森博嗣の臨機応答変問自在という本を読みながら同じく有限と微小のパンを読んでいない事に気がついた。

悔しい。

もっと臨場感をだすなら。

ぐやじい、ずびー

ずびーは鼻水の音。あまり気にしないように。

S&Mシリーズは読んだものと思ってたのに。

今すぐ買いに行こうと思ったけれど、お金がないので買えない。

そこいらへんも含めてやっぱりひたすら悔しい。

けれども、読み終えたと思っていたシリーズを新しく読めるのはやっぱり嬉しい。

ここいらへんが二十歳の青春と曖昧な時期に揺れ動く悲しくも仄かな感情を実感する。

どうして気づかなかったかなぁ。

最終巻なのに。

今日鳥籠荘の今日も眠たい住人たちという本を読み終えたので続きと一緒に買おうと思う。

それから最近思ったのだけど、ライトノベルって面白い。

1人の作家しか読んでいないのだけど。

でもやっぱりあの表紙はどうにかしてもらいたいなぁ。

買うときに若干顔を赤らめて俯きながら

こんな表紙の本だけれど、僕は表紙などではなく純粋に小説を読みたいだけなのですよ
あまりそんなじっとその本をみないでください

などと佐藤佳代おそらく23歳に心の中で呟く。

これはエロ本を買うより緊張するなぁと思う。

そんなことよりも次は何の本を読もうか。

本棚の中の未読ゾーンをあさくる。

喜嶋先生の静かな世界は残しておきたい

このままの流れでキーリを読むか

はたまた目薬αで殺菌しますを読むか

それとも軽く赤川次郎か椎名誠か

いやいや宮部みゆきか

そんなことを考えながらキラレ×キラレを手に取る。

はぁ~

悩み多き二十歳。

そんでサバをよみたがる二十一歳

ふむぅ。

今中国問題についてテレビで話し合っている。

僕はあまり中国が好きではない。

何が嫌いなのかと聞かれると困るのだけれど、中国の人が話す日本語のテンポもあまり好きではないし、少々ガンコなところも、あの中国独自のガサツで大雑把で怒涛に満ちた気風というものも僕には合わないように思う。


けれども、やっぱりそういうことは他の国の人も日本に対して同じような気持ちを持っているのだろうなぁ。


結局のところ、マナーが悪いとかそんなことは議論するだけ無駄な気がする。


その国の文化があるわけだし、その国の歴史があるわけだ。そんななかで、日本ではこの国の人のここが悪いあそこが違うなんていうような違いを責めるようなことはことは、「目玉焼きには醤油かマヨネーズか塩コショウか」ということと同じ気がする。

それは育った環境で違いがあるわけだし、国際的にはどうなのか分からないけれど、少なくとも僕はそれで迷惑は感じていない。



大体において、テレビで中国のわるいところをひたすら放送するのは反中教育とは違うのだろうか。


中国に留学している古い友人を思い出した。

彼は中国が好きで、大学に入ってからは事あるごとに中国に行っていた。

きっと、中国の気風が友人にはぴったりと合っていたのだろうなと思う。

以前一年ぶりに友人と呑みに行ったときになんだかとても幸せそうに中国に留学することを話していた。


「俺はさぁ、中国人に生まれればよかったんだと思うんだ」


その日二本目となる黒霧島を空けて友人は言った。

僕は自分で若干の酔いを自覚しながらも、それは残念だったと短く相打ちをうった。


「あぁ、どうも俺にはあのコノヤロ的に騒がしい喧騒と少しばかりガサツなその人たちが好きみたいだな。」

「ふーん、まぁ俺にはよく分からん。とにかく気をつけろよ、何があるか分からないから」

あぁ、分かったと言った友人は本当に嬉しそうに笑った。


案の定尖閣諸島なんていう問題が出てきたのだけれど、あいつのことだからまぁ何とか上手くやるだろう。


テレビでは相変わらず尖閣諸島だとか海老蔵だとかで騒いでいるけれども、結局は僕に直接関係することはないので、引き続き「東京タワー」を読むことにする。

しっかり考えるということは難しい気がする。


考えるだけなら誰にでもできるのだけど

考えた事を周りに見せるということも大事になってくる。

反省することと同じ。

自分で反省して

自分で繰り返さないように努力する。

それが一番重要であり、必要なこと。

でも結局、周りに自分が反省していることを伝えないと自分が反省しているかどうか分からない。

逆に、周りからみて反省していればその場は許される

つまりは周りが重要になってくるわけ

けれど、

それでも自分の考えている事を他人に安易に話すのは間違っている気がする。

それは一人一人が自分で考えないといけないことでもあるし

僕の考えに基づく情報が間違っている、あるいは足りないかもしれない。

そして立場もある。


つまりはソイツが自分で考えられるように僕は導くべきなのだ。


僕自身は何も考えていないふりをして

そうしてソイツが自分で考えることによってこれからの組織を運営し

ソイツ自身が成長し

周りからの信頼を得るべきなのだ。

そう思っているのだけど


それでもやっぱり僕の元カノが

あの人はいろんなことを深いところまで考えていて、そんなところが好きだわ

なんて言ってると

なんか心の中がモヤモヤして

ウジャウジャして

いけないものがこみ上げてくる。

俺はこれだけ考えているんだよ

でも見せてないんだよ

そんな見栄を張りたくなってくる

でも周りからすると、考えているように見えないて

あぁ、コイツは考えていないんだなぁ

ってなって、

なにをいっても口先だけになってしまう。


くやしいなぁ

そう思う僕は未熟なんだろうなぁ