マルタ島

 

さて同長官の父親は地中海に浮かぶマルタ島からの移民である。マルタ島は長年にわたりイギリスが統治していたこともあり、英語で教育が行われている。

 

日本の一部の層には、海外で英語を集中的に学ぶのが流行している。距離的に近くて費用の安いフィリピン、もちろん英語圏のアメリカやイギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどが、研修地に選ばれている。そうした選択の中では、実はマルタは穴場である。地中海の陽光を浴びながら、おいしいイタリア料理とワインを楽しみながら、英語の研修を受けられる。フィッシュとチップスやハンバーガーが御馳走のようなイギリスやアメリカの食事に耐える必要もない。

 

そのマルタは、地中海の、どこにあるのだろう。イタリア半島は、その形が、よく靴に例えられる。その靴の先がシチリア島である。マルタは、そのシチリアと北アフリカのリビアの中間に位置している。そこでは、ヨーロッパと北アフリカの文明が融合している。この島は第二次世界大戦後まではイギリスの支配下にあった。それゆえ英語圏ともいえる。

 

第二次世界大戦中は、マルタ島は枢軸国側の激しい爆撃を受けた。この戦略上の要地への枢軸国側の侵攻は不可避だと予想されていた。ところが、ヒトラーもムッソリーニも上陸作戦には踏み切らなった。マルタ島の守備の固いのを見て躊躇してしまった。

 

躊躇の背景は、1941年春のドイツ軍によるクレタ島攻略戦があった。ギリシア本土の南に浮かぶクレタ島は戦略的に重要である。ドイツ軍は、上陸作戦ではなく空挺部隊を降下させてクレタを制圧した。一方で、その力に連合国側は驚愕(きょうがく)した。他方では、この作戦でのドイツ軍の犠牲の大きさにヒトラーは衝撃を受けていた。それもあってマルタ島へは侵攻しなかった。

 

さて、父親のジョセフは、このマルタ島で生まれ育ち、その後にイギリスとアメリカで教育を受けた。そしてアメリカに帰化し、長年サウスベンド市近郊にあるノートルダム大学の英語の教員を務めた。イタリアのマルクス主義思想家の著作の翻訳などの業績で知られている。

 

鉄道に投資した長官の話らしく、脱線から、さらに脱線すると、このノートルダム大学はアメリカン・フットボールで知られる名門校である。何度も大学チャンピョンになっている超名門校である。この大学のフットボール・チームからプロに進む選手は多い。伝説のクォーターバックのジョー・モンタナも、そうだ。また同大学の応援歌「ノートルダム勝利の行進」は、それを演奏するマーチング・バンドと共に有名だ。

 

このカトリック系の私立大学は、フットボールをしてラッパを吹いているばかりでなく、学業的にも優れている。ノーベル賞の授賞者も出している。最も著名な卒業生の一人は息子ブッシュ政権で国務長官を務めたコンドリーサ・ライスだろうか。初めての黒人女性の国務長官だった。

 

>次回に続く