おはようございます。
人間は信じることが(特に学問)大切である…と、一冊の本を読んでつくずく思いました。中国古代史では、中国の学者は殆んど一丸となって一つの問題に取り組んでいます!日本ではとても考えられません…。何故なら、日本古代史学は学閥に殆んど影響され、新しい学説を唱えれば、大概没にされ、下手をすれば抹殺されかねません。私は多くの学者が学会から消えていった事を知っていますが、日本では何の不思議でもない事の様ですね。
『夏王朝』は幻とされてきたのが、それでも“絶対に存在した王朝である”と信念を持った学者達が、面々と何百年もの間、それこそ何百何千と言う学者が発掘やら文献(尚書、春秋、左氏伝、竹書記年、特に史記)等の研究を続けてきた。
(シュリーマンの法則ですね)決定的な武王の商征伐の青銅器の銘文が出たのです。これ程の民族が何でこんなにも世界から白い眼を向けられるのか…不思議です。そして『夏王朝』はほぼ紀元前2070年に『商王朝』は紀元前1600年に始まった、と結論されました。
夏王の傑を商の湯王が破ったのは、紀元前1562年と1579年と1751年と諸説有りましたが(文献によって違う)、商王朝開始が解った事(鳴條の戦い)で、これも決定されました。凄いですね!
日本の幕末から現在までの調査で夏王朝は存在したと解明されて、その延長で商の最後の王の紂を周の武王が滅ぼした(牧野の戦い)年代まで明らかになった。それが紀元前1046年と決定されました。これは文献や発掘された甲骨文字や金石文や放射線炭素14などの科学的検地でも証明された様です。
事の始まりは、千年も前の司馬選の『史記』にまで遡ります。その研究がやっと今、花開いたのです。日本でも宮内庁がぐずぐず言わないで、古墳の調査をさせてくれれば、もっと古代史は間違いなく解明される事は沢山あると思うのですが…。
中国は国を上げて調査をさせている。それも金まで出して…。ニ里頭遺跡は、司馬遷の言う、商の遺跡だと思われてきたのが(夏王朝)の遺跡であることも判明しました。
日本は権威ばかりを振りかざして立ち入りさえも禁止、大きな違いですね。日本の古代史は当分解明はされないでしょう。学閥の年ばかりくって権威の塊の様な学者が牛耳っている限り、若い学者は育たないし、新たな取り組みを行う事も無理です。古代史の解明は国を上げてのプロジェクトでやらなければ、近隣諸国に馬鹿にされますよ。自国の歴史も知らない国だと…恥ずかしいですよ!
また書きます。