おはようございます。
昨夜NHKで、高野山と空海の事跡をやっていましたが、当時の僧侶は、民衆の為の仏教では必ずしもありませんね…。空海だって唐より帰国後、都へは入れませんでした。唐への留学は20年と決められていたのに、空海はたったの2年で習得し帰国してしまった。しかし嵯峨天皇が即位して空海を許し、以後空海の信奉者になってくれて、高野山への修行場の建立が許されたようです。
当時の僧侶は、自己保身と税金逃れと出世が目的で、唐へ渡った。だから貴族や皇族への献身は凄いが、一般民衆には仏教は遠い存在だったようで、鎌倉北条時代に法然上人や日蓮上人などが民衆の味方をした…。
平安以前には、僧侶は民衆の葬儀を穢れへの恐れから、葬式への関わりを避けていました。それは鎌倉時代に編纂された『飢鬼草紙』に載っています。それが僧侶「認性(にんしょう)」(1217~1303年)が、鎌倉幕府(北条氏)の要請で京から鎌倉へ来て、巷の死骸を由比ガ浜の海岸へ墓地を作り(現在も由比ガ浜海岸「鎌倉」一帯からは、人骨が多く出ています)、民衆の為の葬儀を確立したのです。その後に法然、日蓮などの民衆救済に繋がっていきました…。
良く中国、韓国が「歴史の改ざんだ」と騒ぎますが、改ざんには本当の事が存在します。しかし、本当の事って、どうすればわかるのでしょうか?当たり前ですが、当時に生きていた人間はいません…。
歴史と言っても、遡るのはせいぜい大正か昭和までですよ、生き証人がいるのは…。それ以前は文献などで知るしかないのです。坊さんも様変わりしました。現在のように酒を飲み、妻帯をするようになったのは「親鸞聖人」が「煩悩を捨てきれない」と言って妻帯して、多くの子供を作った事が最初です。親鸞の一生は信念を貫き、見事な生き様です。因みに親鸞も日蓮も武家の出です。
また書きます。