お早うございます。
今日は、日頃から少し疑問に思って居る事を・・・・・。
アメリカなどは、リンカーンの奴隷解放の為の戦争を南北戦争といいます。
日本では南北で表す慣習が少なく、大半は東西で表記されてきました。![]()
古くは古代に有った天皇家の後継問題の天智天皇の弟の大海女の御子、後の(天武)と天智の息子の大友の御子との戦争です。
これを「壬申の乱」と言いますが、この時大海女が吉野の戦いで負けそうになり、関東に逃れて兵を募り、その関東の兵を連れて戻り大友を破ったのです。この辺りからですか? 関西、関東と言ったのは。![]()
日本書記や古事記に出て来るのも出雲や九州と関東、関西で大別してます。
ずーっと後に太平記に出て来る、いわゆる建武の中興の後醍醐天皇と足利尊氏との南北朝、これは北に住まいした後醍醐に対して、南に尊氏が立てた天皇との対立です。南朝と北朝ですね。これが唯一出て来る「南北」ですかね。
東西で一番有名なのは関が原ですか。其の後の大阪の陣、西の豊臣と東の徳川の戦争。![]()
近代では電力会社や、JRや、相撲など…、考えると結構面白いですよ。
この様に考えると、日本人にはやはり中国古代の思想が、どうも反映している。
どう言う事かと言えば、「天子は南面す」と言う言葉があります。
皇帝が住む所や座る場所は必ず南なんです。こんな所にも何か影響があるような気がするのは、私だけですかね。それと日本列島そのものにも関係があるのかも。・・・・・・・
また書きます。