↑ 遠見番所から関所の外へ出入り出来る通用口 ↓
戦国時代
足軽は戦闘の主役ではなかったが、戦国時代を迎え集団戦が本格化・大規模化していくと、訓練された長槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され備の主要な部隊として活躍するようになる。
足軽の兵力が戦を大きく分けると言われるまでとなった。
戦国時代後期には地位も向上して足軽大将の家禄は、200石から500石程度で中級の武士として認められる存在になった。
兵卒の身分は依然として武士と農民の間に位置して低かったが、功を認められれば侍や特異な例ではあるが豊臣秀吉のように大名にまで出世する者もあった。
足軽は最前線での戦闘担当者であり、当然色々な武器を取り扱った。特に鉄砲が伝来してからは部隊編成が大きく変化したが、戦国期にはざっと以下のような足軽組織が存在した。
↑ 遠見番所の外と内を隔てる柵 ↓
↑ 足軽が足軽番所から、遠見番所へ毎日上り下りした石段 正面は大番所 ↓
大番所
関所の一番主要な建物です。二棟が継がれている建物で、街道側が大番所、湖側が上番休息所と呼ばれています。
共に栩葺(とちぶき)と言われるうすく割いた杉板を重ねた屋根を持ち、また外観は、渋墨で塗られた黒い建物です。
↑ 足軽番所からから見た遠見番所 ↓
弓足軽
一番歴史の古い組織であり、戦国期の合戦においては主として鉄砲隊の射撃の隙間を埋める際や弾薬が尽きた場合に用いられた。
また天候に関係なく使えて連射が利くため短距離戦の飛び道具としてもまだまだ有効であった。
しかし、鉄砲伝来後は主役の座を奪われ、戦国末期になると配備数も鉄砲の方が多くなった。
鉄砲足軽
鉄砲は伝来後、次第に合戦の主役となった。
価格が高く一度撃てば次に発射するまでに手間と時間が掛かり、当初は命中精度も低く大雨の日には使えないなどの欠点はあるが、その威力は強力で一斉射撃の際に発する大音響と黒煙には大きな威圧効果もあった。
ちなみに鉄砲足軽隊を率いる役職は鉄砲頭と呼ばれた。
長柄足軽
長柄は槍の別称で、室町時代になると武者たちは弓より槍を用い始めた。
鉄砲伝来以前は白兵戦では槍が主役であり、「一番槍」「○本槍」という言葉があるように、長柄足軽隊を指揮する者は特に勇猛な人物が選ばれ、長柄大将あるいは槍奉行(槍大将)と呼ばれた。
徳川家の大久保彦左衛門忠教などが有名である。
旗指足軽
大名あるいは大将の軍旗を持つ役目を務める。
戦闘員ではないが名誉の役とされ、敵に狙われることも多いため勇猛でたしなみも備えた下士が任命された。
旗一流れにつき三人一組でこれを支えたとある。この隊を指揮する者は旗奉行と呼ばれた。なお軍旗の代わりに馬印を持った足軽もおり、こちらは馬印持(足軽)と呼ばれた。

箱根関所の厩
馬を飼っておくための小屋。馬小屋。厩舎きゆうしや。


上番所下雪隠
便所のこと。関所勤務の役人専用で、旅人は利用できませんでした。
芦ノ湖に面していますが垂れ流しではなく汲み取り式です。




















