「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉がある。「一生」ではないにせよ、「もう一歩踏み込んで、もう一歩早く」聞けていたら、というシーンが何回もこの旅であった。

そして、到着初日の「(無知×無能の)重度複雑粉砕骨折」は、「聞く勇気」以前に、「英語を話す気力」すらないまま、自分の無為無能に打ちひしがれたまま、ひたすら時間だけを浪費していたのだ。

これほどの「バカ」がいるだろうか?
「聞けない」「ヘルプの声を挙げられない」果てしないスパイラルに陥り、「前に進む能力や意欲を持ち得ない」奴こそ、「バカ」だと定義して良いのではなかろうか。
そして、到着初日の自分こそ、正真正銘その「バカ」だったのだ。

これについては、2つほど思うことがある。
昔、小さな会社で働いていた時、そこの経営者に対し、ちょうど同じことを感じた瞬間があったのだ。

ちょっとしたしくじりが社内であり、折悪しく、直接の担当者が社内に不在で、その役員が事実上担当しなくてはならなかった。
一刻も早く、より上流の取引先(クライアント)に報告し善後策を協議するしかないところが、そのクライアントから詰られるのを恐れてか、3,4時間ほども延々、その役員は連絡もできず手を拱いていたのだ。

部下の自分らとしては「待ち」しかないが、「とにかく判断や行動が遅いな」と見切らざるを得なかった。
「責任を取りたくない」保身がミエミエだった訳だ。
こちらには完全な、「時間のムダ」であった。

だが、この役員の「バカさ」加減に、旅行初日の自分は果てしなく似ていた。


次に、「聞けない」「ヘルプの声を挙げられない」は、「救いを外に見出せない」社会的弱者の立場に見られる現象だ。
しかし、こちらの場合は、彼らの能力的スペックではなく、社会構造がそうさせているに過ぎない。
自分の場合、能力、知識・準備不足に、↑で挙げた、「一刻も早く聞く」など、本来「自力で補う」ことが全てできた筈だ。
つまり、「社会的弱者」じゃなく、本当に救えない=本来「自力救済」ができる筈が出来てない、「ただのバカ」なのである。

問題解決出来ないという実際問題以上に、自分がここまで「バカ」であったということが、強烈なショックで大打撃だったのだ。

とは言え、意外とその「バカ」は、人が馴染めない環境に急に一人で置かれた場合には起きがちなのではないか。
その部分は、改めて論じてみたい。