Facebookとかぶっている部分もありますが、まずはおしらせ。


先週7月25日の午前10時10分に、母小島美智子が間質性肺炎による呼吸不全により還らぬ人となりました。

81歳でした。

26日の仮通夜、27日の本通夜、28日の告別式と、本当にたくさんの方々に来て頂き、ご香典、ご弔電、お花など頂戴致しました。
本当にありがとうございました。
日にちの関係で通夜が遅れてしまいましたが、賑やかで人が大好きな母でしたのでよりたくさんの方々に見送っていただくことになり、喜んでいる事と思います。

倒れる前より認知症が進行しており、平成20年に脳出血にて倒れてから4年半、半身麻痺にて入院生活を送っておりました。
穏やかに過ごしておりましたが、昨年の8月に再び脳出血を起こしました。
それからはなかなかに気の抜けない状態でありましたが、本人の強い生命力と生きたいという意思により、一年を一緒に過ごす事ができました。

認知症を発症してからここまでの間、母子ふたり力を合わせてベストを尽くし闘い抜くことができたと思っております。
ようやくゆっくり休んでもらうことができるかな。

また、看病していた期間、励まして下さった皆様、仕事や芝居の方面で多大なるご理解・ご支援をくださった皆さま方には、心よりお礼申し上げます。改めておひとりおひとりお礼に伺いますね。

この二週間母のことにかかりっきりで、一部を除いてはいろいろなことをお休みさせていただいておりました。
周りのミナサマには本当にご迷惑、ご心配をおかけしました。
母ひとり子ひとりですので、ほとんどライフワークでもありました病院通いがなくなって、急にガクンと来てしまいそうで、昨日から稽古に、今日から職場に復帰しています。


何度ももうダメだと言われていた母でしたが、驚異的な生命力で盛り返し、今年の6月にはなんとICUから一般病棟へ戻るという信じられない回復をみせました。しかしそこから急に肺炎を発症してしまった訳なのですが…。。。

病院の先生からも、「小島さんは…本当に頑張りました!」看護師さんたちからは「もう悔いはないよね」と言われる程粘ってました。母。
今回の肺炎も、今日か明日かと言われてから一週間頑張りまして。もうこのまま永遠に生き続けるんじゃないかと思った程です。
本当に彼女は全力を出し切って生ききったなあと思います。


私は独身ですし、一人っ子ですので、葬儀に関してはイナダ夫妻や奈々が実行委員会(?)となってくれました。
そしてイナダ組やイレブン☆ナイン、ほかお芝居関係の仲間たちにすべてを手伝ってもらいました。
こんなありがたいことってあるでしょうか。

納谷さんは何度も来てくれて「オカン、オカン」と一番母に愛情もってたくさん話しかけてくれたし、江田君には火葬場へ親戚を乗せていく運転手もやってもらい、お骨も拾ってもらいました。
制作の中村さんや岡田さんを始め、制作陣はずっとしっかりと受付にいてくれたし、千夏さんやデグや坂本は泊まってお線香の番をしてくれました。
イナダ夫妻や奈々には親族以上にすべてをやってもらって…もう感謝の言葉を言っても言い切れません。

そして仮通夜では、たくさんの、母に会った事もない私の仲間が、遅くまで残って賑やかに母を偲んでくれました。

不謹慎な言い方かもしれませんが、温かくて楽しいお式をあげることができたと思います。
母もきっとそう思ってます。

すべてが終わったあと葬儀屋さんに「小島さんはたくさんの良いお仲間に囲まれて幸せですね」と言われました。
遠方から駆けつけてくれた親戚たちも驚いていました。
もちろん母も驚いてると思います。

はい。本当に。幸せです。

私は独りで抱え込むことができない性格ですので、この数年、ことあるごとにいろんな方々に相談したりして、励ましていただきました。
ダメですね(笑)でもみなさんありがとう。

ここからは皆さんに恩返しをして生きて行く人生を送ろうと思ってます。

そして母が応援してくれた仕事もお芝居も、いままで以上に頑張っていかなければな、と思いますね。

わたしは父も母も、お別れは早かったものの、二人とも病院のベッドで手を握ってその時を送り出す事ができました。
これも本当に幸せなことですよね。感謝です。


さて、ここからはお寺で不思議と明るくいられた分、ドカンとくるんだろうと思います。
悲しみという言葉では言い表せないようななんというか大きな感情。
これまでの母との年月。感謝。後悔。自責の念。
我慢せずにまっすぐに受け止めて行こうと思います。


最愛のママ。
おつかれさまでした。
生んでくれてありがとう。
親不孝な娘でごめんなさい。
これからはパパと一緒にゆっくり休んでね。