仕事での難解な案件を相談したときに言われたことです。


「大変な案件だとは思うけど、そのぶんやりがいはある案件だね‼️」

と言われて、その後の進め方についてのアドバイスをもらいました。



その後に・・・

(私が事故に遭ってから、行政書士試験合格までの経緯を記した手記「第52回NHK障害福祉賞、優秀賞作品」を読まれてからの言葉でした。)


「田端くん!どっかで講演はやってるんだろう?」


→「1年に1回くらいで、自身の体験全体の概要と、そこから感じたことを伝えてます。」「私の体験が濃すぎて、全体を伝えると薄っぺらくなってしまっているのが現状です。」



「どんなこと・どんな人に対して伝えていきたい?」


→例を挙げると「記憶する方法や記憶の捉え方」は、認知症の予防を考えている人に限らず、私も国家資格の勉強をしていたので、そのような勉強されている方に伝えていければと思います。

他には、「モチベーションの維持方法」勉強してもどんどん忘れてしまう恐怖と戦いながら・・・

など本で「これだっ!」と思えたものを、自身で試して(実験と呼んでました)感じたことや変化があったことをメモ(紙に記憶させる)して、記録がたまったら続けていくのか判断していたことも可能であれば伝えていきたいです。


・・・と、長くなりましたが私自身の気持ちを伝えました。


「君の体験は、誰もが体験できることじゃないから、もっと積極的にアピールすべきだと思うよ❗️」



と背中を押してもらったので、今に至ります。


まだ、実際の講演回数が少なく改善の余地が多々あるのが現実ですが、それでもわかりやすく求められているものを伝えていきたいので、もし、このブログをみたら考えてもらえると嬉しいです。


よろしくお願いします🙇🏻


日常のワンシーン


ある日、子供が手の指先をヤケドした後に言った言葉

・・・指先をしっかり冷やした後に、絆創膏を貼ってからのことです・・・


「右手じゃなくてよかった❗️」

・・・学校で勉強するときに文字を書けるからよかったという意味だったようです・・・


「よかったね☺️」

と、私が言ってから続けて言った言葉😙


「もし、右手だったらどうする❓」

「・・・」



「パパは、どっちも使えるから大丈夫だよ😊」

と言って、右手と左手で文字を書きました。


少しビックリした様子で、自身も左手で鉛筆を持ち文字を書こうとして・・・なんとか鉛筆は持ててもうまく文字が書けないことに気付き

パパすごい‼️


障害を克服する過程で身に付けた左利きを、自慢に思えた瞬間でした☺️


子供は、左利きの練習をするとは言っていましたが、そっと見守りたいと思います🥰



本日は、飯塚市の「菰田地区認知症声かけ訓練講習会」

にて私の体験から学べたことの一部をお伝えさせていただきました。ニコニコ



私は認知症ではないけれど、高次脳機能障害にも同じような症状があるということで、飯塚記念病院・認知症医療センターの方から声をかけていただきました。



講習会中も、参加者からの質問に時折答えていただき、私が伝え損ねていた内容も、その方からの質問のおかげで伝えることができました。



こちらでお礼を述べさせていただきます。

ありがとうございました‼️



私から伝えた内容に多々反省点があるため、どのように修正することで改善できるのかを試行錯誤していきたいです。



本日参加していただいた皆様、運営側の皆様ありがとうございました。

久々の更新です。😅

福岡県久留米市が毎月発行している、広報久留米の1月号(p17)に掲載してもらいました!

交通事故により、高次脳機能障害・身体障害となりながら記憶のリハビリのつもりで始めたのがきっかけでした。


いくら勉強しても記憶できない自身の障害に苦しめられながら、気晴らしに外へ出ても、身体障害や高次脳機能障害に対する周囲の対応にまた苦しむような時期が始まりでした。

周囲の人や本のおかげで、前向きになることができ、努力を続けて現在に至ります。


そんな私の体験や、私が参加している条例をつくる会の皆さんの意見を条例に反映できるよう働きかけております。


障害の有り無しに関係せず、過ごしやすい久留米市にできるよう、まずは条例の完成に全力で向かって行きたいと思います。

 あるとき、右半身を引きずらずに歩くトレーニングを、またいつもの場所(天神)でやっていたとき、ふと、周囲(すれ違う人たち)に目を向けてみた。目

 

 すると、具体的な名前までは出てこないにしても、すれ違う人みんなが見覚えのある顔に見えてしまった。(「おれ、こんなに知り合いいたっけ?」)!?

 

 そのときは歩くことに一生懸命だったため、すれ違う人みんなが見覚えのある顔だということまで考えることができなかったんだと思う。

 

 帰りの交通手段は、電車とバスでどちらも疲労で座りながらほとんど寝ていた。

 

 バスの車内で目覚め・・・あれ!?!?

 

 天神ですれ違った人、みんなが見覚えのある顔だった!と ビックリはしても、またバスの車内で寝てしまい、ビックリしたことを忘れて、同じことを繰り返していた・・・結果として、私の記憶にある人の顔にも記憶のシャッフルが影響を与えている(顔の輪郭のなかに色んな人のパーツ(目・口・鼻・耳など)が組み合わされてしまう)と実感することができた。

 

 しかも、その全て(色んな人のそれぞれのパーツ)をぼんやりと認識していたことに加え、記憶のシャッフルの影響で、すれ違う人みんなが見覚えのある顔に見えたんだと私なりの解釈をしている。

 

 そう思ってからは、人の顔をあまり認識(記憶)できなくなってしまったような気がする・・・。もやもや