歴史
大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。


 


関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。この震災以降に子供むけの娯楽場へと変わり、鬼退治、木馬、豆汽車などが人気であった。

戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、事実上閉園。

1939年(昭和14年)、須田町食堂(「聚楽」)が買収し、名称も「食堂遊園地浅草楽天地」に変更。


ぴょんぴょん(子供向けフリーフォール)
スイスのGiovanola社が開発した、遊園地に設置されているアトラクションの一種。



同じくスイスのインタミンによって全世界に販売された。いわゆる絶叫マシンの中で垂直に落下するというのが特徴である。

 


第一世代と第二世代があり、第一世代は、リフトタワーの基部に角度のついた支柱があることで識別することができる。

 


第二世代では、タワーの構造がより合理化された。1990年代にドロップタワーが開発されるまでは主な遊園地、テーマパークにはほぼ設置されていたが、その後は、ドロップタワーなどと入換が行われ、見かけなくなってきている。


 


なお、身長42インチ(107cm)未満の乗客は利用できない。





パワースポットしあわせ橋
振り向かずに渡り切ると願いが叶うと言われている

 


説明板には
「花やしきにご来園下さいました全ての皆様が幸せになりますようにと思いを込めてこの橋を架けました。どうぞご自由にお渡り下さい」と。


 

 


洞窟……………?。
イルミネーションが点けば綺麗かも。

 


此処を抜けると、カーニバル(小型旋回アトラクション)が見え、ローラーコースター乗り場へと通ずる。


松竹によって合資会社浅草花屋敷が設立され、天野鉄男が支配人に就任。

劇場や映画館と共に再度遊戯施設「劇場楽天地」が設けられたが、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。


 

↑ スカイシップ乗り場へ ↓

 


終戦直後、敷地内は不法占拠されていたが、1946年8月に東京都から合資会社浅草花屋敷に対する借地権の回復が認められる。

それでも不法占拠は継続されていたが、天野は当時、あらかわ遊園や豊島園も受託していた実績があった東洋娯楽機の山田貞一に共同経営を持ちかけ、山田の尽力で何とか敷地が回復。

 

 

↑ スカイシップ乗り場と花壇 ↓

 


1947年(昭和22年)春に遊園地「浅草花屋敷」として再開園。2年後には東洋娯楽機に経営自体が委ねられ「浅草花やしき」と改名。

のちの花やしきの園長を務めた高井初恵(山田の娘)の夫である高井清が支配人に就任した。