秋を通り越して冬が来た。 | 脳溢血からのゆうき

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 生かされた人生 まだまだ捨てたもんじゃない。自信に繋がるリハビリ 頑張ろう

おはようございます。


昨夜からの寒さには驚きました。

今年は何という年でしょうか…。梅雨時には大雨で死者が出て、農作物に被害、次は酷暑でこれまた人間や作物に甚大な被害が出て、今度は台風で大雨の被害。やっと落ち着いたと思ったのもつかの間、秋の紅葉を楽しむ時期にそれど頃ではなくこの寒波!今年も雪に悩まされそうですよ。


今日は私の菩提寺の稲荷山「東林寺」曹洞宗の境内にある、河津三郎の墓やその子供の曽我十郎、五郎の首塚を写して来ました。


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そして東林寺から直線距離で70mぐらい、道路一本隔てた高台に三郎の父であり、十郎、五郎の祖父である伊東祐親(すけちか)の墓があります。


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河津三郎はご存知の様に大変相撲が強かった。現在も相撲48手の内の「河津掛け」は三郎の編み出した技です。

曽我十郎、五郎は日本三大仇討ちの筆頭の「曽我物語」富士の裾野の仇討ちです。

余談ですが私の長女が嫁いだのが、敵役になっている工藤祐恒の直径の子孫の工藤家です…不思議な縁です。歴史の話をして娘達も歴史に興味を持ったようです。当時の武家社会では、良いに付け悪いに付けお家騒動は付き物で、(前にも書きましたが)祐親は工藤家の弟で伊東の荘を預かり返さなかった。祐恒は甥ですよ…、「叔父と甥の領地争い」それが曽我物語の原点です。

上手く撮れていると良いのですが・・・・・。


また書きます。