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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(253作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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★2月11(日)、下記作品が無料購読できます

小説短編集 【58】ジュークボックスのある風景(原稿用紙30枚)


※柚季は朝から窓の向こうで流れ過ぎていく白い雲を漠然と見つめていた。とにかく身体が重かった。ベッドの上で自分の身体を起こすのさえ思い通りにならなかった。昨日柚季は1ヶ月前に亡くなった岡崎市の祖父の家から東京の自分の家に戻っていた。
 
 身近で大好きだった祖父の死という非日常的な時間が続いたこともあって、柚季は大学生活最後の夏休みを実に精神的には不安定な状態で過ごしていた。柚季の亡くなった父親の実家だった祖父の家には、それこそ小学生の時まで父親に連れられて学校が長い休みになる度に帰省していた。
 
 当時ミュージシャンとして忙しい日々を過ごしていた父親は祖父母に柚季1人を預けたら、すぐに仕事のために東京に戻って行っていた。祖父母は岡崎市で2人が若い頃から始めていた喫茶店を営んでいた。小学生だった柚季には不似合いな場所であったが、何故かしら柚季には大好きな場所だった。
 
 ところが柚季が中学に入学した時に、あっけなく父親が交通事故死してしまったのだ。その時以来柚季は祖父母の家に寄ることがなくなっていた。今回柚季が岡崎に立ち寄ったのは、それこそ祖母が3年前に亡くなった時に葬儀に参加するために立ち寄った時以来だった。
 
 そんな柚季の気分が落ち込んでいたのには理由があった。それと言うも気がかりな内容の話が、先週末に母親の所へ岡崎市にいる亡くなった父親の親戚から届いていたのだった。親戚からは祖父母が長年営んで来ていた住居兼用の喫茶店を処分するという事だった。
 
 ついては喫茶店や家に残っている物の中で、欲しいものがあれば取りに来て欲しいと親戚は連絡してきたのだった。それこそ3日前に柚季は母親と2人で、久しぶりに父親の実家に立ち寄ったのだった。幼い柚季が多くの時間を過ごした建物は、まるで時の流れが止まっていたかのように柚季の記憶の中の建物のままだった・・・。


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・・・。


小説短編集  【59】君と僕とのタイムカプセル(原稿用紙30枚)

※ 大智が東京に戻って来たのは8年ぶりのことだった。8年前4年間過ごした東京の大学を卒業して大智は札幌の実家に戻っていた。大智が大学卒業後実家に戻ったのは、東京の大学へ進学した時の約束だったからだった。それというのも実家で老舗の文房具屋を営んでいた両親は、当時札幌市内の大学への進学を希望していた。
 
 そんな両親に対して大智は必ず大学卒業後は札幌に戻って文房具屋の仕事に就くことを約束するから、東京の大学で大好きな映画制作を学びたいと強く両親に主張した。高校生の大智は高校時代から自主映画製作の真似事を始めていて、自主映画製作で数々の優秀な作品を産み出していた監督を輩出していた東京の大学へ行きたかったのだ。
 
 大智は東京での大学生活のほとんどを自主映画製作に没頭した。それこそ1年生の時から様々な自主映画コンテストに応募し続けたが、大智の作品が評価されることはなかった。4年間で佳作という評価を受けた作品が数本あっただけだった。
 
 その4年間の自分の作品への周囲からの評価の低さは、大智を東京に留まらせる想いを醸成させることに繋がらなかったことは言うまでもなかった。それでも納得づくの事かと言えば、それはそれで嘘になった。それと言うのも今30歳になっていた大智には大学時代に夢中になった自主映画制作を、やり切ったという実感は希薄だったのだ。
 
 8年前札幌に戻って来た大智には、やり残したことがあったのだ。その想いが大智から消え去らない限り、どれほど時が流れ過ぎたとしても大智には新しい風景が拡がるようには思えなかった。それは自主映画製作へのやり切ったという想いだけの問題だけではなかった。
 
 それというのも東京の4年間の大学生活の中で、常に大智の目に入る所にいた一夏の存在についても同じだった。一夏は同じ大学の演劇部に所属していて、大智の自主映画製作品のヒロインに1年生の時から応募してきた。そしてそんな一夏をヒロインとして、大智は4年間の間に何本もの作品を創作していたのだった・・・。


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