歌に出て来る情景は失われた日本。 | 脳溢血からのゆうき

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おはようございます。


昨夜は先日放送されたNHKの歌番組をビデオに取ってあり、深夜遅くまで聴きほれてしまいました。歌は良い物ですね。唯、残念なのは童謡でも、歌謡曲でも昭和の時代と現代のとでは、かなりの違いを感じます。上手く言えませんが、何というか“詩に情緒がない”と感じてしまいます。


これは私達年代の一種の故郷に対する郷愁のようなものです。それと私達の時代には、小川があり、田んぼがあり、現代のような高層ビルや、高速道路などは無く、汽車に乗るにも新幹線はなし、何処へ行くにも鈍行で一日がかりでした。ですから当時の歌詞にはよく汽笛や霧笛などの詩が出て来るし、夜汽車などもそうですね。昔の作詞家は本当に人間の故郷に対する郷愁を上手く書いていた。情緒が豊かなのでしょうね。歌を聴いて詩を見れば、その村や、島や、列車、舟に乗る情景が頭や胸に湧いて来るのは私だけでしょうか?


私の好きな詩に日本のではありませんが、司馬遷の史記の中に刺客列伝というのがあります。その中に燕の国の太子の丹に秦の始皇帝の暗殺を頼まれた荊軻(けいか)が承諾をして易水のほとりで宴を張り、白装束で親友の高漸離(こうぜんり)が筑を撃ち、それに合わせて荊軻が「風、蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士、ひとたび去って復(また)還らず。」と詠みました。今から2200年も前のこの情景が、私の目の前にある事のようです。歌は人間にとって永遠に無くなる事は有りませんね。


昨日はテレビを見ていて円高や、株の下落に対する対応が何にも無い今の政府の無策ぶりに呆れました。腹が立ったら歌でも歌っているしか有りませんね。


今日も少し指をやります。

また書きます。