おはようございます。
19日に淡路島で、紀元前の7個の銅鐸が発見されました。この事は神話の世界が、少し信憑性を帯びてきたことに繋がります。
即ち、日本書記、古事記の神話では、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「是の多蛇用幣流国(ただよえるくに)を修(おさ)め理(つくり)て固(かた)め成(なせ)」と詔(のり)て、「天の沼矛を賜ひて、言依さし詔ひき」と。ここからまだ続くのですが、最後に「其の矛の末より滴り落ちる塩、累かさなり積もりて島となりき、其れ淤能碁呂島(おのごろじま)なり其の島に天下り座まして天の御柱を見立て八尋殿(やひろどの)を見立つ、そしてこの二柱の神は大八島国を生んでいったと…。
1に淡路之穂之狭別島(あわじのほのさわけしま)「淡路島」。2が伊予の二名島「四国」。3が隠岐の三子島「隠岐」。4が筑紫島「九州」。5が壱岐島「壱岐」。6が津島「対馬」。7が佐渡島「佐渡」。8が大倭豊秋津島(おおやまとあきつしま)。日本列島の出来上がりです!
なんでこんな事を書いたかと言うと、この銅鐸の発見は、今後の古代史に大きく関わりが出て来るからです。半世紀前までは、神話の世界は『架空のもの』と一顧だにされませんでした…。
出雲の荒神谷での700本以上の銅剣発見(その後も出雲では銅剣、銅矛が多数発見)で、出雲にも王朝が存在した事が判明。銅剣銅矛は九州、出雲。銅鐸は近畿大和や四国が特に神話にも最初に出て来る淡路島には出土物の銅鐸は最古の物で、九州の志賀島「金印出土漢委奴国王(かんのいどこくおう)」【“かんのなのわのこくおう”とは読みません】などの海上ルートでの大陸交通は、出土物や文献などで解ってきていますが、それにしてもこの銅鐸の古さから言って、途方もない発見ですね。
今回の銅鐸は紀元前1世紀の物です。この事で紀元前より銅鐸、銅剣が存在したことが明らかになりました。縄文も弥生も学者が思っているより年代が遡りますね…。今後の発表研究が待ち遠しいです。
また書きます。