「スボン堂」のように修繕して使い続ける人は稀で、

多くは、リサイクル・リユース窓口に渡すか、焼却処分にまわる。

 

ブルックスブラザースのコート、ショットのピーコート、リーバイスのジーンズ。

歩けなくなるまでずっと着続けたい「吊るし」服というと、

わたしの場合、そんなところか。

まあ大事に着てゆこう。