6月16日(日)に一橋大で実施された日本女性学会の今年度大会の後に、表題のワークショップがあると言う事で、参加してきました。

 

ワークショップとは言っても、トランス女性を女性と認めたくない人の参加は見込めないだろうから、内容にはそれほど期待しないで(すみません)の参加でした。それでもこのタイミングで女性学会の枠組みでこういったワークショップを企画された方への敬意を表したかったから(ツイッターでトランス女性差別に先頭で声を上げている方々なので)。

 

現状、何が起きているかの共有を中心にした内容ではありましたが、参加して良かったと思えるものでしたし、70名の会場に数十名の立ち見参加者が出る状態だったのも、この件に関しての問題意識が思った以上に共有されつつあると感じさせてくれるものでした。

 

 

いくつか納得できた話、気になった話題を共有します。

 

・トランス女性へのミスジェンダリングをする人は、そもそも女性の多様性を認めない人が多い

 →これについては、女性専用空間で女性から性的加害に会ったシス女性の方からも発言がありました。男性器が付いているのではないか、と疑われたのが理由だったそうで、トランス女性の女性専用スペースから排除しようとする事はシス女性の安全も損なう、とおっしゃってました。

 →女性トイレを使えないで困っているのは(トランス女性よりはむしろ)シス女性で“普通の”女性規範に合わないとみなされがちな人が多いという論文もあるそうです。

 

・学者、准教授などの肩書のある人がトランス女性差別に加担しているが、それに対する学術系の人の声が小さすぎる

 →個人的にはこれが一番気になっています。

 

・ほとんどの埋没トランスジェンダーは一般の人にはわからないので、そもそもの問題の立て方がおかしい。

 →個人的には違和感がありました。そもそも完全に埋没できるのかという問題は別にしても、埋没できないトランスジェンダーを置き去りにする話につながると思うので。

 

 

予想外だったけれどとても良かったと思うのが、トランス女性を女性専用スペースに受け入れることに対する違和感を表明する立場の方も(多分ごく少数ですが)参加されていたこと。その方の発言から。

 

・混乱している女性が多いのではないか。自分自身や自分の子供の安全をどう確保したら良いのか不安に思うのが自然ではないか。そういった素朴な疑問に明確な答えのないまま、差別だと言われても納得できない。

 →このあたりは、信頼関係のないツイッターでの議論の限界だと思います。排除・差別が主目的になってしまった人が多数いる中では、実際の運用の話はできないのが辛い所。一般論としてどういった人を受け入れてどういった人なら排除して良いか、と言う事になりかねない。

 

素朴な疑問、素朴な恐怖感と言うのは、差別の原動力でもあって。「理解させて欲しい」というのは、「理解できなければ認めない」の裏返しになりかねないし、“素朴な恐怖感”で多数の命が失われた例は枚挙に余りあります。ただ、排除のレトリックとして疑問・恐怖を掲げる人と、対話で理解したいと思っている人を見分けられない現状には何かするべきだと思いました。そういう意味では、わたしの前回のブログで触れた「理解しあえるイベントとか合ったら良いね」と言っていたレズビアン女性に対する、わたし自身の“素朴な”恐怖感も問題です。

 

 

一番納得できるなと思ったし、わたしがはっきりと言語化できていなかった部分を明言してくれたのは、一番最後に発言した方。ヘイト団体の集会へのカウンター活動をされている方でした。

 

・人権の問題は一歩も引けない(引いてはいけない)一線。トランス女性が女性用トイレを使えるのも人権問題。それはそれとして、現実的にはトランス排除は社会では普通の事だし、権利はないがしろにされている。でも、その中で自分の状態に合わせた施設を使っているのが現状です。ただ、在日外国人へのヘイトがネットで沸き上がった時に「あんな変な意見は放っておけば良い」と多くの人が思っていたから、現実社会にヘイト集会が盛んに開かれる状況を生んでしまった。トランス差別についても今声を上げることが必要。

 →時間切れだったので、きっと彼女が言いたかったことを私なりに補足すると「原理原則としての人権を認める事と、実際の運用がすぐにどうなるかは別問題で、そこを一緒に議論しても仕方がない事だ」とわたしも思います。実際に反差別活動をしている方の発言は重いし説得力がありました。

 

 

あとは、個人的な収穫の話。アジア女性資料センターが発行した「女たちの21世紀(特集:フェミニズムとトランス排除)」と言う刊行物を会場で買えたこと。アマゾンとかでは買えなかったので(どうも今はアマゾンでも買えるらしいです)。早く読みたいけれど、電車で読んだりするとその場で泣いちゃいそうなので、時間のある時に家で読むつもり。