夜の石北本線 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


網走から本日の宿のある遠軽に戻ります。

列車は16:15発、4670D西留辺蘂行き

網走駅から出発ですので、一旦駅舎を見渡します。

初めて網走に来たのは昭和60年3月、特別急行「おおとり」キハ80系でした。と思ったら、折り返し夜行急行「大雪」に乗るため、多分女満別で降りていたと思います。

となると別の日の夜行「大雪」で朝に着いたものと思われます。その後は急行「しれとこ」だったかな。

釧網本線のキハ54単行の後ろで入れ替え作業をしている4670D。先に先程上川から到着し、故障しているキハ54を切り離していました。

キハ40の2両編成になって入線。

前は急行「宗谷」色

思いの他高校生が多い。全てのボックスに2人くらい。

網走川と網走湖をみながら網走を後にします。

この景色は夕方、旅のフィナーレに相応しい。

美幌。代行の4665D(3両編成)からは、これでもか!というくらい多くの高校生が降りてきた。なかなか列が途切れませんでした。

北見に向かう車窓。夕日を見ると今日一日精一杯だったか?と自問自答するようにしています。

北見。ここも多くの高校生が下車。僕も2時間後の遠軽行き最終の4674Dまで時間を潰します。

木製の跨線橋と朱色のキハ40。

池北線の列車が到着、と想像しています。


2時間あるので市民プールに行きました。

が、火曜日定休日だった。


する事がなくなったのでコインランドリーを探し昨日できなかった洗濯をしました。


駅に戻る途中焼き鳥屋で持ち帰りを頼みました。

鳥若の焼き鳥。外に持ち帰りのメニューもあったのでコロナ対策で始めたのかな?

ここ、東京に住んでいた時プールの帰りによく寄ってたとこか?と思ったけど違うみたい。



さて夜の常紋越えはどうなるか。

空いて入るものの5人?くらい地元客が峠を越えて遠軽まで行きました。

鳥若の焼き鳥。鳥貴族より遥かに美味しかった。


常紋越えです。

この前後にYouTubeライブを行いました。



常紋で一旦途切れ、続き