ますます解からなくなった、孫子 | 脳溢血からのゆうき

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お早うございます。


今日は少しショック(私にとって)な事を少々…。 

先日も少しだけ「孫子」の事を書きましたが、昨日大変ショックな事を平田昌司という人が書いた『孫子』で発見しました。

日本では兵書といわれているものは『六韜』『三略』しかないと…。

そうして中国では『六韜』『三略』『孫子』『呉子』『司馬法』に『尉繚子(うつりょうし)』『李衛公問対(りえいこうもんたい)』の二つが加えられて七点が【七書『武経七書』】と総称されて中国では科挙の試験に出るようになった事は周知の事実です。


唯、中国文献にも、日本の文献にも『孫子』があまり重要視されていないという事です。確かに家康などは孫子を見ずに、『六韜』『三略』を見たと…。

慶長4年(1599年)に、家康の命令で伏見版の出版が始まっています。この事も事実です。

…ならば、遣唐使で唐から吉備真備(きびのまきび)が持ち帰ったとされている『孫子』とは?吉備真備の事は言い伝えでは無く、ちゃんとした文献に残っているのですから…。

確かに平安期、鎌倉期、にも際立って孫子は出てきません。でも楠木正成や武田信玄などは、間違いなく『孫子』を知っていますよ。

これはもう一度調べて見る価値は有りそうですね。


又書きます。