久しぶりにamebloに。

たまにはふらっと。帰ってこないとね。

 

私、と言いますか、家業と言いますか、ライフワークでと言いますか。

会員様その他お馴染みさんやお得意様の集いとして、ラックラボを主宰しています。

ラックラボ。まあ、運の研究所、ですね。

そのラックラボ。

ざっくり言いますと

様々な観点から、科学的に、或いは、機序をロジックを用いて「運を解明し、活かしていく」ことをやっているのですが、どうしても科学的には言い難い部分は出てきますよね。

それは理論的には、統計的にそうであっても、100%絶対そう.なんてことは、「絶対」無いからです。

でもそれを解明するからラボではあるのですが、そもそも人知の及ぶ範囲でのことなんて、せいぜいなんですね、そう、たかが知れてるのです。

余白や緩みの中に、真意が潜んでいるのは世の常です。

私自身、ニオイなんて「不確か」なものを扱っているからなのか。

見えることをそもそも信用などしていません。

表側は誰もが知り得ている、そう、当たり前。

かの有名な王子様も教わりました。

大切なこと・大事なことは目に見えない。

綺麗事のように使われている「真理」ですが、まさに。まさに。

 

話は変わりますが、運って。

なんなんでしょうね。

巷の、フワフワや浮ついたアレやコレの界隈では、思い通りに人生が作られることだと考える人々も居られると。

確かにね!

思い通りにいったら、まあ、いいよね!

夢を叶えるっと、そんなことかもしらん。チャンスのこと??

しかし、です。

思い通りにって、想像力が果てしなくあるわけで無し、思うところって3ブロック先ほどの「幸運」かも知れないことを

想像できない不幸ということ、ですよね。

 

果てしなく幸せって、思いがけないことや、ましてや「思い通り」の中には無いってのは「絶対的」な真理ですよね。

使い古された、でも、完全なホントのこと。

幸せだと「感じる」体質無くして、まあ、幸せなんて掴め無いってことです。

勘違いなさらないで頂きたいのよ。

幸せって考える思考、ではありません。

感じないと、まあ、この真には辿りつかない、、というコト。

 

ヒトの想像力って、ハサミや馬鹿と一緒です。

そして、どうぞその諸刃の刃は、他者への思いやりに。

その過程で、得られるものです、幸せや運なんてものは。

 

 

竹の花、意味があるから。

落花生の花、役目を果たして。

 

私は代々続く薫りの家系の8代目です。

先代でもある義母は、私に度々「言葉」をくれます。

長い長い、膨大な量の「遺言」です。

 

香りに携わって、20年。

香りから薫りに昇華し、なんだかんだで、20年。

長女は成人、末子は3歳、フツウの人より長い子育てと同じくらい。

香りで人を本格的に視出したのは、ココナラが出来立ての頃。この頃はそのジャンルで常に上位、ポップアップイベントにも呼ばれたりもしていたかな。

今より、露出が多かった。

 

道のりは決して楽なものではなく、今でも「向かない」し「辞めてしまおう」と思わない日はありません。

ただ、どうしても「辞められない」のです。

 

真実があるんです。

今、一生懸命何かを頑張っている人。頑張っても頑張っても、何も響かない人。

あなたが、才がないにではない。努力が足りないんでもない。

そして、やり方が間違っている、訳でも無い。

 

すぐ開花する人、応援される人っていますね。

でも、それ、その人が優れているからって理由でも無いんです。

研究者の世界ではよくある、そういう現象が。

そして、成功者の真似を知れば、そして実行すればうまく、いく?

んん?どうでしょう。そうでもない、から、その分野はお金になります。

私自身の波とかしんどさとか、そういうのもあって、薫りと共にするうちに、リズムや流れ、コンディションやメンタル、科学や真理や哲学など、様々な角度で、運というものを観察してきました。

ラボとして、薫りには反映させていますが、まだまだです。

 

運命論者ではありませんが、否定もできない。それは、時期ってあるから。

その人がたまたま、です。それはその人である必要などなかった。だけど、その人でなければいけなかった。

そうでなければいけない理由は?

大きな時の流れの中で、その流れを作ることが必要であり必然であった、ただその人がそうするに適任だった、それだけ。

選民とは違う。優劣なんかではなく、あなたがまた、そうして努力を積み重ね、その努力で変わる何かがある。

そして、大きな気づきと学ぶことがある。それだけ、なんです。

今の社会システムとか、価値観や概念が完全におかしいのはわかるでしょう、労を積むあなたなら。

数字での評価が全てで、数字での評価がともすれば、やっていることの尊さや人格の評価のようでもある。

、、、えっとね。闇です、完全な闇。

崇高な意識を示すも、裏で何やってんだかわからないようなニンゲン、いっぱい見てきました。

その地位が全て闇だとも言いませんが、どうしようもないヤツらが評価を得てほくそ笑む、なんて。

別にその人らを糾弾するつもりも非難するつもりもないんだけど、これだけは言いたいなと。

社会的な居場所がないとか、価値がないんだと、哀しみを背負うことはないよ。

明らかに方向が違うとか、方法が最善でないことも往々にしてある.けど。

顔無き世間や数字の評価、成功と呼ばれる個人のそれとは別の、社会の定義に当てはまらないことへのモガキは、あなたを深く傷つけるだけ。

 

先代でもある義母は、冒頭の言葉をくれました。

これは、大きな真実なんだって、そう思います。

だから、あなた自身であなたの自尊心を裏切り傷つけないでと、そう思います。

 

扁桃腺が機嫌を損ねてる。

 

ぶり返すな。この度は。

ウィークポイントがどうにもこうにも。

でも、ふと見渡してみると、まあ皆さん。

蓋してたようなこととか、弱いとことか、古傷がぶり返してますね。

こんなこと、そんなになかったのですけどね。変わり目、ですね。

 

扁桃腺といえば、第五チャクラとして語られることがありますね。これ、ご丁寧に分析なさる方が結構いらっしゃる。

チャクラの概念こそ、まあ体感として理解できるのですが、体調不良と絡めてくる方にはちょっと辟易です。

エネルギーポイントだとか、経絡の経穴だとか、それぞれの分野でいろいろありますが、それぞれの概念とか哲学的な部分で語られているという前提でないと、疑問符も当然出てきます。

解剖学や西洋医学的な視点でもまた、違いますし、いわゆる心と身体の関係性をとってみても、また相違は出てくるもの。

結局は、全知全能の教えや絶対、絶対的正解などは何ひとつ無いってことに尽きるのですが、統計学的に言えば、そういう傾向がある、と考えるのが自然であり、可能性は広がるわけですね。

 

私自身、変な能力が発達してしまい、割とエネルギーとか気の流れや滞り、心身の「引っかかり」を感受するのは長けている方です。

薫りとしてそれを掴むとかもするのですが、それをすると、かなり解釈が変わってくるのがわかるのです。

ただ、それもまた、非科学的の極みですので、公には言いませんが、ご本人には伝えます。

全く関係のない切り口で申し上げるので、ん?と思われることは常ですが、しばらくするとその意味がわかるようです。

伝える私も正直、それがどんなことを指すのか、具体的にわかることも稀なんです。

ですから、全く全てを見通しているわけではないので、これを読まれていらっしゃるお客様はご安心くださいませ笑

 

話が横道に逸れましたが(すぐ頓挫するけど)、要は人が語るそのやり方は、必ずしもあなたに合った解釈ではないかもしれない、ということです。分析にセンスが出るんです。そしてそもそも、気づかない、そのポイントに。とか。

無意識の領域で指摘されて、そんなことは無いと激しく反応なさる方もいらっしゃる。

けれど、本当にマトが外れた解釈をされた挙句、全然成長できないとか、改善されないってこと、めちゃくちゃ多いのは気の毒に思います。

感受性が発達された方が感じることって、結構真実だったりするのですが、そうでなく、いまの世の中お金を積めば頂けるディプロマみたいなのって本当に怪しい。

それは、例え国家資格だったとしても、センスのない方は間違いなくマトを外します。

素晴らしい先生やセラピストが圧倒的なのでしょうが、精神医学やメンタルケア、心理の分野にも多いですよね。

私も10代の頃、えらい目に遭いましたもの。

医療の世界でも絶対神はいないでしょ。

セカンドオピニオンって、大事。

どんなに鈍感だと自負する方も、持ってるのです、そういう感・勘って。人のことはわからなくても、自分のことは自分のためにそういう力はあるんです。だって、守らないと、大事な自分。

自身で感じるってすごく大切でして。少しの違和感や、ん?って感覚、これは本当に大事です。

 

もっと、自分のことを大切に。

それは、自分に責任を持つということ。

今、体調が悪い方は、ご自身の感覚を研ぎ澄ませてください。

そして、お医者さんのお世話になるなり、自分と向き合うなり、本当の意味で、大切に、大切に。

 

 

 

 

HSP、HSCの子。

或いは、感情が揺らぐ。

不安になりがち、不安が常。

緊張して、ソワソワ、焦燥感。

 

どうにもこの時期、冬の入り口には始まります。

ここは北国・北海道。

どうしても、冬季の季節鬱傾向にある方も多いです。

そんな時、気持ちを支えるためにアロマを使う方も多いと思います。

でも、特にHSPやHSP、HSC、発達の子なんかは、感覚過敏だったり、五感の刺激や変化を嫌がります。

特段、アロマで使う精油って優しい香りと思われがちですが、結構イヤなニオイ。いや、クセモノが多い。

本能的に、体調やその他要因で、そのニオイに快不快が決まるのですが、結構これもそう素直でもないところがあります。

例えば、知識や知性、記憶と相まってそれが決定されることもあれば、親和性のないニオイに関しては、防衛的な情動反応を示すことも往々にしてある。

嗅覚って、実に本能的な原始的な器官だと言われますが、そう?ってな懐疑的な部分も多い。私の経験上ね。

それは、非常にインテリジェンスな感覚でもあるということだと私は思います。

 

子供にベビーマッサージ(これはあまり香りは使わないですが)とかチャイルドケア的に、特に体調管理が必要だったり、コミュニケーションのひとつで施される方は多いと思います。

でも、香り、嫌がります、割と多くの子が。

うちはハイパーなセンシティブがいるのでよくわかりますが、ニオイ自体を嫌がります。体調が悪いとなおのこと。

そんな私も生き恥を晒して言いますと、こんな仕事してますが、香りのものって、あまり好きでないのです。薬味はめっちゃ好きなんですが。あれは味としての風味、これがいいんです。

ハーブティーなんか、飲めない。

ですから、健康管理の一環でアロマは難しいんです。少なくとも我が家の子ら。

ですが。

ひとつ妙案があるのですよね。

 

遊ぶんだ。

 

香りをメインに据えず、他に興味を持てる活動を。

親と一緒に遊ぶ。先生と遊ぶ。

幼児なんかは、親はもちろん、信頼のおける安心できる大人は非常に大事です。

お友達との遊びよりも、親との遊びを通じて香りと距離を縮めます。

お料理なんかも、嫌いな食材を、自分がいろいろ関わると、美味しいとなるでしょう。そんな感じです。

 

うちは、遊びの中でそれを取り入れると、兄弟喧嘩や不穏・不機嫌が明らかに減ります。

なんなら、昼寝もします。普段は昼寝どころか、眠りの下手なメンツ揃いです。私を筆頭に。

 

今、小児科は大変なことになっていますね。

感染症もそうだし、よくわからないけれど不調が長引く子や人々も本当に多いです。

できたら、お医者さんにはかかりたくはないです。

健康維持にも、冬のアクティビティにも、香りを取り入れた遊びを是非。おすすめです。

 

そのうち、具体的な記事も書きたいと思います。

 

 

 

 

 

頭痛、ひどいですか?

あと、副鼻腔炎、とか?

すっごい感受性が強まり、「痛い」かな。

 

今、これまでにない不調に悩まされている方、多いみたいですね。

ご多聞に漏れず、私もです。

まだ10代の頃、放浪していた時に、ロシアあたりの日本でひかないような、妙な風邪をひき、そこから扁桃腺がオカシなことになりました。(ガイコクって、そういうの、ありますよね?)

数年に一度、扁桃炎をこじらせます。それが今年、この間。

ずっと変だったんですが、どうやら周りもヘンっぽい。

心身共に、ヘン。

 

私自身、幼少時から何気に虚弱な子供でした。

でも、弱々しい感じでもなく、全く虚弱には見えないけれど、まあ、虚弱児。

なんとなく、不具合とか、バランスの悪さ、偏った感じを体感として感じていて、知識がないモノですからそのアンバランスもそんなもんなんだと思っていましたし、あまり素敵な環境や境遇ではない子供・10代でしたので、基本放置で、見て見ぬ振りです。

ただ、すごくしんどいとか、どうにもならない不調があるので、全く自分の将来展望などなく、未来将来に関しては明るくない上に、無いとすら思っていた時期もあります。

そんな中、ものすごく素敵な出会いをし、その方にいろいろ学ぶことになりました。

 

私のこの「薫り」の仕事の始まりは、アロマセラピストだったりするのです。

それもその出会いによって、できた道でもあるのですが、実はそんなに好きでもないし、でも仕事だしイと、精油と関わることで、気づいたら丈夫な人間となっていたという、そういう教科書見本みたいな話も一応あります。

 

そういったこともあって、猛烈な薬信者たちが薬が効かなくなった時、たま〜に手を出して「軌道修正」とか「チューニング」を手伝うのですが、そういう人が明らかに増えたという感覚があります。

そもそもそういった方々は、ロジックや「エビデンス」を糧に選びたい人だったりするし、それもわからなくはないのですが、まあ、刺さりません。

他所様で聞いたとか試して「なあ〜んにも」感じないひとって多いんですが、正直すごくめんどくさい。

別にわざわざアロマとかに顔出さなくてもいいじゃん。とすら思ってしまう。

でも、本気なら時間割くよって、そのくらい。

で、まずは、その漬け丼を普通の海鮮丼くらいに抜いて欲しい、と伝えます。

嗅覚・味覚もそうですが、ケミカルに慣れすぎると、感じないし、「美味しくない」んです。

ジャンクって確かに刺激的で、うまい。

ですが、そもそも主食にすべきではないですよね。

それと同じで、辛かったらすぐ薬!って、身体が生物として正常な反応をしないというのが私の感覚です。

医療にお世話にならなくてはならない状態や、病気なんかの急性期や闘病、人生を閉じる時期やターミナル期で、治療を必要とするとか苦痛の緩和や人としての尊厳という観点では必要です。

ちなみに、私はナチュラルに生きる人でも自然派!でも、ましてや科学や医療の否定者ではありません。俗世のフツウの人。

しかし、ニオイも同じですが、臭いモノに蓋って、ろくなことがない。

強烈な柔軟剤の繊維に残る、不快臭、あれ。臭いモノより、クサイっていう。

ひとつの構成物として、共存しながらの調和とは訳が違う。

そもそも、アロマとか自然療法なんかの類って、自分を大切にするという概念の上に成り立ち、更には他人・他任せではなく、自分の人生への責任を持つという意思と意思決定力が必要な分野なんです。

心身を治す方法を教えているわけではなく、ましてや植物学や科学的・化学的なものに主軸を置くべき分野ではないんだと、長年携わってきて強く感じます。

 

ちょっと話がズレましたが、

そういうものに懐疑的な人ほど、長期的にみると、損してるねえって、思います。

ご自身が「信じられる」ものからの教えによって得られた情報でダメだと全否定される、それも、アホだなとか。

ネットで拾える知識が万能かって言ったらそうでないし、その人それぞれ、原因や背景がある中で、市販薬が効かないから、いよいよ医者にかかる訳でしょう?って。

そんな感じで、訓練されたセラピストさんとこに頼ってほしいなあと思います。

ただし。

今、セラピストを名乗るニンゲンの半分くらいは、そんなじゃないのはご自分の洞察力と審美眼を磨いてねってことで。

まあ、自分を魅せたい写真とか載せてない先生たちなら、信頼度が上がるかな、とは、個人的には思います。

要は自分が好きを強要せず、人と専門分野に誠実に向き合っている方ですね。

地味ですけどね。でも、派手に自分素敵を強要するのよりいいでしょ。食べログとかと同じ、本質がだいじ。

 

 

シトロネラ。

昨今のキャンプブームで持ってる方、多いでしょう。

使い切りました?

残ってるよね?

それ、言いようのない重さや疲労感、頭痛の時に芳香してみてください。

ニオイが強く個性的な香料なので、好きでない方も多いと思います。

そんな時には、好きな香りにちょっと足しても。嫌いとか不快だと意味もないので。

香りの強さは一畳一滴ほど。弱めで充分です。