・コミックス22巻<”いつかあなたとあえますように…”から”いい人か…マヤ…”まで>

真澄29歳、マヤ18歳

 

コミックス21巻”百万の虹”の章でボートを降りた後、真澄はマヤに「こんどの野外ステージでの劇が成功すれば、きみの演劇界復帰への足がかりになるかもしれない。しっかりやるんだな」と、言っています。しかし大都(真澄)は、この後、マヤの仲間達を、マヤ抜きでアテネ座での舞台のプロデュースを申し出ます。アテネ座に出られないとなると、マヤはまた八方塞がりになってしまいます。ではなぜ真澄は、この野外劇がマヤの”演劇界復帰”の足がかりになると言ったのでしょうか?彼はマヤに嘘をついたのでしょうか?

 

・マヤから平手を受ける速水真澄

 

「真夏の夜の夢」の大成功を受け、つきかげ+一角獣は正式にアテネ座から出演依頼を受けます。当初は300万円の資金がいると聞き、一時出演を諦めかけましたが、大都芸能から若手の演劇集団を育てたいので、我々にプロデュースさせてくれないかともちかけられます。願ったり叶ったりの成り行きに、団長の堀田や劇団の仲間達は、助言をくれたり新聞に紹介されるなど協力してくれた真澄のお陰だと言いあいます。しかしマヤは懐疑的です(速水真澄…!あの男あたし達に目をつけていたんだわ…!大都芸能の製作…あの大都の…速水真澄…いったいなにをたくらんで…あの男のもとでだけは演技したくないって思っていたのに…)

これまでの経験から、真澄が下心なく動く人間でないことぐらい知っています。マヤは落ち着きません。真澄のねらいが何なのか分からず、不安なのです。とうとうマヤは真澄に会いに大都の裏口までやってきました。彼と直接会って問質し、なぜ自分達に近づいたのか、今回の事情を確かめるためです。真澄が大都ビルの外に出ようと出口を出ると、マヤが柱の脇で佇んでいました。真澄を見つめるマヤの顔は強張って敵意に満ちており、唇はきつく閉じられています。まるで敵を強く警戒している小動物のようです。

 

「おれを待っていたのか。そろそろきみがなにかいってくる頃だと思っていたよ」マヤがどんな文句をつけてにきたのか、分かっているだろうに、真澄は平然とマヤに話しかけます。マヤは早速始めます。「あのこんどの大都のお話…あたしききました」「それで?」「速水さん!なにかたくらんでいるんじゃないでしょうね!劇団のみんなをおとしいれるようなことしたらあたし…あたし許さないから…!」悪意があると言わんばかりの、いきなりのストレートな質問に、真澄もあっけにとられた様子。顔を赤らめ、額に手をあて、はははと笑いが止まらない。「な、なにがおかしいんです!」「正直な子だねチビちゃん。きみはほんとに。すばらしいよまったく」真面目に尋ねているのに笑われてマヤは益々頭にきている様子。「あたしをバカにしているんですか?」「いやいやほめているんだよ。このおれにストレートにそんなことをいったのはきみがはじめてだ。わかった、おれも正直に答えよう。下心はなにもない。望んでいるのは仕事の成功だけだ。つきかげや一角獣の活動には前から注目していた。大都も実力ある若手演劇集団を育てたいと思っているだけだ」真澄はマヤの質問に真摯に答えます。そんな真澄の返答にマヤも納得したのか「ほんとうに?」と、念を押しています。「ほんとうに…」と、彼は答えていますが、マヤは何か言いたげに、顔を赤らめそわそわしています。真澄は「どうした?大都がかかわるのが気にいらないのか?」と、尋ねます。

今の会話から、マヤは真澄(大都)が「真夏の夜の夢」の舞台で助けてくれたように、今回も、自分達を真面目な仕事相手として、助けてくれる気になったのだろうかと、彼の誠意を感じ取ったのだと思います。喉から手が出るほどアテネ座に出たがっている仲間達の事を考えると、大都の申し出は非常に喜ばしいことです。劇場の舞台に立たねばならないマヤとてそれは同じなのですが、真澄が母の仇である手前、マヤは(少なくとも真澄の前では)嘘でも大手を振って喜ぶわけにはいきません。

 

マヤは「ええ…!だってあたし大都のもとではに2度と演技しないって誓ってたんですもの」と、彼の質問に答えます。これはマヤの本音だったかもしれませんが「大都がかかわるのが気にいらないのか?」と質問されたから答えただけで、問われなければ、マヤもこの様な意地を張るような答え方をしなかったかもしれません。そもそもマヤは、そんな事を言いに真澄に会いにきたわけではなかったでしょうし、下心なく大都がプロデュースしてくれると分かれば、大人しく引きさがるつもりだったのではないでしょうか。もし真澄がここで「君も大都には不満があるだろうが、賞を獲るために舞台に立たねばならないのだし、ここはお互いの利益を考えて休戦し、昔の事はいったん横におくことにしたらどうだね、チビちゃん?」と言えば、マヤもしぶしぶ首を縦にふったのではないでしょうか。しかし真澄は、鉄拳の一言をマヤに投げつけます。

 

「うぬぼれるな。きみは今度の企画からはずされている」大真面目な人を射すくめるような真澄の視線が厳しい。わたしはこれは真澄の混じりけのない本音だと思います。きっと彼は、”いつまで自分をつきかげや一角獣の一員だと思っているんだ。そんなあまっちろい事を言って、芸術大賞を獲れるとでも思っているのか”と、言いたかったのではないでしょうか。しかしアテネ座の舞台に出る気満々だったマヤにとって、これほどひどい衝撃はありません。(はずされている…!あたしが…!アテネ座に出られない…!)「なぜ…?なぜなんですか…?理由は…?」マヤは真っ青になって震える声で尋ねます。当てにしていた希望の糸が切れてしまったのです。しかし真澄の声は平静です。「大都のもとでは演技したくないといっていたきみが理由などきくのか?」「ええ!いってください!」マヤはもう大人しく引き下がってはいません。親切そうなふりしてやっぱり下心があったんじゃないの!正直に言いなさいよ!と言わんばかりです。「たしかに大都ではもう演りたくないわ!でも仲間からひきはなされたくはありません!なぜあたしをみんなからひきはなすですか!なぜ!」しかし真澄は冷静です。「今度の芝居にきみは不必要…そう判断したからだ。これでは説明不足かな?我々が伸ばしたいと思うのはきみの仲間できみではない。これで納得がいったか?」

 

真澄は大都芸能の若社長としての立場で、話をします。しかし彼は、嘘はつかなくとも”本音の一部”しかモノを言わずに、物事を進めていく人間です。もうひとつの本音は、”北島マヤはつきかげや一角獣の仲間達とやる芝居において、たとえアテネ座であっても不向きである。芸術大賞を獲るつもりなら、きみはもっと大きな劇場の舞台に立つべきではないのか?”でしょう。しかし彼は、もうひとつの本音は絶対に言わない。口にしない事によって、どんな誤解を生じさせるか分かっていて、黙っているのです。真澄の言葉にマヤは絶句します。「速水さん…」真澄は続けます。「約束しておこう。きみ達の仲間はアテネ座での今度の公演できっと大きく伸びられる。世間の注目をあびよう。大都がかならず成功させてみせる!きみも仲間のためを考えるなら反対などはしないことだな」と、真澄は最後のトドメを刺します。こんないい方をされれば、徹底的に自分を排除するために、仲間達にプロデュースを申し出たように受け取られるはず。真澄はそれを狙って言っているのです。そこに(都合よく?)小野寺が現れます。彼はマヤを見るなり余裕の表情で声をかけます。

 

「久しぶりだね、北島くんだったね。どうだね芸術大賞はとれそうかね」真澄は小野寺の出現で、会話の糸口を見つけたかのように、噂話を始めます。「そうそう亜弓さんは来春日帝劇場でまた主演が決まったそうですね小野寺先生。しかも月影先生と共演するとか…」アテネ座から(真澄によって)締め出されたばかりのマヤにとって、これまた衝撃的な話です。「そんなバカな…!月影先生が亜弓さんと共演だなんてそんな…!」食いついてきたマヤに真澄は内心してやったりでしょう。「日帝劇場へいって自分でたしかめてきたまえ自分でな…」と、言います。突然の情報に、マヤの頭はパニックです。崖っぷちに立たされている上に、憎き相手から崖から突き落とされかかっているのです。小野寺はここぞとばかりにマヤに言います。「ときに野外ステージでは活躍したそうだね。だが大賞候補になるには名の通った劇場でなければな。きみのつぎの出演はどこの劇場かね?」さっきまでアテネ座に出るつもりだったマヤにどんな返答ができるでしょうか。マヤは言葉少な気に答えます。「いえ…」小野寺は面白そうに続けます。「ほーおあてがない!「紅天女」はいいかげんあきらめたらどうだね。出る劇場もないのにどうやって芸術大賞をとる気だね」小野寺がマヤに敢えて見下したような言い方をするのは、実は彼はマヤを恐れているからでしょう。マヤが野外ステージの舞台で成功を収めたこと知っているぐらい、彼はマヤの動向を気にしている。しかも彼は、今まで何度も北島マヤ主演の舞台で、敗北感を味わっています。しかし、マヤにはそんな小野寺の心理などわかるほど勘良くありませんし、真澄一党?(真澄と小野寺)の悪だくみに心をずたずたに引き裂かれていて、それどこれではありません。

 

「よくわかりました速水さん…あなたも小野寺先生もあたしがじゃまなんですね…!あたしをみんなからひきはなすのもそのせいね」真澄は、マヤを意図的につきかげの仲間達からはずし、彼女を怒らせるつもりだったのですから、(小野寺の余計な一言があったにせよ)マヤのこの言葉は予想の範疇でしょう。しかし、マヤの涙を見て(好きな女性を泣かせて)平静な真澄ではないでしょう。彼は(マヤ…)と、心の中で呟いています。マヤは真澄の下心が一体何だったのか理解して、悔しさの中に悲しみをにじませます。「そう…ですよね。亜弓さんが「紅天女」を演った方がなにかと大都のつごうがいいですものね…」

 

マヤはついこの前、ボートの上で「亜弓さんが待っていてくれる限り「紅天女」を諦めない」と宣言したのに対して、真澄が「わかった!大都芸能はこの問題から手を引こう!しっかり頑張りたまえ!」と言ったのを聞いたばかりでした。その上「きみの今のセリフ亜弓くんがきけば喜ぶだろう…!」とさえ、彼は付け加えているのです。真澄がマヤが二年の間「紅天女」に向かって頑張るのを、黙って(手を出さずに)みてくれるものだとマヤは信じていたのでしょう。しかし現実は違った。彼は自分を嫌っていて、亜弓を評価している。自分を排除して亜弓に「紅天女」を演らせるつもりでいる。それが今回の彼の下心だったのだろう。速水真澄は最初から亜弓に「紅天女」を演らせたかったのだ。そのためには、あたしの存在が邪魔なのだ。あたしの気持ちを挫けさせるために、態々つきかげと一角獣のプロデュースという名目をつけて、引き離したのだ。そうよ、速水真澄はそういうことをする人間だったじゃないの…そんな事に気付かなかっただなんて…速水真澄のような人間を信じたあたしが間違っていたのだ…と、マヤは悟ったのかもしれません。

 

グスン…マヤは俯き、こみあげた涙を手の甲で払い、真澄に背を向けます。そして震える声で言います。「あたし…バカだったわ。ちらりとでも速水さんのこといい人かもしれないって思ったこと…ほんとはいい人かもしれないって…あたしあたし…」

まさかマヤの口から親の仇である自分の事を「いい人」だと言うセリフが出てくるとは、真澄も思いもよらなかったのではないでしょうか。昨年の冬のある日、雪の降る中、イチゴ傘を貸してくれた時、マヤは真澄に「あたしあなたのこといい人だなんて思ってやしませんからね!」と言っていましたから、この半年の間で、彼はいつのまにやら株を上げていたようです。

(えっ…?)真澄の驚いた顔がアップで描かれています。

今回の件は、真澄はマヤを怒らせることを目的としていました。真澄は当初、マヤは、アテネ座に出られない事が分かっても、怒る事はあっても、さほど悲しむことはないと思っていたのではないでしょうか。自分は嫌われていて、大都の舞台に立ちたくない彼女のことだから、それ程ショックに思わないハズ、と安直に考えてた。そもそも大都の助力がなければマヤはもちろん、つきかげや一角獣の仲間もアテネ座には出られないわけですし。

しかし、予想に反して目の前のマヤは、真澄の予想以上にしおれている。本当はマヤは真澄の事を「いい人」だと思い、彼の事を信用していた。真澄に下心がないなら大都プロデュースのステージに立ってもいいと思っていた。が、彼はそれを許さなかった。嫌っている人から裏切られるのと、信用している人から裏切られるのとでは、受ける衝撃は大違いでしょう。マヤは泣いている。かつて真澄は、誘拐された時、義父英介に助けを求めて、見捨てられた経験があります。信用している人間から裏切られ、無視される気持ちがどんなものなのか、彼は知っているのです。

「バカだったわ…」マヤは涙を流し震えながら再びそう呟くと、一目散にその場を離れようとします。しかし真澄は、じっとしていられません。「チビちゃん…!まちたまえ!」真澄はマヤの手を掴んで引き留めましたが、帰ってきたのはマヤの強烈な平手でした。バシン!

 

「あなたなんて…大っきらい!!」マヤはあらんかぎりの憎しみをこめて真澄を罵倒します。「みてらっしゃいあたし…あなた達の思い通りになんてならないわ…!あたしを劇団の仲間達からひきはなせたからって、これであたしがあきらめると思ったら大まちがいなんだから…!どんなことをしたって「紅天女」をめざしてみせるわ!」真澄の望み通りマヤは怒りのパワーを沸き立たせ、真澄の期待通りの答えを口にしたのでした。「けっこう…その意気だ」と、彼はイヤミに聞こえるように言いますが、これも本心でしょう。「キミから”その意気”が出てくるのをおれは待っていた」と、彼は言いたかったのだと思いますが、やはりマヤはそんな真澄の気持ちなど気づきもしません。「そうよ…いまにきっとあなたなんかみかえしてやるんだから…!」マヤはそう言い残して去っていきます。マヤの背中を見送る真澄。目的通りのコトの成り行きになったわりには真澄は、どこか寂しそう(いい人…か。マヤ…)と、彼は呟いています。

 

まさかマヤの口から自分を評価されるようなセリフが出てくるとは、喜びの混じった驚きもあったでしょうが、本当に欲しい言葉はそんなもんじゃないのだというニュアンスが、少し含まれているのでは、と思いました。

真澄はマヤにつらくあたって、マヤを芸術大賞に向かわせる鬼役を敢えて買ってでています。相手が真澄とだけあって効果はてきめんですが、なぜそんな辛い役回りを引き受けているのか、彼は自分の心情を語らずとも、心のどこかで理解してほしい願望があったのかもしれません。しかしその願いは叶えられなかった。

 

また真澄は、逃げるマヤを「チビちゃん!まちたまえ!」と、言って引き留めています。引き留める真澄をマヤは平手をくらわすことで応えていますが、もしひっぱたかれなかったら、真澄はマヤに何を言うつもりだったのでしょう?コミックス46巻”ふたりの阿古夜”の章でもそっくりなシーンがあります。

 

「だってあなたはあたしのたいせつな…!」(えっ…?)「あたしのたいせつな…」「たいせつな…?」涙をながし逃げようとするマヤを真澄は腕をつかんで引き留めます。「どういう意味だ!?ちゃんと言ってみろ…!なぜ逃げる…?なぜ泣くんだ…?」

 

この時マヤがひっぱたかずに、真澄がマヤに涙を流す理由をちゃんと訊きだせていれば、真澄がそこまで傷つけるつもりはなかったと説明できていれば、未来は変わっていたのかもしれません。しかし(真澄の言い訳を許さなかった)マヤは真澄をひっぱたいてしまいましたし、彼はそれ以上何かを尋ねることはしませんでした。

 

この頃、真澄の行動の理由を、語らずも理解していたのは水城と聖ぐらいでしょうか。ともに真澄側の人間なので、マヤに助言する事はありません。マヤが、真澄が自分に対して辛く当たる行為の裏側にあった愛情に気がつくのは、コミックス33巻”紫の影”の章で、紫のバラの人の正体を知って以降ですから、彼の苦悩はまだまだ続くことになります。