歴史
 
 
 
 

大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃だが、この頃はまだ通例の大嘗祭(=新嘗祭)と践祚大嘗祭の区別はなかった。
 
通例の大嘗祭とは別に、格別の規模のものが執行されたのは天武天皇の時が初めである。
ただし当時はまだ即位と結びついた一世一度のものではなく、在位中に何度か挙行された。
 
律令制が整備されると共に、一世一代の祭儀として「践祚大嘗祭」と名付けられ、祭の式次第など詳細についても整備された。
 
『延喜式』に定められたもののうち「大祀」とされたのは大嘗祭のみである。
 
また、大嘗会(だいじょうえ)と呼ばれることもあったが、これは大嘗祭の後には3日間にわたる節会が行われていたことに由来している。
 
また後には通常の大嘗祭(=新嘗祭)のことを「毎年の大嘗」、践祚大嘗祭を「毎世の大嘗」と呼び分けることもあった。
 
元来、記紀では大嘗・新嘗は、「祭」とも「会」とも称されていない。単に「大嘗」、「新嘗」とだけ記されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

画像認証は1とか7など間違い易いのでコメントをスルー致しますが悪しからずご了承ください。
 
写真 2
西神門(にししんもん)
大嘗宮りの中心部分を長方形に仕切る紫垣の東西南北及び雨儀御廊下の中央に設けられた五つの門のひつとーつ。
 
写真 5 6 7 8 12 13 
膳屋(かしわや)
神饌を調理した建物、ここから主基殿(すきでん)まで、それぞれ行列を立てて、神饌をが持ち運ばれた。
 
写真 9 10 11 13 16 17 18 21 2 22 23 25
主基殿(すきでん)
主基殿供饌の儀において、天皇陛下が神饌をお供えになり、御拝礼の上、御告文をお奏しになり、自らもお召し上がりになった建物。
 
写真 11
左から
楽舎(がくしゃ) 
楽師が、奏楽(そうがく)を行った建物。
 
庭燎舎(ていりょうしゃ)
庭火を焚いた建物 
 
衛門幄 
小忌幄舎(おみあくしゃ)
男子皇族が参列された建物。
 
写真 13
左端・雨儀御廊下(うぎおろうか)
儀式中に天皇陛下がお通りになった、屋根の付いた廊下。
 
写真 15
廻立殿(かいりゅうでん)
大嘗宮の儀に先立ち、天皇皇后両陛下がお召し替えなどをされた建物。
ここから右の雨儀御廊下を進み悠紀殿(ゆきでん)や主基殿(すきでん)などへ。
 
写真 19
桃華楽堂(とうかがくどう)
香淳皇后の還暦を記念して皇居東御苑内に建てられた音楽堂。
 
写真 20
江戸城天守台
天守を築く土台として、周囲より高くつくった所。多く石垣を組んで築かれる。
 
写真 その他
大嘗宮を右回りして見た様子。