渋沢栄一の孫たち

 

↑ 中の家(2020年6月1日撮影) ↓

 

 

栄一は、多忙の合間も時間をつくり年に数回はこの家に帰郷した。東京飛鳥山の栄一の私邸は、空襲によって焼失したため、この家は現在残る栄一が親しく立ち寄った数少ない場所といえる。

 

↑ 中の家左側 ↓

 


また、中の家は、元治、治太郎たちの人材を輩出した。

 


昭和53年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学んだ。平成12年、同法人の解散により深谷市に帰属した。

 

↑ ポストと渋沢の表札 ↓

 


昭和26年、埼玉県指定史跡に指定。昭和58年、埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」に指定替えされた。平成22年、主屋を中心とした範囲を深谷市指定史跡に指定。

 

 

↑ 創学舎高等学校 ↓

 


栄一は幕末の青年期をこの家の長男として過ごした。尊皇攘夷論に傾倒した栄一は、高崎城乗取りを計画するが、その計画中止の混乱から文久3年(1863)に満23歳で中の家を離れた。

 

↑ 創学舎高等学校 蜘蛛の巣 ↓

 



以後、活躍の場を移していったが、多忙の合間を縫って帰省することが大きな楽しみで、特に晩年、諏訪神社の祭礼の日には、無理なやりくりをしても必ず帰省した。

 

 

 


穂積重遠 歌子の長男。
男爵、法学者、東京大学法学部長、最高裁判事、東宮大夫。「日本家族法の父」と呼ばれる。

穂積律之助 歌子の次男。
海軍造船少将、退役後、石川島造船所(現IHI)取締役。

渋沢孝子 歌子の長女。
東京大学工学部長、名古屋大学総長、渋沢元治の妻。

石黒光子 歌子の次女。
農林省次官、農商大臣、参議院議員、石黒忠篤の妻。

穂積真六郎 歌子の四男。
朝鮮総督府殖産局長から朝鮮商工会議所会頭。のち参議院議員。

市河晴子 歌子の三女。
東京大学教授、日本英文学会会長、市河三喜の妻。

 

↑ もう一つの、渋沢家先祖代々の墓 ↓

 


阪谷希一 琴子の長男。
子爵、日本銀行から関東庁に転じ、退官後は満州国総務庁次長。中国聯合準備銀行顧問。

堀切敏子
琴子の長女。拓務次官、法制局長官、内相、堀切善次郎の妻。

高嶺和子 琴子の次女。
物理学者、東京大学教授、高嶺俊夫の妻。

中村八重子 琴子の三女。
銀行家、貴族院議員、男爵中村貫之の妻。

 



↑ 稲荷社、渋沢家先祖代々の墓から見た中の家 ↓

 


渋沢敬三 篤二の長男。
子爵、民俗学者、澁澤同族社長、澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、日銀総裁、大蔵大臣。父・篤二の廃嫡後に祖父・栄一より後継者に指名される。

渋沢信雄 篤二の次男。
貿易商。澁澤倉庫監査役、妻は音楽教育家齋藤秀雄の妹。

渋沢智雄 篤二の三男。
澁澤倉庫常務。

 

 

↑ 稲荷社 ↓

 


壬生博子 正雄の長女。
伯爵壬生基泰(公家華族、陸軍軍人)の妻

渋沢正一 正雄の長男。
アジア経済研究所理事長。

鮫島純子 正雄の次女。
鮫島員重(岩倉具視の曽孫、海軍中将鮫島具重の子)の妻。『祖父・渋沢栄一に学んだこと』『なにがあっても、ありがとう』『97歳、幸せな超ポジティブ生活』など著書あり。

 


明石景明 愛子の長男。
商工中金理事。

塙百子 愛子の次女。
武蔵大学教授、塙遼一の妻。

明石正三 愛子の三男。
足利銀行監査役。

明石武和 愛子の七男。
味の素副社長。

土屋喜久子 愛子の娘。
第一ホテル社長土屋計雄の妻。

 

↑ 渋沢家先祖代々の墓 ↓

 


渋沢一雄 秀雄の長男。
アコーディオン演奏者、音楽家。

横山栄子 秀雄の長女。
三井物産、三井船舶勤務、横山鉄男の妻。

渋沢華子 秀雄の三女。
小説家。

 



尾高豊作 文子の長男。
実業家、埼玉銀行頭取。日本技術教育協会会長。

尾高朝雄 文子の次男。
法哲学者、東京大学法学部教授。

尾高邦雄 文子の三男。社会学者。
東京大学文学部教授。妻は哲学者和辻哲郎の娘。

尾高尚忠 文子の四男。
指揮者、作曲家。

 


田辺孝子 照子の娘。
本州製紙会長・田辺武次の妻。

 

 

 

曽孫
渋沢寿一 正一の長男。 
NPO法人樹木環境ネットワーク協会専務理事。

渋沢雅英 敬三の長男。
渋沢栄一記念財団理事長、東京女学館理事長、イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問。


阪谷芳直 阪谷希一の子。 
銀行家、エコノミスト、思想家、翻訳家。


穂積重行 穂積重遠の長男。
西洋史学者。

磯野富士子 穂積律之助の次女。
モンゴル研究家

岩佐美代子 穂積重遠の娘。
国文学者。


石黒孝次郎 石黒光子の子。
古美術商、レストラン経営者。

久留都茂子 尾高朝雄の娘。
東京女学館短期大学学長。

尾高煌之助 尾高邦雄の子。
経済学者。

尾高惇忠
尾高尚忠の子。作曲家。

尾高忠明 尾高尚忠の子。
指揮者。

河野典子 土屋喜久子の娘。
河野雅治駐ロシア特命全権大使の妻。

大川慶次郎 大川照子の子義雄の子。
競馬評論家。

諸井勝之助 尾高文子の娘アヤと永田甚之助の子。


諸井貫一(渋沢家・尾高家の遠戚)の婿養子。会計学者。


玄孫
渋沢健
智雄の長男芳昭の子。シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役、コモンズ投信会長。

長谷川三千子
市河晴子の娘である三枝子と野上耀三の娘。哲学者、評論家。

鮫島弘子
鮫島純子の孫。 andu amet(アンドゥ・アメット)代表取締役兼チーフデザイナー。2012年、日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、2013年、APEC若手女性イノベーター賞。

鮫島圭代
鮫島純子の孫。美術ライター、翻訳家。

来孫
橋本岳
中村八重子の孫久美子と橋本龍太郎(政治家)の子。衆議院議員。

 

 

エピソード
日本を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として日本銀行券(紙幣)の肖像の候補者として何度も選ばれ、日本銀行券C千円券(1963年11月1日発行開始)では肖像候補として最終選考にまで残ったが、当時は偽造防止のため肖像には髭のある人物を使っていたことから、髭のない渋沢を採用することは難しく採用されることはなかった。

この際に作成された候補案のデザインはお札と切手の博物館で展示されている。

後に偽造防止の技術が向上し髭の無い女性も使えるようになったこともあり、2024年度上半期に執行予定されている紙幣改定により一万円札に、渋沢の肖像が採用されることになった。

1902年から1904年にかけて大韓帝国で発行された初期の第一銀行券の1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていた。

ちなみに、この第一銀行券を「一国の紙幣が日本の民間銀行の銀行券を使用しているのはいかがなものか」と韓国独自の中央銀行(後の朝鮮銀行)へと切り替えたのは韓国統監時代の伊藤博文である。