食中毒はこれからの季節。 | 脳溢血からのゆうき

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お早うございます。


土曜の丑の日も過ぎ、夏本番になりましたが、食中毒が起きるのもこれからです。私の子供の頃は、梅干と鰻は一緒に食べるなとか、スイカと天ぷらは駄目だとか、良く言われました。何か根拠はあるのですかね?

徳川家では明治頃まで天ぷらを食べなかったそうです。家康が天ぷらで亡くなったからですかね?


江戸時代の古書で食物善悪書(しょくもつぜんあくしょ)というのが有るんですが、大変面白い反面、なんとも馬鹿馬鹿しい。

今は桃の季節ですが、「桃を食べて水に泳げば淋病になる」。岡山藩ではスモモとフグは一緒に食べてはいけなかった。藩士が一人スモモとフグで死んだのですよ。初代藩主池田光政は「今後はスモモとフグに当たって死んだものは跡目断絶」と宣言したので、岡山の家中ではスモモとフグがご法度になった。当時の人はフグの内臓に毒がある事を知らなかったのでは・・・・?

この本では江戸人がまことに多様な食物禁忌を持っていた事が解かります。

「鯰(なまず)は昼間食べるな」「雁(かり)は7月は虫が多く食べるな」「妊婦はヤギの肉を食べるな、子をして病(やまい)多くなからしむ」など…、冷蔵庫のない時代、科学的根拠もないけれども食中毒や寄生虫感染を防いでいたのかも知れませんね。戦国武将はよく鷹狩りに行き、獣を食べて寄生虫で死んだのですよ。

二日酔いには「シジミ汁や大豆汁、葛根湯」などと効きそうな事も書いてあります。そうかと思えば「妊娠中にスッポンを食うと首の短い子が生まれる」など

馬鹿馬鹿しいこともあります。江戸人は迷信と合理の間で揺れ動いていたんですね。

岡山藩主池田家では、蕗(ふき)を食べる習慣がなかった。何故なら池田家の祖、恒輿が小牧、長久手の戦いで戦死。一面蕗の原で首を取られたのでそれ以後蕗を食べなくなった。あるとき家臣の一人が「田んぼで戦死されなくて良かった。一生米が食えなかった」と、ずばり発言。それから池田の殿様は蕗を食べ始めたと・・・・・。


食べ物の事では有りませんが、伊東では海に行く時は梅干はタブーなんですよ。多分それは梅干は赤いので、血を見ないようにとの事だと思いますが、何も梅干でなくてもと?

こうして見ると先人の教訓は正しい事もあれば、?が付く事もしばしば。

何はともあれ、これからが益々大変な暑さが来ます。くれぐれも御気をつけて。


又書きます。