昨年の第4四半期は、
ルネサス・エレクトロニクス社の話で、日本の製造業の行く末が論じられていた。
いろいろあるが、最も違和感を感じたのはいつものこのブログ →
ルネサスは二度死ぬだが、日本のマスゴミは、概ねこれと同じ論調だった。
こういう方々に共通している認識のひとつに、
「儲からない=存在価値が無い=社会的意義が無い」と、ハゲタカ金融資本屋に都合の良い論調だ。日本にも蔓延しはじめて久しい。
「儲からない=存在価値が無い」という時点で既に間違いだ。
彼らは「部品や規格を標準化するべきだ」と強く主張する。だが、この時点で何もわかっていないことが見え見えなのだ。商用ベースでは、適度の標準化がなされなければ、生産ベースに載せられない。
つまり、この世に出る時点では既に標準化はされている。だが、ハゲタカ達はそうは見ず「儲からないと認めない」のだ。
また、彼らは「会社は株主のもの」と言う。これは、日本でもあたりまえになってしまった。
だが、株主が社会貢献に資するかといえば、「NO」という判定をぜさるを得ない。
本来の人間社会は「カネ」で生きるのではなく「社会貢献」で生きるようになっている。
だから、「会社が株主のもの」という考え方も間違いだ。
あくまでも「社会貢献する手段としてカネを使う」という発想に変えないといけない。
この発想を否定するハゲタカが、硬直した格差社会を生み出す温床になっている。
筆者は金融・貨幣システムの根本思想を変えなければならないと見ているが、専門家ではないので、どうしていいのかが判らない始末だ。
「標準化」とは、特注しないで製品化できるようにすることを指す。
ところが、実際は標準化された部品だけで顧客の要望に応えるのは不可能だ。
何らかの工夫なり標準化以外のことを取り込まないと駄目だ。
「そんな顧客は少数だから、切り捨ててしまえ」というのがハゲタカ達の思考回路だ。
何も知らないから大声で言えるのだ。
特に技術を売る商売は、ハゲタカ達が敬遠するような顧客が居ないと、商売が成り立たない。
皆同じもの・同じ質のものでは、値段の安いところに流れ、結局規模の大きい1社が残るに決まっている。その後に続くのは寡占化だ。あれ、新自由主義者が大好きな「自由な競争」が終わってしまうね!!
技術屋の商売は、特注の要素があることで成り立つ。そういうものだ。
ルネサスは確かに「少量・多品種」だ。筆者もこれで助かっている。
このことが標準化が不十分とハゲタカたちが早合点するのだろう。
しかし、このことが日本の製造業の良い部分で、特徴でもあり長所だ。
ハゲタカ達はこの特徴であり長所を否定するのだ。儲かっていないから。
巨額の赤字なのは改善の余地あるが、「儲からないこと」をただ非難するのではなく、非難する前に外国の顧客でも紹介しろ、と言いたい。甘えでも何でもない。
納得・承服できなくて、嫌なら日本から出て行けばよい。
新自由主義者の発想では無問題のはずだ。
新自由主義者なら、ここに書いてある話は全く響かないどころか、「アホかこいつ」みたいな記事でも書き起こすだろう。
今の閉塞した状況では、「カネ・カネ・カネ」の思考回路を断てる社会再構築が必要だ。
カネの力だけで社会を動かし、全てを解決しようとするところに大いなる問題があるのだ。