テツヲのブログ

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酔いどれ公務員の妄言日記

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なんだかものすごく評判がよいので、ダメモトで新規オープンのイオンシネマ長久手に行ってみたら、すんなり観られました。
でもって、劇場で観られて、ホントによかった。『この世界の片隅に』。

 

ストーリーは、魅力が伝えられないので割愛。
戦時中の広島と呉を舞台に、おっとりポジティブに生きる北条すずという女性を描いた物語。


何がいいってこの映画はすべてがいいところばっかりなんだけど、まずは声優ののん(能年玲奈)が素晴らしかった。
トーンやリズムが、映像とキャラクターにピッタリでした。
ちなみにこの映像、イヤミはないけど癖があって、個人的には「日本昔話」を髣髴とさせます。

 

モノがない中でも、好きな絵を描きながら、毎日ほんわか楽しく過ごしているすずは、その生活を見ているだけで楽しくなります。
しかし、空襲のたびに防空壕に籠もり、優等生の兄が亡くなってしまう状況に、戦争という現実が否応なくのしかかります。
そして後半の姪の晴美と爆撃に遭うシーンと、「はだしのゲン」を思い出させる原爆投下後のシーン。
決して微笑ましいだけではなく、しっかり時代考証がなされた、ずっしりしたリアリティが作品全体を締めています。

 

泣かせようとするストーリーではないのに、後半はずっと胸が熱くなっていました。中でも、なぜだか子どもの死で慟哭する親のシーンで胸が詰まりました。ストーリーの本質とはいえないシーンなのに。
自分が親になったからでしょうか。それとも単に年を取ったからでしょうか。今まで映画を観て涙を流すことなんてなかったのに、涙腺が緩くなっている自分に驚かされました。
そしてとにかく、「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」という台詞の素晴らしさに感激しました。

 

もちろん戦争を賛美する映画ではないし、だからといって声高に反戦を訴える作品ではないのに、観る者に戦争の虚しさと怖さを植え付けます。


子どもが大きくなったらこの映画、ゆっくり観せたいな~。

 

評価金額:1500円

今年は、いつになくアニメ映画を観に行った気がしますが、これはその中でも傑作だったと思います。『聲の形』。

 

原作は、雑誌掲載の時にすべて読んでいますが、読み切りで最初に目にしたときのインパクトは凄まじいものがありました。

 

ガキ大将の石田将也は、聴覚障害の転校生西宮硝子へ苛立ちを感じ、いたずらを繰り返す。しかしそれは、クラスの誰もが感じながらも表せない感情だった。筆談用のノートを池に落とし、補聴器を取り上げ、窓の外に投げた。しかし、補聴器がいくつもなくなることが問題となり、しかもそれが高額であることで、将也はクラスから孤立する。将也とともに硝子をいじめていたはずの仲間は、将也の教科書に落書きをし、将也を池に突き落とす。中学、高校と進級する将也は、いつしか人の顔が見られなくなっていたが、公民館の手話講座で再会した硝子に、将也は手話で「友達になれるかな?」と問いかける…。

 

この作品の素晴らしいところは、その構成。
原作で冗長だった部分を的確にカットして、見せるべき部分は丁寧に描く。
そのブラッシュアップにより、2時間の映像作品としての質が劇的に高まっている。
原作にあった映画作りのくだりとかをスッパリ切ったのは正解だと思う。
硝子の妹の結弦も硝子を守るというポジションがはっきりしていて、そのイケメンぶり(?)が際立っている。

 

将也から見る世界では相貌失認のように他人の顔にバツ印が付けられるが、それは原作を踏襲しており、ラストシーンのカタルシスにつながる。
誰もが他人に「赦される」ことを願うが、そのためにはまず他人を「赦す」ことが必要なのだというテーマを感じる。
死(特に自殺)がストーリーの重要な柱になっているが、自殺では誰も救われないことを、この作品は強く訴えている。
甘いエピソードばかりではなく、むしろ友人同士が傷付け合うドロドロした話なのにもかかわらず、誰もが自分に誠実なので、感情移入は妨げられず、むしろ誰でも誰かに共感してしまう。
しかし、不自然なまでに「父親」不在のストーリーは、最近のフィクションの流行りなのかな?

 

映像は動きも含めて文句なく、音楽も声優もマイナス要素は皆無。
であるからこそ、エンディングのaikoはどうにもそぐわない感じがして、もったいなかった。この作品には合ってないと思う。

久しぶりに胸が熱くなる良作に出会えました。

 

評価金額:1700円

2カ月以上前に観てました。
トルナトーレ監督の『ある天文学者の恋文』。

 

天文学者のエドと大学院生のエイミーは、師弟であると同時に、恋人でもあった。
エイミーの元へは、エドから不意に手紙が配達されるが、それが二人にコミュニケーションだった。
しかし、いつも通りに大学の講義中にエドからのメールを受け取ったエイミーは、その講義の中でエドが亡くなったことを知る。
亡くなってからも、エドからは手紙やメールが送られ続ける。
しかし、エドから送られるDVDからは、エイミーの秘密について述べられるが、触れられたくないエイミーは、DVDを暖炉に投げつけ、これ以上メッセージを受け取らないための合言葉を送信する。
まったくエドからのメッセージを受け取ることがなくなったエイミーは、まだ受け取るはずだった残りのメッセージがあることに後悔し、再開させるためのキーワードを探す…。

 

前作の『鑑定士と顔のない依頼人』同様、ミステリらしくないけど実はミステリといった雰囲気のストーリー。
なぜエドがいないのに、メールや手紙が送られてくるのか。
けど今回は、そもそものコンセプトが年の離れた男女の恋愛という、なかなか取っつきにくいテーマがすでにマイナス。
不倫という説明はないものの、娘より年下の学生を相手にするというのは、どうにも監督自身の妄想のように思えてしまう。

 

パンフレットでは、エイミーによる自分の父への「喪の作業」を行いながら、エドに対しての「喪の作業」に踏み込んでいく、という記述があり、なるほどと思いつつも、すでにエドへの恋心自体が亡き父を投影したファーザーコンプレックスだとすると、その恋自体が虚しい幻想に思えてきてしまう。
やっぱり、どうにも感情移入しにくいテーマであることに帰結していくわけです。

 

モリコーネの音楽はやっぱり素晴らしいし、エレキギターの旋律も新鮮ではあったけど、エイミーのバイトであるスタントシーンは、なんだかむず痒いのもを感じてしまいます。ハリウッドっぽいアクションは、どうにもトルナトーレには合わない気がするのです。

 

『ニュー・シネマ・パラダイス』はこの上なくロマンチックではあったけど、『海の上のピアニスト』や『鑑定士と~』のような、社会と適合できない特異なキャラクターを描くほうが、個人的には好きなのだと再確認いたしました。

 

評価金額:1000円

やたら話題になった『君の名は。』。

散々話題になってから観に行きました。

 

新海監督は前からいくつか作品を観ていたのですが、あんまり抑揚のないシナリオが、個人的にはそれほどハマっておりませんでした。

ただ毎回、映像の美しさは堪能してました。

 

で、今回の『君の名は。』。

どう切り取ればいいのかわからないので、ストーリーは割愛。

ただ、タイトルからわかるとおりのすれ違いもの。

しかも、そこで使われるギミックが「転校生」ばりの男女入れ替わり。なるほど。遠隔地での入れ替わりは究極のすれ違いかもしれない。

ということで、今回はこれまでになく盛り上がりのあるストーリー展開でした。

しかも、全編に流れる曲の多さ。

PVかと思えるほどたっぷりと聞かせてくれます。

きっとこれこそが、爆発的なヒットの要因でしょう。

 

聖地巡礼までやりたくなるほどハマるのは中高生くらいでしょうが、普遍的なストーリーは誰でも共感できるものです。

SFチックな部分もあるものの、初期作品ほどハードではないし。

劇場で隣に座っていたのが小学生とおぼしき男の子と、その母親でしたが、終わってからそのお母さんが号泣していました。

なんというか、それくらいの間口の広さがありました。

 

とはいえ、シナリオはそれほど緻密ではなく、いくら田舎と都会の違いがあるとはいえ、3年の違いはわからないわけないはずです。

スマホだって進化してるだろうし…。

あと、名前を忘れていく仕組みは説明不足。

何よりも、クライマックスでヒロインが父親である市長を説得するくだりを描かないのはどうなんだろう。

ただ、家族との関わりをあまり深く描かないのは、中高生に受ける理由のひとつなのかもしれない。

 

とにかくこの作品の魅力はドラマチックなシナリオにもあるんだろうけど、それよりも光の使い方が独特な新海監督らしい映像美と、何よりもRADWINPSの楽曲のよさでしょう。

新海監督の次回作が、今回ほどキャッチーな作品になるのかどうか、非常に気になります。

 

ちなみにパンフレットを買って一番驚いたのは、ヒロインの声が『舞妓はレディ』の主役の子だったってことでした。

 

評価金額:1400円

ほぼ一カ月前ですが、『シン・ゴジラ』観てました。

今さらですが、これは傑作です。

 

ストーリーはいたってシンプル。

上陸して進化する謎の巨大生物ゴジラへの、国家規模での対応を描いた作品。

つまりこれは怪獣映画ではなく、災害対応シミュレーション映画です。

ただし、そこには圧倒的な情報量が詰め込まれています。

細かいカット割り、贅沢なキャスティングでの大量の登場人物、そして何より印象的なのが早口での会議シーン。

エヴァンゲリオンのオープニングを髣髴とさせる、圧縮された情報量の多さ。

賛否両論なのは、このあたりが原因なのでしょうか。

映画館で隣にいた、中学生とおぼしき子どもとその父親は、どちらも明らかに退屈そうで、父親は中盤からずっと寝てました。

 

でも、この作品はストーリーがシンプルであることを最大限に評価したいと思います。

恋愛要素だったり、超常現象だったり、余計な人間ドラマは排除されています。

だからこそ、ゴジラという存在の絶望感が際立ちます。

 

ゴジラの造形は、どこか不思議です。

もっとリアルにできたはずなのに、あえて作り物っぽさを残しているような。

まったく深みのない眼球は、究極進化生物であるはずなのに、意志や知性を感じさせません。

行動も、ただ歩くのみ。

攻撃されれば反撃するものの、そこに悪意や攻撃衝動があるわけではありません。

となれば、ゴジラという存在が示すメタファーの正体は何なのか。

思わせぶりなラストにどんな意味があるかはわからないし、ゴジライコール「使徒」だというつもりもないですが、単純にこれは、自然災害を意味しているように思えてしかたないです。

 

トップ不在の場合の次なる責任者の位置づけ、本部が使用できなくなった場合の代替施設の検討などといったことは、BCP(業務継続計画)の基本的事項です。

ハリウッドであれば、超人的な大統領の決断ですべてが解決していくわけですが、この作品では集団で事態にあたり、集団で解決していくわけです。

そこが実に日本的で、現実的でした。

災害復興で世界が驚く日本の力が、そこにあるような気がします。

 

であればこそ、石原さとみのキャラがどうにも浮いているように感じました。

アメリカという存在をキャラクターに置き換えたときにハーフというキャラクターは使いやすいのかもしれませんが、個人的には違和感しかなかったです。

 

何度も流されるエヴァのテーマは、確信犯的ではありますが、緊迫感があり、別にイヤではなかったです。詳しくはないですが、いろいろアレンジが変わっていたような。

 

とにかく、観れば観るほど新しいことに気付きそうな作品。

続編、あるのかな~。

 

評価金額:1800円