謹んでご冥福をお祈り致します。
バンコク日本人宿の先駆者的な位置付けであった日本人宿『日出』の創業者:岡本氏が逝去
されていたという一報が2020年3月13日(金)に日出の滞在者から入ってきました。
約1年前から体調が優れず、あまり外で見る機会が少なくなっていたのは、
バンコク在住者として知ってはいましたが、残念です。
2018年の夏頃から、急に大声で『レストラン日出』の従業員や日本人宿泊者を怒鳴り付けたりと
急に度が超えて怒りを表すようになり、住人と化していた長期滞在者も少なからず離れて行きました。
そういった症状が続く中、年が明けて2019年、自身の足で歩行が困難となり、車椅子生活の
日々となられていました。 日出の大型タウンハウスの2階(宿泊受付の裏)は岡本氏の
介護専用部屋に改装され、立入り厳禁の表示が出されるなど、病院送りにされるのではなく、
『日出』で最後までご家族と過ごされていました。
ただ、このお話には続きがあります。
岡本氏が逝去されたのは2020年2月24日なのです。
日本人宿『日出』の長期滞在者であれば、岡本氏がそこに住んでいるのですから、
回数は少ないにしても見かけるはずです。
2020年2月末頃から、最近岡本氏を全然見かけないという共通認識が
日出の日本人長期滞在者の中に小さいながらも生まれます。
ふと気が付くと、いつも1階に置かれていた岡本氏の車椅子も見かけなくなり、
何か様子がおかしいと滞在中の日本人皆で言っていたそうです。
また、2月末頃、2、3日の間、日出レストランを休業して、
従業員がひたすらに仕出し弁当みたいなものを作っていたそうです。
2020年3月13日、ある日本人の方が、
日出の経営者である 岡本氏の次男:ジャンさんに質問します。
日本人T氏 『ジャンさん、最近、お父さん見かけないけど入院したの?』
ジャンさん 『死にました。2月24日。』
日本人T氏 『・・・・・・・・・。』
この経緯で、日出の日本人長期滞在者が岡本氏の逝去を知ることになったというのです。
岡本氏の最期が日出だったのか、病院だったのかは分かりませんが、
日出での目撃談が一切ないことから、恐らく病院で最期を迎えられたものと思われます。
改めてバンコクのレジェンド:岡本氏のご冥福をお祈り致します。
(2018年8月撮影)
(2018年8月撮影)
個人的には今から丁度10年前、
2010年(当時赤シャツやの黄色シャツやのでタイの政局が混乱している時期でした)
に日出を初めて知り、たまーに利用させてもらっていました。その後バンコクに在住しながらも、
たまに日出にカツ煮を食べに行って、これまでジャンさんと交流はしてきました。
(2019年6月撮影)
バンコクのレジェンドに思いを馳せ、これからもカツ煮を食べさせて頂きたいと思います。
合掌
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