梅雨の晴れ間に、蔵前の隅田川デッキにたちどまった。
むしむしするなか、川を渡ってくる風が心地よかった。
上流側をながめると、スカイツリーがにょきっと立っている。
下流側にうつすと、両国国技館の屋根がみえる。
江戸時代まで、広域物流の主役は船であり、川、海だった。
なので、ここ蔵前の隅田川沿いには、67もの米蔵が並んでいたという。
ここに米が日本全国から集まってきた。
そもそも、江戸時代のサムライの給料は、
米(扶持米)だった。もちろん換金されて、つかわれるのだが。
隅田川デツキの壁には
江戸時代、蔵前に米蔵が並ぶ様子が描かれた絵が掛けられている。
「大英博物館所蔵」としてある。
大規模な施設だったようだ。
あわせて、米蔵の配置図を描いたものも掛けられている。
ここに立つと、駄句が浮かんでくる...
・サムライの 命支えた 隅田川
・隅田川 むかし北斎 いまツリー
・梅雨晴れに 渡る風涼し 隅田川
壁には、葛飾北斎の2枚の絵もかけてある。
一枚は、「榧寺の高灯篭、御馬屋川岸乗合」のタイトルがついている。
「榧寺」は蔵前の小さお寺のことだ。
江戸時代も、盛んに船で隅田川を渡っている様子が描かれている。
もう一枚は、「首尾の松の鉤船 椎木の夕蝉」のタイトルがついている。
「首尾の松」は米蔵の中にある松のことだ。
やはり、隅田川を船で渡る様子を、背景に名所を書き入れながら描いている。
いまであれば、松や灯篭ではなく、スカイツリーが背景に描かれることだろう。







