善Q麿さんへ


こんばんは。
早速ですが、善Q麿さんとのやり取りを公開した中で、妙観講の方から善Q麿さん宛ての破折文を預かりましたので転載させていただきますね。

是非、目を通し、お返事をください。





~妙観講の方から→善Q麿さんへ~



>浅はかな人間とか言う前に、きちんと科学で証明をする義務、説明責任が日蓮正宗にはありますよ。



説明責任など、どこにも存在はしません。
そもそも戒壇の大御本尊様は歴代法主上人から歴代法主上人へ相承遊ばされる秘仏であり、上代においてはその存在すら広く伝承することを控えて来ました。

 
ゆえに『日興跡条条事』には
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は日目にこれを相伝す」
とあります。
 

日興上人以来、歴代上人の御身に受け継がれてきた御本尊である以上は、私共は御当代上人の御裁可によって拝むことができるのです。


あなたの論法は、他人の家の宝物を我が物であるかのように論述しているバカバカしさがあります。
 

日蓮正宗僧俗がなんら不満なく、生身の大聖人として戒壇の大御本尊を拝んでいることを怨嫉することはやめましょう。
私どもは、信仰の上から何ら不満がありません。


それは、三証の上から本門戒壇の大御本尊こそ三大秘法の肝心要であり、宗祖出世の本懐であることは間違いないからです。
血脈の当処と一体不二という信仰は揺るぎがありません。


信心未練にして、この重々たる趣が理解できなかったのは不憫と思いますが、自分の不明を恥じることを先にしてください。




>日有から数えても過去600年間にわたって、あの板本尊を法門の中心に据えて他宗を排撃してきた歴史を有するのです。当然でしょう。
 


すくなくとも道理と文証の上から、私どもの主張が間違いであると明確に示して下さい。
それができないからといって、いきなり当宗の重宝を偽物呼ばわりし、鑑定を要求するなど乱暴も甚だしいです。

仏様を晒すつもりがないから、私たちは鑑定をするつもりがありません。
 
かつて大聖人御在世に伊勢法印という荒くれが大聖人に法論を挑みましたが、大聖人は目師様に問答を任せ、御期待通り目師様は論破したということがあります。
 

私たちを道理と文証の上から屈服させてから、次のステップに進むのが道理でありましょう。





>そこまで他宗を攻撃するなら、その根拠を誰の目に明らかにする義務、証明責任が生じるのです。そのくらい常識でわかりますね?
 


常識、という以前に、あなはた何かとんでもない勘違いをしていませんか。
少しは秋風で頭を冷やしてみましょう。
私どもが邪宗を破折する時に、いきなり御戒壇様のことなど言いません。
大聖人もそのようなことは御指南でありません。
 

宗教批判の原理の基本と言うのは、五重相対、五綱判、四重興廃、五重三段、五時八教など、あくまでも基本の中の基本から始まります。
 

おそらく、あなたはこれらの基礎的な法門すら理解していなことでしょう。
我が門葉の三学が理解できなかったことは容易く想像できますが、もう少し勉強してみてはいかがでしょうか。





>大石寺の歴史、その過程での様々な傍証等の研究成果などを論拠にしています。



あなたが見ている研究成果やら傍証とするもの、すべて怪しいですね。
あなたは、それら資料がどれほど確かなものか、きちんと調べましたか?
少なくとも、国宝ではないものを国宝と言いくるめるような資料に埋もれているあなたの言葉には何一つ説得力が無い、と指摘しましょう。





>そういう調査の過程で、日目上人の跡目は日郷上人であるとわかったのです。
 


膨大な資料に埋もれて窒息寸前なのは分かりますが、これについて、明確なものを一つだけで良いので明示して下さい。
絶対に存在しないことをここで宣言しておきましょう。
 
そもそも、日郷師の主張と言うのは、蓮蔵坊の所有権です。
目師様からたしかに蓮蔵坊を譲られたのは自分である、という主張です。
 
これによって総本山第四世日道上人との間にいわゆる道郷論争というのが起こり大檀越をも巻き込むことになり、裁判まで起こった。この論争によって大石寺に居られなくなった日郷師が寂日坊に蔵されていた文永十一年の御本尊を以て房州へと退去したのです。
 

この御本尊はいうまでもなく通称「万年救護本尊」です。


この一連の騒動のなかで、日郷師は一度たりとて、大石寺の後住すなわち師子座の相承であるとは主張などしていないのです。
 

それが今になって出てきた証拠とは、いったいどのようなものでしょうか。
存在すらあり得ない、と指摘しますが、もしも存在するとなると、その証拠とやらを鑑定する必要がありますね。





>保田妙本寺には膨大な正資料、文献が揃っています。その中には大石寺の教学の骨子となるものまで多数あり、要するに大石寺が逆輸入した法門なのだと理解しました。
 


有名なものには「御本尊七箇相承」などもありますね。
これらは妙本寺にあったものです。

これを公開された堀上人は、この「御本尊七箇相承」がそのまま本宗の御本尊相承の全容であるなどとは一言も仰っていません。
 

しかし、学会員はじめ不勉強な者どもはそのように理解しているようです。
 

あなたがいう「資料」については、私は未だ目を通していませんので、批判はいたしません。百歩譲ってそれが正資料であったとしましょう。
 
それは、日郷師が持ち出した年代と言えば日道上人のお代のものなのですから、貴重なものでしょう。
 
しかし、その資料を日郷師が持ち出したにも拘わらず、我が宗派は今日までなんら問題なく脈々と信仰を続けてきた。
まさに唯授一人の血脈によって末法万年にわたる広宣流布が可能であることを証明できたと言えるでしょう。





>そして法門についても、鳥本氏の許可を経ねば発表できませんので、もう少し待ってもらえますか?



我が宗派の修行僧を退転した御仁に入れ込んでいるようですが、私どもの師匠は御法主上人が本師、末寺御住職が手継ぎの師匠です。
 

あなたの歩む道とは落差が大きいことを思い知るでしょう。
早く気付かれることを願うものです。




妙観講の方より