親も子も酔えば寝る気よ卵酒 太祗
市隠月令(村田了阿 文化年代成立 1804年~)に、
『正月二十四日、此日夕売方から鮨売、
卵売の声いとめでたし』 とあります。
忘れ残り(四壁庵茂蔦 年代不詳)上には、
『我が幼年のころは一夜明ければ
小はだの鮨売・玉子うり・白酒羊羹・
切山椒・竹割甘露糖引きも切らず来りしが今は稀なり。
二日にもなれば払い扇箱買多く来りし』
とあり、正月早々売り始め目出度いとされて卵売りも
姿を消したとありますから、
この頃は季節に関係なく人々に
好まれていたのかも知れません。
料理書新撰包丁揃(享和3年 1803年)にも、
『俗用たまごと呼は鶏卵にして余鳥にあらず』
とありこの頃すでに卵といえば
鶏卵を指していたようです。
生卵を籠に入れ、天秤棒で担い売り歩来ました。
主に江戸近在の農家の人が多かったようです。
『一声も三声も呼ばぬ玉子売り』(柳多留60)
卵売りは卵一声でも、
「タマゴ、タマゴ、タマゴ」の三声でも具合は悪く
売り声は難しいものでした。
卵は暖かくなれば痛みやすく
見分けるのにも苦心します。
卵を陽に透かして見る事には変わりありませんが、
それぞれ売り手に見分け方がありました。
黄味が半透明に澄んでいるのが
新鮮といわれていますが
見分けられるのでしょうか。
『にぎりこぶしを目にあてる玉子売り』(柳多留45)
『目を壹つなくしてかかる玉子売り』(万句合 明和5年)
買う方も負けていません。
『壱つ宛日当りへ出る玉子買い』(万句合 宝暦8年)
食べ方は今と同じで、
生卵を醤油と一緒にときほぐし
温かいご飯にかけるのが普通です。
『生玉子醤油の雲にきみの月』(柳多留118)
と綺麗な柳句もありますが、
その多くは強精効果があるとされていたようです。
『玉子売りぶら提灯に弓を張り』(柳多留121)
『生鶏卵北極ほどの穴をあけ』(柳多留126)
川柳では似た句が多く見られます。