蜂どもと露のいちじゅく奪ひあふ  俤二郎


無花果はクワ科の樹木で、

その果実は地味な存在ですが、

原産地はアラビア南部とも、

小アジアともいわれています。


旧約聖書の創世記の中に記されているアダムとイブが、

裸の一部を隠していたのが無花果の葉といわれます。


紀元前に始まる最古の果実のひとつといわれ、

栽培も盛んに行っていたと伝えられています。


現在は世界各地で栽培されており、

日本へは中国を経て渡来したといわれています。


大和本草(貝原益軒 宝永6年 1709年)によれば、

『寛永年中西南洋ノ種ヲ得テ長崎ニウフ。今諸国ニ有之~

日本ニモトヨリイチジクト云物別ニアリ。


後ニアラワスイチジクニ似タル故ニ

無花果ヲモイチチクト云』

とあり、寛永年間(1624年~44年)に

植えたのが最初である。

野生のイヌビアをイチジクと呼んでいたとも記しています。


このとき長崎に伝えたのはポルトガル人で、

蓬莱柿(ホウライシ)と呼ばれていたとあります。


その他にトウガキ、ナンバンガキともいいました。


柿にに似ているといえばそんな気もしますが、

本朝食鑑菓の部に、

『実は茄子に似ている。

初生は青、熟すると紅、露の後は紫色になって

拆けてただれる。


味は甘く蜜のようで、これを珎としている』

と茄子に似ていると書いています。


無花果の語源は、

和漢三才図会や倭訓栞、新しいところでは大言海が、

一塾(イチジュク)説。


その他に、ペルシャ語が中国で音訳されて映日(インジル)、

広辞苑では中国の音訳語映日果(インジークォ)が

転音しともの。と記しています。


無花果は、カプリ・スミルナ・サンペトロ・ミッション(普通系)の

四系統に分かれますが、

日本では受粉しなくても果実の育つ普通系のみで、

外側から花が見えないので無花果の字をあてたようです。