きょう朝5時ごろ。潮岬に台風7号が上陸した。

きょうは2023年8月15日。終戦記念日。

靖国神社に行ってきた。

曇っているが、雨は降っていない。風も強くない。

気温も猛暑日を経験してきたわたしからするとそれほど高くない。

ただ蒸す。

 

若いころは「神様・仏様」には関心はなかった。

63歳となり、あの世に近づくにつれて、脚が神社やお寺に向くようになった。

現金なものだ。

 

靖国に じいさん訪ねた 六十三

 

隠退で はじめて気向く 靖国に

 

伝えとこ なぜ靖国に ゆくのかを

 

靖国神社には、じいさんがいる。

じいさんは、ガダルカナル島で戦死した。

ガタルカナル島の戦いは、日本軍が連合軍に大敗した、太平洋戦争の転機となった戦いだ。

1942年8月20日のことだ。前年の12月に真珠湾攻撃ではじまったこの戦争は、

はやくも負け始めてしまったわけだ。

230静岡連隊2600名で生き残ったのは300名だけだった。

じいさんの後輩が、その最期を記録に残している。

連合軍がガダルカナル島に上陸し、その圧倒的な軍備で、日本軍のせん滅を図った。

仲間がつぎつぎと斃れるなか、じいさんたちは、島の洞窟に退却し、籠った。

熱帯のガナルカナル島なのに、洞窟は冷たい水で覆われ、長時間そこに浸りながら息をひそめた。

そのため、脚腰から病んでいき、やがて終わりの時を迎えた。

わたしも、いま、脊柱管狭窄症で足腰に障害をかかえている。

走れないし、元水泳部なのに泳げないし、それどころか、

毎日の風呂も五本指靴下を履いてはいっている。

冷えると、しびれと痛みがきて、やがてつりだすのだ。

わたしは、顔立ちがじいさんに似ているようだが、

障害も、じいさんの最期に似ているのかもしれない。

靖国のじいさんには、もっとはやくから、会いにきて伝えるべきだったのかもしれない。

「わたしに出来ることは脊柱管狭窄症と動脈硬化をやわらげることです。

いまやってます。どうぞご安心ください」と。

 

これが2023年8月15日の靖国神社だ。

終戦記念日のわりに人出はそれほど多くない。

靖国神社は、靖国通りに沿って長細い。

これは、最前面の大鳥居の真下から撮った写真だ。

石畳の広い参道がずっと続いている。

やがて、靖国神社の創建に尽力した大村益次郎の像を仰ぎ見ることになる。

突き出たおでこの大きな頭が印象的だ。

司馬遼太郎は「花神」と呼んだ。

長州軍を率いて幕府軍を打ち破りつづけて江戸まで来た天才軍略家だ。

大村益次郎像から本堂を見る。まだまだある。

もうひとつ大きな鳥居をくぐって、大きな門をくぐる。

門には、たぶん他では見られない、大きな大きな金色の天皇家の菊の紋が取り付けられている。

そして、ようやく本堂に着く。

こんなに大きな菊の紋の幕はほかにはないのでは?

日が日なので、もっと行列していると思っていたが、参拝者は意外に少ない。

脇の駐車場をみても、バスの数がそれほど多くない。

台風が影響しているのだろう。

きょうは、靖国神社の横にある北の丸公園の武道館で終戦記念日の式典もあるが、

台風の影響が大きい府県の参加は見送られている。

心の中でつぶやいた。

「わたしに出来ることは脊柱管狭窄症と動脈硬化をやわらげることです。

いまやってます。どうぞご安心ください」

あわせて、かみさんの戦死した叔父さんも、ここに眠っているので、

「いつも見守っていてくださりありがとうございます。やすらかにおすごしください」

と伝えた。

 

これは、靖国神社への坂の路上のビラ配りの状況だ。

怖い人たちばかりかなと思っていたが、ふつうの方々が自分たちが信じることを訴えていた。

それから、これは、警察車両の行列。

右翼の皆さんは、バリケードで完全にシャットアウトしていた。

なるほど、靖国の周りは、ふつうの方々ばかりだったわけだ。

ごくろうさま。

 

ずっとまえだが、野中幾次郎さんが、太平洋戦争という日本史上最大の失敗を振り返り、

「失敗の本質」という本をまとめた。なぜ、失敗したのか、こう言っている。

●あいまいな目的

●短期決戦志向

●空気の支配(非科学的)

●狭くて進化のない戦略オプション

●アンバランスな戦闘技術体系

●人的ネットワーク偏重の組織構造

●組織の非統合

●プロセスや動機を重視した評価

これは、いまでも、経営の鉄則になっている。

 

そのまえに...

日本人は、ずっとむかしから、精神として、

我のために生きるのではなく、世の中のために生きることを、目標に据えてきている。

ブッダの、自分を救うためでなく、世の中のすべての生き物を救うのために、生きていゆこうという大乗仏教、

近江商人の相手よし・自分よし・社会よしの「三方よし」、

を大事なものとしてきた。

近年ではCSV(経済と社会貢献の一体化)、SDGs(17の持続可能開発目標)

にみんなで取り組み始めた。

 

一向におさまらず災害級になってきた温暖化、巨大な人殺しのウクライナ戦争、

まだまだそんなところに、わたしたちはいる。

わたしたちは、これからも、ずっとずっと、

なぜ靖国にゆくのか

を子どもたちに伝え続ける必要があるだろう。