朝から集会場の掃除当番だった。
今日は弁当を作らなくてもいいので、
朝寝坊したかった。
しかし、大人の事情で出来なかった。

勿論参加されない方もおられたけど…
いつからか人と合わせる生き方を選ぶように
なった。それが人間関係をうまくするやり方
と自然となった。

参加しない人が悪いとは言わないが、
自分にはその勇気がない。
人にとやかく言われるのが嫌なのだ。
人と同じにしていたら、文句を言われない。

なぜ殆んど使用しない者が掃除をするのか?
使用した人がすればいいば話は早い。
それか掃除の代金を頂くなら文句はない。

朝早くから掃除し、ペットボトル1本のお茶を
頂くだけ。なんかわりの合わない。
朝から気分が良くなかった。

心清い人ならボランティアだからとか
掃除をして清々しいと思うのかもしれないが、
私はそう思わない。

みんなですることは本当に正しいのか?
ただ都合よく使われたのではないか?
時々疑問に思う。

世の中の事にしてもそうだ。
政治家が言う事が全て正しいわけではない。
種子法にしても農家は大イメージを食らう。

なぜそんな法律にしたのか?
農家の人の意見など聞く耳を持たないのか?
一番困るのは農家の人なのだ。
その次に困るのは我々消費者なのだ。

いつも大事な案件の時にマスコミが違うことで
騒ぎ、国民がそっちの方に目をやっている間に
決まってしまう。

今はコロナの事に気がいっている間にまた
おかしな案件が決まるかも知れない。
やっぱり自分を守るのは自分なのだ。

自分自身さえ守れないと心が折れて壊れて
しまう。私のようにブログで自分の思いを
語るのも自分を守るすべなのだ。

心がもやもやする時は人に話を聞いてもらうか
ブログなどで思いを語る。1度文字に落とす。
つまり文章化すると冷静に自分を見られる。
書く事は素晴らしい。

だからメモ術や開運ノートが流行るのだろう。
それは自分の心の声を聞くことになる。
我慢が美徳の時代は終わった。
自分に素直になることが大切。

違和感を感じたら、それは心の声が違うと
教えてくれている。
しかし沢山の人がその声を無視している。
だから、生きにくい世の中になった。

子供の頃のように自分の心の声を聞き、
生きやすい人生を歩もう。