お早うございます。
若い頃は誕生日というと、結構嬉しかったものですが、5月8日の誕生日で“67”になりました。
最近では年を感じるせいか余り喜びを感じません。
思い返せば…高校2年の時の夏休みに、九州へ一人で出かけました。まだ新幹線のない時代です。鈍行で二日掛かりです。
私は小学校の時から歴史が好きで神社、仏閣や古代遺跡を見るのが大好きなんです。
歴史に完全に目覚めたのが、中学一年の時に吉川英治の三国志を読んでからです。
ご存知の様に『三国志』とは後漢時代の[魏]の曹操、[呉]の孫堅、孫策、孫権、[蜀]の劉備の物語なのですが、『三国志』とは[晋]の文官の陳寿が書いた物です。
唯この人の書いた物は、司馬遷が発明した紀伝体の手法で書いたので、時代を精密に区切らなかった為に、大変解かりずらい。
後に裴松之が注をつけて、皇帝に上表したのです。いわゆる裴松之の注です。
この時の言葉が「三国の歴史は長く有りませんが、事件が漢代から晋代まで繋がっており最初から最後まで書くと百載(年)に渡る事になると…」
60年間しかないはずの三国時代が、100年にまで伸びてしまう。
そもそも『三国志』とは魏では曹操の二代目曹丕、呉では三代目の孫権、蜀では二代目劉禅の三人がそれぞれ皇帝になったとき西暦220年が始まりとされています。
劉備は223年に亡くなっています。そうして陳寿は魏の将軍だった司馬懿仲達の子孫が魏、呉、蜀の三国を平定して[晋]の国を作った時の文官ですから、色々見たり、聞いたり、正確な事は間違いありませんね。
唯これが正史なのだから解かりにくい。後年[明]の時代に三国志演義という本が出たら、爆発的人気になった。日本でいう、講談、浪曲みたいな物で、いわゆる小説です。おなじみ諸葛孔明や漢羽、趙飛、赤壁の戦いなど、大勢の英雄が登場します。
日本語に訳されて出たのが元禄2年の事らしいです。何処の国でも善と悪に分けてしまう…人間とは、面白い物ですね。
劉備は文献では大した為政者ではなかったが情には厚かった人のようです、また曹操は政治でも、文化の面でも大した人だったみたいですよ。
九州へ行った続きは明日書きます。