権力とマイノリティ -11ページ目

米国下院で「慰安婦決議案」通過の模様 千五百万円の広告スポンサーは?

■全面広告を見たチェイニー副大統領が腹を立てた
 お騒がせのワシントンポストの全面広告だが、韓国の中央日報の記事によれば「全面広告を見たチェイニー副大統領が腹を立て真相究明を指示した」という。米国下院での「従軍慰安婦決議案」は、外交委員会で通過すれば、本会議でも通過する見込みが非常に高い情勢だ。下院初の女性議長もこの決議に対して積極的に支持しているという。
 ワシントンポストに、全面広告を出すのは13万ドルほどかかる、と東亜日報の記事にある。広告代の13万ドル(約千五百万円)が、火に更に油を注ぐことになったようだ。1ドルを120円として計算してみたが、約千五百万円の広告のスポンサーは、いったいどこなんでしょうか。気になりますねぇー。

●中央日報 06.18 09:37:17
【「従軍慰安婦決議案、通過する可能性大」米国下院】
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=88468&servcode=200&sectcode=200
太平洋戦争時の従軍慰安婦を強制動員した日本政府に公式謝罪を促す慰安婦決議案が米国下院を通過するものとみられる。

 下院外交委員会のトム・ラントス委員長は16日、ロサンゼルスで開かれた自分の後援会で「決議案を26日、外交委員会に上程する」とし「私も支持している分、大きな票差で通過する可能性が非常に高い」と述べた。「これまで人権問題を扱ってきた者としてこの問題を非常に重要に考え、推進してきた」とし「決議案を通過させるのが私の任務」と強調した。

 決議案上程に決定的権限を持ったラントス委員長がこのように述べ、これまで日本政府の熾烈な反対ロビーにさえぎられ、実現しなかった慰安婦決議案の通過が目の前に迫っている。この決議案を共同発議した米下院議員が140人に達した中で、ラントス委員長が上程意思を公式発表しただけに決議案は圧倒的な票差で外交委を通過する可能性が高い。外交委を通過すれば下院本会議にも近いうちに上程される。

 米国の初の女性下院議長であるナンシー・ペローシー氏も慰安婦決議案を積極的に支持してということだ。したがってこの決議案が外交委員会を通過すれば下院本会議の通過もそれほど難しくないものとみられる。

 決議案は米議会をパスしても法的な拘束力はない。しかし米国と国際社会に日本の蛮行を告発しながら日本政府に謝罪と再発防止を要求することなので、日本政府としては大きい圧迫を受けることになる。
 これによって日本の議員らが先週末、慰安婦動員に強制性がなかったと強弁する全面広告をワシントンポストに掲載するなど決議案阻止に力を入れている。しかしこの広告に接したチェイニー米副大統領が腹を立て、真相調査を指示するなど逆効果を生んでいるとワシントン政界の消息筋は伝えた。(ワシントン=カン・チャンホ特派員)


NO!THE FACTS 「慰安婦」日本軍強制を否定するワシントンポストの全面広告

慰安婦否定広告
■世界中に恥をさらした全面広告 
 米国下院での決議に関してのことだろうが、この全面広告は、世界中の恥さらしとしかいいようがない。ワシントンポストで米国民に「慰安婦」の日本軍強制連行を否定してみたところで、その歴史的史実は、旧日本軍の文書や元「慰安婦」たちの証言で、すでにかなり明らかになっているのに、何考えているんだか。
 この広告は、平沼赳夫元経済産業相、島村宜伸元農林水産相らの与野党議員のほかに、民主党の河村たかし他、政治評論家の屋山太郎、ジャーナリスト桜井よし子らの連名で出したとされる。
 与党議員のみならず、野党の民主党の議員もいてあきれちゃうね。そりゃ、わたしだって知っていますよ、民主党には右から左まで勢力がいることは。ただ、あからさまに民主党を批判しすぎると、選挙の時の選択肢がきわめて限られちゃいますからねぇ~。その議員がどういう政策や思想を持っているのか、一人ひとり見極めないと、「民主党」所属という括りだけでは、何とも言えないのが現実です。

■犯罪の歴史を闇に葬る不道徳な政府や国会議員
 この広告に対して、すぐさまアジア諸国からの反発があったのは、しごく当然のこと。韓国の新聞は日本語版が充実しているため、とりあえず朝鮮日報の社説を紹介しておく。その社説いわく「不道徳な日本政府や国会議員、知識人が、犯罪の歴史を闇に葬ろうとしている。こうした行動をとれば日本国民の誇りが地に墜ちる」
 まったくそのとおりだよね。世界の孤児たるこの国に生きる人たちが、どういう行動を取らなければならないのかは、まさにわたしたち一人ひとりが問われている、としかいえない。

●AFPBB News 06月16日 16:17 ワシントンD.C./米国
【日本の国会議員ら、米紙に「慰安婦強制性否定」の全面広告】
http://www.afpbb.com/article/politics/2239843/1694336
【6月15日 AFP】いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、日本の国会議員らが14日付のワシントン・ポスト紙に、「第2次世界大戦中に日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す歴史文書は存在しない」と訴える全面広告を出した。

「事実(THE FACTS)」と題された同広告は、「米国民と真実を共有する」ことを目的に掲載されたもので、「歴史学者や研究機関の調査では、女性が意に反して、日本軍によって売春を強要されたことを示す文書は発見されていない。慰安婦は、『性奴隷』ではなく、当時の世界では一般的だった公娼(こうしょう)制度(政府による売春管理制度)のもとで行われていた」としている。さらに「慰安婦の女性の多くは、将官よりも多くの収入を得ていた」と付け加える。

 一方、同広告は「規律の乱れ」が存在したことも認め、「実際に起こったことに対する批判は、謙虚に受け入れるべき」としているが、「根拠のない誹謗中傷に対する謝罪は、社会に歴史的事実に対する誤った認識を持たせるだけでなく、日米間の友好関係にも悪影響を及ぼしかねない」と指摘する。

 同広告には、自由民主党議員29人、民主党議員13人、無所属議員2人のほか、教授、ジャーナリスト、政治評論家が名を連ねている。

 従軍慰安婦問題をめぐっては、安倍晋三首相が3月に「第2次世界大戦中に旧日本軍がアジア各国で強制的に女性を連行した証拠はない」と語り、物議をかもしている。同首相はその後、従軍慰安婦問題について謝罪した1993年の「河野内閣官房長官談話」を継承する立場を強調。4月後半の訪米時には、元慰安婦の女性らに対し「心から同情する」と語った。(c)AFP/Paul J. Richards

●朝鮮日報 6月16日
【社説 日本の知識人の道徳水準をさらした慰安婦広告】
http://www.chosunonline.com/article/20070616000006
 日本の国会議員45人や大学教授・政治評論家・言論人ら14人が日本軍による慰安婦動員に日本政府や軍部が介入した事実はなかったと主張する全面広告を14日、米国のワシントンポスト紙に掲載した。

 一同は、米下院で審議が中断している「日本軍が若い女性に性奴隷となることを強要したのは20世紀最大の人身売買だった」とする決議案は「真実ではなく、信念に基づく歪曲(わいきょく)」であると主張した。さらに一同は広告の中で反証として「慰安婦を募集する際、拉致や強制を禁ずる」とした日本軍の文書や、1939年8月に韓国のある新聞に掲載された「女性らを満州に誘拐した悪徳ブローカーを日本の警察が処罰した」という新聞記事を提示した。しかしこのブローカーたちは私娼窟に女性を連れ込んだものであり、日本軍の慰安婦とは何の関係もない。

 一方、一同はインドネシアに駐屯していた日本軍がオランダ女性を慰安婦として連行した事実を認めた。日本がこうした対応をとるのは、オランダの文書保管庫に裁判記録をはじめとする証拠資料が存在するからでもあり、また被害者がオランダ人であるため、欧州諸国の世論が悪化することを恐れたからだ。

 ところがこの広告は、慰安婦の強制動員による最大の被害国である韓国・中国・インドネシア・フィリピンなどのアジア国家については、完全に無視を決め込んだ。そのくせ「これらの(オランダ女性を連行した)軍人は重罰を受けた」とし、あたかも軍の方針に反して処罰を受けたかのように強調した。しかし実際に彼らを法廷に立たせたのは日本軍ではなく、連合軍であったことには一言も触れなかった。また当時インドネシアで日本軍が道を行く女性を無差別に略取した事実についてもまったく言及されていない。

 日本は首相や外務相をはじめとする不道徳な日本政府関係者に、不道徳な国会議員、さらには知識人までが加わり、犯罪の歴史を闇に葬り去ろうとあがいている。だが彼らがそうした行動をとればとるほど、日本国民の誇りが地に墜ちるばかりだということにもはや気づくべきだろう。

刑務所まで民間委託して“官”はいったい何のためにあるの?

■介護が営利事業になじむはずない
 介護保険の不正請求で、コムスンの事業所が1600カ所の介護保険指定の打ち切りが厚労省から通知され、買収合戦のニュースが目白押しだ。が、だいたい介護が民間営利事業になじむはずないのは、はじめから、分かり切ったことでしょうが・・・。
 看護や介護はサービスの受け手である患者や高齢者の「満足度」が問題で、福祉は営利になるっていうころが、そもそもの間違いなわけですよ。看護師や介護士たちと人間関係やちょっとしたコミニュケーションがケアにあるわけで、看護も介護も厳密な区別は難しい。看護師の方が医療に詳しいっていうことはあるにしても、医師とは違ってクライアントに寄り添ってくれるのが、看護師や介護士の役割。医師だって看護師や介護士に支えられてこそ、診療が成り立っているわけで・・・もぉ~~!?

■民間刑務所の監視カメラやGPSで何を実験するの?
 警備会社セコムが、監視カメラやGPSを使って受刑者の管理。それから、小学館プロダクションが、再就職訓練をするそうだ。
 地元民にこの民間刑務所のお披露目があって、少し前にテレビでもその様子が放映されていたが、そりゃ、新築できれいだし、ビジネスホテルみたいですよ。そういえば、心神喪失医療観察者の特別病棟も似たり寄ったりだなぁ~。そのテレビ放映の時に、市長がインタビューで「工業団地を誘致するはずだったが、そのあてがなくなり、民間刑務所を誘致することになった」と言っていた。

■日本における他殺は少ない
 少年犯罪や凶悪犯罪の増加と、メディア・スクラムで「体感治安」を煽っていますが、日本より治安のよい国が、どこにあるか教えてください。わたしは存じ上げませんが、朝日新聞中でコメントされている犯罪学者の藤本哲也・中央大教授にでもご教授いただきたいものです。ちなみに手元に2005年の人口動態統計があるので、参考までにご紹介しておきます。自殺が30,227人(2.9%)、他殺が665人(0.1%)、ついでに交通事故10,480人(1.0%)。
 安倍首相、高市大臣。少子化対策も大事ですが、かつてに比べれは減ったとはいえ、交通事故死者だって、まだ1万人もいます。3万人の自殺者を減らす施策の方が先決では、ありませんこと?

●朝日新聞  06月11日08時01分
【民間刑務所、監視はIT カメラ2百台・ICタグ 山口】
http://www.asahi.com/national/update/0609/TKY200706090182.html?ref=rss

民間刑務所刑務所モニター

 民間が加わって運営する国内初の刑務所・美祢(みね)社会復帰促進センターが山口県美祢市に開設された。高いコンクリート塀もなければ窓の鉄格子もない、一風変わった刑務所だ。「塀の中」ならぬ「フェンスの中」は、どんな場所か。官民はどう連携するのか。山口市から車で約1時間。山あいに開けた丘陵地を上ると、クリーム色の建物がフェンス越しに見える。

 一般の刑務所の場合、受刑者が建物の間などを移動する時は刑務官が付き添うが、ここでは受刑者だけで移動する。その代わりに「電子の目」が見張る。監視カメラは200台以上。受刑者の上着にはICタグがついており、中央警備室のモニターで居場所を把握できる。護送の時は、全地球測位システム(GPS)などを使って位置を確認できる、警備会社セコムの「ココセコム」を使う。

 センターの整備と運営はセコムなど9社の企業グループが落札。これらの企業で作る特別目的会社「社会復帰サポート美祢(SRS)」が05年に国と20年間の事業契約を結んだ。5月中旬に収容が始まり、刑期が短い初犯者100人以上が入所した。

■官との連携課題
 実際には民間職員140人と、刑務官などの公務員123人が協力して運営する。実力行使を伴う保安業務などは民間に任せられないからだ。これらの業務は刑務官が行い、警備や職業訓練、給食などは民間職員が担当する。
 センターが力を入れる職業訓練は小学館プロダクションが担当する。手話やプログラミングなど11種類のメニューを用意し、販売士やホームヘルパー2級の資格取得も可能。100種類以上の通信教育の案内もする予定だ。セコムの担当は警備。昨年11月から近隣の刑務所で、刑務所の仕組みや刑務官の仕事を学ぶなど警備員の研修を重ねてきた。ただ、この分野は官民の協力が欠かせず、課題も多い。

 3月、「受刑者が逃亡を図りフェンスを乗り越えようとした」との設定で共同訓練を実施した。中央警備室でモニターを監視していた民間警備員が緊急ボタンを押したが、受刑者の近くにいた警備員は取り囲んで刑務官の到着を待つしかなかった。取り押さえは刑務官にしかできないからだ。うまく連携するにはどうすればよいか。連日、官民で確認し合っている。セコムの担当部長でもある太田幸充・SRS常務は「日々の運営の中ですりあわせていきたい」と話す。

■中韓からも照会
 民間の力を導入する理由は、受刑者の急増にある。昨年末の全国の受刑者は7万1400人で、定員を15%オーバーする過剰収容状態。刑務所増設には職員を増やさなければならないが、政府は公務員削減に取り組んでいる。そこで、業務を民間に委ねる新しいタイプの刑務所が生まれた。職業訓練を重視するのも再犯を防止し、過剰収容解消につなげる狙いがある。センターによると、韓国や中国からも、センターの施設や運営について問い合わせが来ている。

 中央大の藤本哲也教授(犯罪学)は「ここまでITが整備された刑務所はないし、職業訓練なども含め、世界のモデルになっていくはずだ」と断言する。法務省は美祢のほか、民間が運営に加わる刑務所を島根、栃木、兵庫の3県で計画している。
     
〈キーワード:美祢社会復帰促進センター〉 山口県美祢市豊田前町麻生下で、5月15日に収容を始めた国内初の「官民混合運営型」の刑務所。敷地面積は28ヘクタール、定員は男女各500人。7.5平方メートルの個室にはベッドやテレビを備え、窓には鉄格子の代わりに強化ガラスを使った。

希望を失わず生きていける自殺対策基本法の「大綱」であってほしい

■貧困と格差と自殺問題
 6月8日、自殺対策基本法に基づいた施策である大綱が閣議決定された。
 昨年の自殺対策基本法の成立・施行を受け、わたしはこのテーマで取材を続けており、ある媒体での原稿を書いていたところ・・・。大綱に関して、この間いろいろニュースはあるが、最新の報道では、愛媛新聞の社説がいちばんまとまっている。

◆追記、おっと・・・毎日新聞の社説も参考にしてください、ませ。
 日本では自殺率と失業率の相関関係が指摘されるが、景気回復がささやかれるこの国で、自殺者数が減らないのは「貧困や格差」問題が大きく立ちはだかるだからだ。愛媛新聞・毎日新聞の社説に、フィンランドの自殺対策についての言及があるが、ソビエト連邦崩壊後の失業率の悪化にも関わらず、自殺率が減少したのは、自殺対策国家戦略の成功とともに、社会保障制度の充実が見逃せない。たとえ、うつ病になっても、失業しても零細企業が倒産しても、希望を失わずに、生きていける社会のしくみこそ、整備すべき課題ではないだろうか。

●愛媛新聞 06月10日(日)
【社説 自殺総合対策大綱 全力を挙げて目標の早期達成を】
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200706100194.html
 政府は二〇一六年までに、自殺死亡率(〇五年は十万人当たり二四・二人)を20%以上減少させる目標を掲げた「自殺総合対策大綱」を決定した。 昨年十月施行された自殺対策基本法に基づく初の指針だ。官民が連携を強め、全力を挙げて取り組む必要がある。

 警察庁のまとめでは、昨年の自殺者数は三万二千百五十五人と九年連続で三万人を超えた。「欧米の先進諸国と比べて突出して高い水準」であり、何とかしなければ、という思いは国民共通だ。 ただ、細かくみると自殺者はやや減っている。警察庁の数字では前年より1・2%(三百九十七人)減少した。特に原因・動機別でみて「経済生活問題」が六千九百六十九人と、前年より10・1%(七百八十七人)減ったのが目立っている。

 統計の取り方が違い、警察庁よりやや少ない数字となる厚生労働省のまとめでは、昨年の自殺者は二万九千八百八十七人と前年より約六百七十人減った。同省の統計としては四年ぶりに三万人を下回った。
 景気回復や失業率改善が多少とも影響しているのだろう。ただ自殺者数はまだまだ危機的レベルだ。景気回復の波及は一部にとどまっているし、原因・動機別では「健康問題」が半分近くを占めるように、自殺の原因は多岐にわたる。解決が容易でない事情は変わらない。

「健康問題」では、うつ病対策が最も重要となろう。精神科医らの調査によると自殺未遂者の75%に精神障害があり、そのうち46%がうつ病だった。しかも、うつ患者の四人に三人が治療を受けていなかったという。治療とケアが急務だ。 うつ病は適切に治療すれば良くなる可能性が高いという事実を啓発し、早期発見・早期治療を実現させたい。そのためには患者が気軽に相談できる体制の整備も不可欠だ。
 経済問題など社会的要因の対策も車の両輪として進める必要がある。失業や長時間労働、多重債務など多方面で支援体制の充実強化が求められる。格差是正も大きな課題となる。

「自殺国」といわれたフィンランドは、自殺や自殺未遂の動機などを分析して広く情報提供する一方、地域や企業に対しメンタルヘルスの重視とカウンセリングの徹底を促した。その結果、最悪時より自殺率が約30%下がったという。こうした先進事例も参考にしたい。

 昨年の自殺者のうち、学生・生徒の自殺は2・9%増の八百八十六人だった。一九七八年以来最悪で、小学生は十四人と倍増した。いじめ自殺の続発を裏付けており、痛ましい限りだ。学校や地域におけるいじめ対策を急がなければならない。
 県警によると、昨年の県内の自殺者は四百四十人と前年より二十四人増えた。過去十年で二番目に多く、人口十万人当たり二九・九人と全国平均を上回る。ゆゆしき事態だ。関係機関が参加した県自殺予防対策連絡協議会などを軸に、きめ細かい対策を実施してもらいたい。

●毎日新聞 6月10日 0時12分
【社説:自殺対策大綱 追い込まない社会目指そう】
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070610k0000m070132000c.html
 毎日平均して88人もの人たちが自ら命を絶った。警察庁によると、昨年1年間の自殺者は3万2155人。前年より397人減ったものの9年連続で3万人を超え、米国や英国などと比べて突出して高い水準が続く。暗たんたる思いに駆られる。
 政府は「自殺総合対策大綱」を閣議決定した。昨年10月施行の自殺対策基本法に基づいて策定した自殺対策の初めての指針である。社会全体で自殺対策に取り組むことが待ったなしで求められる。

 金融破たんが相次いだ翌98年に自殺者が前年より一挙に8000人余りも増えて3万人台に突入し、その後も高止まりの状態が続いたのに、国がこれまで本格的な対策を講じてこなかったのは怠慢と言わざるを得ない。基本法も、民間団体の強い要請を受けて議員立法でようやく制定された経緯がある。国が早くから対策に本腰を入れていれば、救われた命もあったはずだ。手をこまねいてきた責任の重さを自覚してもらいたい。

 大綱は▽自殺は個人の問題ではなく、社会的要因により心理的に追い込まれた末の死▽制度の見直しや相談体制の整備など社会的取り組みで防ぐことが可能▽自殺を考えている人のサインを周囲が気付くことが課題--との基本認識を掲げた。ともすれば個人的問題と片付けられがちだった自殺を社会的問題と位置付け、予防は可能ととらえた意味は大きい。一人一人がそうした認識を持つことが自殺の根絶に向けた第一歩となる。
 大綱は当面の重点施策として、自殺の実態解明、国民への啓発、自殺する危険がある人と早期に接する可能性がある医師や教員らの研修、自殺未遂者や遺族へのケア、民間団体との連携強化など9項目を示した。数値目標として、2016年までに自殺死亡率(10万人当たりの自殺者数)を、05年の24.2人から20%以上減らして19.4人以下にすることも挙げた。

 重点施策をいかに実行するかが課題だ。90年に自殺死亡率が30.3人まで高じたフィンランドでは、徹底した実態解明と啓発事業などに国を挙げて取り組み、04年には20.3人と33%も減少させた。動機面などの調査研究は日本ではまだ緒についたばかりだが、NPO法人「ライフリンク」などが近く自殺者1000人の遺族らを対象に大掛かりな調査に乗り出す。国も支援を惜しまず、官民で実態解明に当たってほしい。

 失業、多重債務、過重労働、いじめ、健康問題など自殺の要因はさまざまで、その多くがうつ病などに罹患(りかん)するといわれる。行政や民間に種々設けられている相談窓口では、自殺の動機となる多様で複合的な問題に対処するため、それぞれの専門機関を機能的に紹介することが必要になる。精神科医につなぐ取り組みも欠かせない。とかく縦割りになりがちな弊害を改め、関係者・関係機関によるネットワーク作りが求められる。
 自殺者をなくすには、自殺に追い込まない、生きやすい社会の創出が必要だ。長い時間がかかろうとも、その実現を目指したい。

沖縄・慶良間でサンゴの産卵

 慶良間地図 慶良間・サンゴ

 オキナワ・フリークとしては、ちょっといい話。
 ジュゴンの辺野古(キャンブ・シュアベ)は、かなり大変だけどねぇ~(ため息)。
 辺野古の現地レポートは以下のブログを参考にして下さい。
▼ブログ「ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!」
http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/

●朝日新聞 06月07日19時27分
【サンゴ再生へ命の粒 沖縄・慶良間諸島】
http://www.asahi.com/science/update/0607/OSK200706070040.html?ref=rss

 沖縄県・慶良間(けらま)諸島の阿嘉島(あかじま)沖で6日夜、サンゴの一斉産卵があった。海底のサンゴから、卵と精子が詰まったピンク色の粒(バンドル)が無数に放出され、真っ暗な海中で粉雪のように舞った。
 現場は、同島沿岸の水深2~3メートル。服田(はった)昌之・お茶の水女子大准教授(進化発生学)らのグループが、直径30センチの円錐(えんすい)形のナイロン製ネットをサンゴにかぶせ、粒の採取をした。
 この日産卵したのは、サンゴ礁を形成する主要種のミドリイシ類。オニヒトデによる食害や白化現象で激減したサンゴ礁の再生に役立てるため、採取した卵は阿嘉島臨海研究所(大森信所長)で稚サンゴに育てる。1年半後には高さ5~7センチになり、海底に移植する計画だ。
 同島では7日夜にもミドリイシ類の産卵がある見込み。

まだ安部内閣の支持率が35・8%もあるなんて信じられない!

暴走する安部内閣

■いったい国会は何をやっているんだ!

 わたしだって、寺尾聰のDVDばっかり観ているわけでないんです。ウェッブでニュースをチェックし、配信される国会議員のメルマガも読んでいる。与党の強行採決が常態化している国会は、完全に機能不全に陥っている。まだ、安倍内閣の支持率が35・8%もあるなんて、まったく信じられない。
「消えた年金」「政治とカネ」「公務員の天下りバンク」「イラク特措法の延長」・・・どれひとつ取っても、大きな問題なのにきちんとした国民的議論になっていない。勝手に安部内閣が暴走しているだけだ。
 いま多くの国民の関心事は改憲ではなく、自分たちの生活に密着した、年金や福祉・医療、雇用や景気などの問題だ。7月の参議院選では、是非ともこうしたことを争点にするべきではないか。

●信濃毎日新聞 6月6日(水)
【社説 終盤国会 暮らし関連を最優先で】
http://www.shinmai.co.jp/news/20070606/KT070605ETI090005000022.htm
 安倍晋三首相が主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)に出発した。年金関連法案の強行採決で混乱した国会も、落ち着きを幾分かは取り戻しそうだ。
 国会は会期末まで、残すところ20日を切った。国民がいま政治に求めるのは、年金問題で地に足着けた論議を進め、確かな対策を講じることだ。強引な国会運営は慎むよう、政府・与党に求める。

 国会中盤あたりでは、内閣支持率に上向く気配が見え、首相の表情にも余裕がうかがえた。一変させたのが松岡利勝農相の自殺と、年金記録ミスだった。
 首相が農相をかばい続け、国会で釈明する機会を作らなかったことが深刻な事態につながった。首相はそんな批判を浴びた。年金の問題では、関連する法案をろくに審議もしないで強行採決し、内閣の慌てぶりをさらけ出している。
 共同通信社が先日行った世論調査で、内閣支持率は発足して以来最低の35・8%に急落した。自業自得と言うほかない。

 首相はかねて、憲法を参院選の争点にする考えを打ち出していた。現状では、選挙で憲法を前面に出せる状況に程遠い。年金など暮らしにかかわる政策分野を軽視した付けが回った形である。
 5000万件の年金記録が宙に浮いている。本来の額より少ない年金を受け取っている人もありそうだ。国民がいま政治に求めるのは、この問題に最優先で取り組み、しっかりした対策を示すことだ。

 記録ミスの調査を、安倍首相が言うように本当に1年以内でやれるのか。納めた記録をなくした人のために、年金を支払えるかどうかを判断する「第三者委員会」は、うまく機能させられるのかー。
 政府が打ち出した対策は、よく読めば分からないことだらけだ。
 こうした疑問に目をつむり、関連法案を強引に成立させても、国民に納得してもらうのは難しい。支持率低下で動揺する足元を見透かされるだけだ。まずは、国会での詰めた論議が要る。

 年金問題の余波で、最低賃金の底上げを盛り込んだ法案の先行きが怪しくなっている。憲法改正のための国民投票法はさっさと成立させ生活関連は後回しでは、優先順序が逆である。自衛隊のイラク派遣延長問題の論議も足りない。
 会期延長論がくすぶり始めた。延長するなら、年金や雇用、そして「政治とカネ」に最優先で取り組むべきだ。憲法、教育改革など、イデオロギーがらみの問題にかまけている余裕はないはずだ。

●中国新聞 6月2日
【内閣支持率、35%に急落 共同通信緊急電話調査】
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706020264.html
 共同通信社が一、二両日実施した全国緊急電話世論調査で、安倍内閣の支持率は35・8%と五月中旬の前回調査から11・8ポイント下落し、昨年九月の内閣発足以来、最低となった。不支持率も48・7%と10・5ポイント上昇。社会保険庁の年金記録不備問題や、「政治とカネ」問題で追及を受けた松岡利勝前農相の自殺が影響したとみられる。

 松岡氏を一貫して擁護した首相の任命責任について「果たしていない」とする人は69・5%と「果たしている」の19・9%を引き離した。松岡氏の自殺が今後の政権運営や参院選に「影響を与える」とする人が72・3%、「与えない」とする人は23・4%だった。

 参院選を今、実施した場合の投票先を聞いたところ、民主党が28・8%と、自民党の26・5%を超えた。また、36・6%が民主党中心の政権を望み、自民党中心の政権の継続を望む人は35・7%。いずれの問いも安倍内閣発足以来初めて、民主党が自民党を上回った。

徒然なるままに、寺尾聰日記『雨あがる』

雨あがる  雨あがる 寺尾 


 小泉堯史(たかし)監督の第一作目が、遺稿・黒澤明脚本による『雨あがる』(1999年)だったぁ~。すいません、「文化的貧困」生活者、知りませんでした。DVDで観たんだけど、本編の他に「メイキング・オブ」に撮影の様子を取材している映像やインタビュー、本編を観ながらの解説、黒澤明の一周忌にベネチア映画祭に、出演者が総揃いで出かけたり、いろいろあったんですね(蛇足 映画祭に行ったことはないが、ベネチアは行った)。

 黒澤明監督作品(後期)に三本出演していた、寺尾聰を主演にしたいとの意向は、黒澤が生前に言っていたと、小泉監督は話している。
 エッ、寺尾聰が時代劇? と思ったが、イヤーなかなかよかったです。この作品に限らないのだけれど、寺尾は「情けない男」を演じるのが、持ち味でいいんだよねぇ~~。

■剣の腕は立つのに仕官できない浪人・三沢伊兵衛
 以下、ホームページ「雨あがる」から引用

 時は絢爛の元禄を経た質実の享保時代。武芸の達人だが不器用で仕官がかなわない武士、三沢伊兵衛(寺尾聰)とその妻(宮崎美子)たよ。折からの豪雨が旅の途にある夫婦を宿場町に足止めさせる。二人が泊まる安宿には雨が上がるのを鬱々と待つ人々が大勢いた。
 そんな彼らの心を和ませようと伊兵衛は妻に禁じられている賭試合で金を都合し、酒や食べ物を振る舞う。人々に笑顔が戻った時、雨もようやく上がった。
 やっと外に出られた伊兵衛は偶然若侍同士の果たし合いに遭遇してしまい、懸命に彼らを止めるのだった。その一部始終をこの宿場の藩の城主である永井和泉守重明(三船史郎)が見ていた。

●黒澤明ノートより
 これは、主人公とその妻のドラマである。まず、その二人の関係をじっくりと描かねばならない。夫の愛に生きている妻は、そのままの生活で満足している。
 しかし夫は、貧しい生活が妻を不幸にしていると思っている。もっと出世してもっと楽な生活を送らせようと齷齪(あくせく)している。妻は、そんな夫を見ているのがつらくて、悲しいのに、夫には妻の心がわからない(これほとんどそのまま、ナレーションで語られていた)。

【粉川哲夫のシネマノート】1999-09-27
雨あがる(Ameagaru/1999/Koizumi Takashi)(小泉堯史)

◆役者とスタッフが舞台で挨拶。アスミックの挨拶大好きの竹内が司会。寺尾はいい味になった。黒澤久雄は、しきりに仕切ろうとするあせりが感じられる。三船史郎は、親父のまねの大ざっぱがけっこういい。宮崎は、なんかばかみたい。
◆出入り口の安全灯をカバーしたのは、賢明。蝋燭の灯火のような繊細な作りのこの映画は、暗闇の空間でないと、その味を味わえない。
◆黒澤久雄がしきりに「黒澤組」を強調していたが、たしかに、この映画の画面からは、旧来の映画の作り方——つまり、あたかも「同じ釜の飯を食う」かのような合宿の気分で映画を作る——がひしひしと伝わってくる。

 これって「メーキング・オブ」観たから、すごいよくわかる。まっ、小泉監督も大変だったことでしょう。重圧に耐え・・・

◆考えて見ると、この映画、みなそれぞれに親父の冠を気にしながらつくったような作品。その意味で、見ている方としては、息子たちがちゃんとやっているかどうかが気になり、はらはらさせられるようなところがある。特に三船がそうで、会場の一角に陣取った「黒澤組」の連中のあいだから、彼が演技をするたびに笑いが上がった。それは、失笑の笑いではなく、「ご子息、よくやった」という身内的な安心感の笑いだった。実際、彼が殿様役をやったのははまり役だった。

 そうそう。えっ、三船史郎? って思ったよ。いくらわたしでも、三船敏郎ぐらいは何となく知っているけど、そのご子息、テレビの大河ドラマなんかでも、観たことないもーん。

◆寺尾の剣づかいは、なかなかしっかりしたものだった。

 粉川さんもちゃんと評価してる、寺尾の演技。
 ・・・ついでに、ここで書いておこうっと…、この映画は時代劇ですが。
 原作の『阿弥陀堂だより』も『博士の愛した数式』も読みましたので、言えるのですが、あとの小泉監督の二作品は現代劇で、原作にはない神楽や能のシーンがあります。これは明らかに、小泉監督の脚本で映画として加えられたもので、小泉ワールドの表現系のひとつの形。両作品とも映画のなかでは、重要なシーンです。

◆こういう映画は、どうしても「論理的」な欺瞞というものがつきまとう。映画としてはどうでもいいのだが、そこには、映画としての矛盾のほころびも見出される場合がある。 たとえば、寺尾が、藩の城主から呼ばれて初めて城に出向くとき、「困った、こんな着物では・・・」とつぶやくと、宮崎美子がすかさず、よそいきの羽織(?)(わたしは着物の知識がない)をさっと出す。まさに「山内一豊の妻」をやるわけだが、こういうものをいつも所持している割りに、最後の方で、大井川を渡るシーンでも、山添いの道を二人で歩いていくシーンでも、ほとんど荷物を所持していない。な~んか、へんだなー。

 まあ、確かにねぇ~。(フェミニストとしては、いくらでも言いたいことはあるが、パス!)だいたい、仕官もできない浪人が、長らく宿屋に泊まったり、日々の暮らしのお金を、いったいどうしているの? まったくよくわかんない。

◆寺尾をはじめとして、仲代達矢(辻月丹)も三船(永井和泉守重明)も、通常の時代劇の世界でのように意地を張ることをしない。ある種の「やさしさ」と「素直さ」をもった関係を旧世界のなかに仮構することによって、不思議な世界を作ろうとしている。ちょっと、善人ぶりすぎているところがないでもないが。(東京国際フォーラム)

 まっ、これは、まったくその通りなんだけど…。
 悪人の多い「ご時世」ですから、いっとき、そういう世界から「逃避」できるっていうことも、いまを生きる私たちの世界では必要なことなんじゃーない。ただいま2007年6月(アーアー、単なるわたしのため息…)。

徒然なるままに、寺尾聰日記『阿弥陀堂だより』

阿弥陀堂だより 北林谷江

 黒澤明に28年間助監督として師事していた、小泉曉史(たかし)監督の2作目の映画が『阿弥陀堂だより』(2002年)。小泉ワールドは、日本の原風景をきわめて美しく描くのが何よりの特徴だ。本当に美しいのひとこと。
 あまりに美しすぎる自然は、実際に信州に旅しても、おそらくあんな風景に出会うのは至難の業。四季折々を映像化するために、1年間に及ぶロケをしているだもん! それに「阿弥陀堂」は、そこにまるで存在しているかのように、撮影のセットとして造ってしまったのだ。

 上田美智子(樋口可南子)は東京の大学病院で医師としてして働いていたが、パニック障害を発症する。そのため、小説家の夫(たぶん髪結い亭主)である上田孝夫(寺尾聰)の故郷である信州で新しい生活を始める。
 この夫婦はおそらく妻の医者の収入で、売れない小説家の夫と生活をしていたであろうことがうかがえる。ハウス・バズバントとして、料理や洗濯、掃除などの家事を担っていたようだ。朝食や夕食を寺尾がつくり、それを二人で食べるシーンがある。

 樋口は無医村だった村の保育園に間借りした診療室で、診察をしながら、そこに暮らす村の人びとや子どもたちとの、出会いが繰り広げられる。自然と戯れる暮らしを過ごしているうちに、樋口はいつしか睡眠薬が必要なくなっていく。
 そして難病の若い女性の進行した病気を、町の病院の若い医師(吉岡秀隆)と共に、なんとか回復に導き、村に乞われて僻地医療に積極的に携わるようになる。しかし、都会ですら産科医や小児科医不足の昨今、大学病院で働いていた医師が、僻地医療に生涯をかけようとするのか、はなはだ疑問。 
 売れない小説家の寺尾は、その信州の暮らしのなかで、自らのテーマを見つけ、これから、新たな気持ちで小説を書いていくだろう、そんなことが暗示される。

【粉川哲夫のシネマノート】2002-07-05_2より引用
阿弥陀堂だより (Amidado-dayori/2002/Koizumi Takashi)

◆映画が終わって出口で、配給会社のひとが、出てきた糸井重里に「いかがでした?」と訊くと、「時代劇みたいだったね、ハハハ、面白かった」と一言。鋭い。これでこの映画の本質は言い尽くされている。

 確かに・・・。舞台は現代でありながら、実はそんな暮らしができる夫婦って、そんなにいるとも思えない。当分の生活費の蓄えがあり、夫の実家を改造して引っ越せる環境が整っていなければ、どう考えても「夢物語」だ。

◆冒頭、樹木と清流が強調された「自然」の豊かな山沿いの道を寺尾聡と樋口加南子が歩いてくる。「自分の意思で何でも出来ると思ったけど、そんなことないのよね」と樋口が語り、信州の新生活を賛美する。この、東京で病院勤務のエリート女医(樋口加南子)と新人賞後ヒットが出ない作家(寺尾聡)は、彼女の神経疾患の発病を機に、寺尾の故郷の信州に移り済んだばかりであることが段々わかる。
 村には、96歳の老婆(北林谷栄)が阿弥陀堂を守って、そこに一人住んでいる。彼女のところに通い、「阿弥陀堂だより」という聞き書きを書いている聴唖の女性(小西真奈美)がいる。寺尾の中学時代の教師(田村高廣)は、末期ガンの身にもかかわらず、自宅で妻(香川京子)とともに、淡々と暮している。すべてが、絵に描いたような「自然」で「まっとう」な暮し。これに対して、樋口が発作を起こすシーンで、1度だけ挿入される東京は、無味感想な場所として否定的に描かれる。


◆老婆を演じ続けてきた北林の演技のなかでも最高のレベルというべき「うますぎる」ほどの演技(最後の方で寺尾と樋口が北林と話しているシーンがあるが、寺尾と樋口が北林を見る目には、作中人物へのではなくて、はからずも役者北林への畏敬の念が出てしまっている)をはじめとして、小西の無言の演技がすばらしいし、他の役者たちもほとんどベストの演技をしている。映画としても、よくまとまっているといえるだろう。

◆が、それにもかかわらず、ちょっと視点をずらすと、全体が極度に欺瞞にみちた、都合のよい、「信州観光」映画に見えてしまうのはなぜだろう? 人間も「自然」はこれほど単純ではないというのが一つ。舞台となっている場所では、折々に季節の祭りや行事があり、パソコンもCATCVや衛星テレビとも無縁の生活を送っている。
 寺尾/樋口の夫婦に家には、プロパンのガス台も電気洗濯機も水洗便所も見当たらない。彼は、万年筆で原稿を書き、田村は、(死を予期して蔵書を売り払いがらんとした家—当然冷暖房装置もみあたらない。外との仕切りはガラス戸と障子だけだ)書に親しむ。こういう生活は、不可能ではないが、いまの信州では、およそ現実味がない。


 セットにプロパンガスや洗濯機が見えなくても、たぶんそのぐらいは、おそらく用意しただろうと推察する。が、東京のマンション暮らしが長かった夫婦にとって、テレビやパソコンのない生活が、本当にできるかは確かに疑問だ。売れない小説家が原稿を出版社に送るのに、パソコンがなくてどうするっていう感じ…。大御所の小説家なら、原稿用紙に万年筆で原稿を書いて、編集者が長野までその原稿を取りに行くことも考えられるが。

◆ポストモダン趣味というのは、モダニズムから遅れてきた者が、モダニズムをプリモダンの常態と錯覚して模倣することだが、田舎の「自然」に憧れる東京者のなかには、こうした人工的な自然主義に憧れる者もいるかもしれない。そういえば、映画のなかで北林は、「この歳まで生きていると、せつねぇ話は聞きたくない。いい話だけ聞きたいですよ」と言う。なるほど、この映画は、東京人が、つかのま幻想の「田舎」にひたり、癒されるヴァーチャル・スペースなのだ。

 そうかぁ~! 映画で小泉ワールドの美しすぎる幻想の「日本の原風景」をつかの間、楽しむには持ってつけだもの。「東京人が癒されるヴァーチャル・スペース」とは、さすが粉川哲夫さん。

◆田村は、死期がさまったとき、香川に向かって、「色々世話をかけたな。先に行くからね」(香川の応えは「長くは待たせません」)と言い、樋口に脈をとられながら逝く。周囲には、村の人たちが彼を見守っている。「寺田先生は、ご自分で息を止めたような気がする」とあとで樋口が述懐するが、畳の上では死ねない時代の「死に方」の夢がここで描かれている。(東宝試写室)

「病院で産まれ、病院で死ぬ」ことが、当たり前になった時代を私たちは生きてきた。しかし、医療・介護難民がますます増えていく「ご時世」。在宅の死を迎えることは、もちろんのこと、死ぬ場所が選べるなんて、お金持ちにしかできない。今後この国の普通の人びとは、自らの死に場所すら、どこになるのか皆目見当がつかない時代を迎えようとしている。
 ただ、わたしがいちばん、感情移入できたのは、実はこの映画なんだけど・・・。う~ん!?

徒然なるままに、寺尾聰日記『半落ち』

半落ち 寺尾聰  半落ち 柴田恭兵  半落ち 原作

 このところ、レンタルDVDで寺尾聰の主演映画を観まくっているので、その印象を綴っておきたい。『博士の愛した数式』(2006年)から、とりあえず徐々に年代を降りていくことにする。
 ・・・ということで『半落ち』(2004年)について。ある時、わたしが寺尾聰を話題にしていたとき、その友人は「いま若い人たち(団塊ジュニア)の間で、すごく人気があるのよぉー」と話していた。へぇ~!「知らない? 『半落ち』っていう映画」と聞かれた。

映画「半落ち」公式サイトより
 以下、「あらすじ」の引用です。
「私、梶聡一郎(寺尾聰)は、3日前、妻の啓子(原田美枝子)を、自宅で首を絞めて、殺しました」
 梶聡一郎が最寄の警察署に出頭してきた時、捜査一課強行犯指導官、志木和正(柴田恭兵)は、連続少女暴行犯人の自宅を朝駆けで急襲する最中だった。梶の取調べを命じられて、何ヶ月も追ってきたヤマから最後の最後で引き剥がされ、警察署へUターンする志木の胸中に去来する複雑な思い。
 半年前、アルツハイマー病を発症した啓子の看病の為、自ら刑事を辞して警察学校で後進の指導にあたり、広く敬愛を集めてきた梶が、なぜ殺人を犯したのか。取調室で向き合う梶の視線の奥が、あまりに澄んでいることに驚く志木。
 7年前に一人息子の俊哉を急性骨髄性白血病で14歳の誕生日を待たずに亡くし、寄り添うように生きてきた夫婦に、一体何があったのか。“来るべき日”を待ちわびる梶の、拘置所での、贖罪と希望への祈りを捧げる日々。どんな犠牲を払い、誹りを受けようとも、あと1年だけ生きようとしている梶の人生の〈真実〉とは !?

■生と死をめぐるミステリー映画
 先に原作・横山秀夫著『半落ち』(講談社文庫)を読んでしまったもので、きわめてあっさりした映画に仕上がっている、というのがわたしの感想。
 警察と検察・裁判所、そしてマスコミをめぐる攻防戦、それに関わる人びとの背景が、原作には描かれています。新聞社の事件記者だったジャーナリスト出身の作家ならではのミステリー作品。若年性アルツハイマー・認知(痴呆)症や白血病など、私たちの生命をめぐるドラマなので、いろいろ話題性にとんだ映画であることは、間違いありません。
 原作では直接、主人公の梶が描写されることはありません。その寡黙な主人公を演じた寺尾聰の存在感は、やはりなかなか「くせもの」。そのしぐさ、まなざしなど「性格俳優」ならではの、迫力の演技でした。

■ロケをめぐる話題
 事件が起きた舞台は、群馬県高崎付近ですが・・・。
 映画のロケーションについては、いろいろ手を尽くしたことがわかります。例えば、県警本部は高崎市役所。検察は埼玉県庁。裁判所は茨城県三の丸庁舎。所轄の警察は富岡市役所。東洋新聞(どうもわたしが映画を見る限り、毎日新聞とおぼしき…)高崎支局は、前橋住宅供給公社。イチョウ並木は、仙台の宮城県庁付近。紅葉シーンは水上諏訪峡。そういえば、「空白の2日間」に関するシーンでは、新宿・歌舞伎町も登場します。

自殺対策基本法・大綱の閣議決定前に「ナンとか還元水」大臣が自殺

■自殺対策は「国の責務」である
 どうして責任を取るために、大臣が自殺をするだろうか? 政治的責任の取り方というは、死を持って償うものではなく、すべてを国民の前に明らかにしたうえで、大臣と議員辞職をするという政治的な責任の取り方、というものがあるはずではないのか。
 この国では1998年以降、自殺者3万人という高止まり状態、先進8カ国のなかで、ロシアに次いで自殺者の多い「自殺大国ニッポン」なのである。折しも、昨年の自殺対策基本法の成立・施行を受け、その具体的な施策である大綱の閣議決定を目前に控えての閣僚の自殺である。

■自殺は個人的な問題ではなく社会的課題
 自殺は個人的な問題ではなく、社会的な課題として、国や自治体が総力を上げで取り組まなければならない施策として、自殺対策基本法のなかで、きちんと明記されたのである。自殺対策を総合的に策定・実施する「国の責務」として。
 これによって自殺者を減らすための国家戦略の枠組みができ、これから具体的にさまざまな施策を行わなければならないという安倍政権下における「閣僚の自殺」なのである。政治的に大変重要な意味を持つのではないか。


<参考サイト>内閣府・自殺対策ホームページ
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/
いきる 自殺予防総合対策センター
http://www.ncnp.go.jp/ikiru-hp/