脆く儚くも美しい芸人の世界





超高層ビルの建設ラッシュのように
書店の新刊コーナーでは「火花」の
平積みが建っては崩れを繰り返している。

僕が書店に向かうところ
全て"空地"になっていたのだが、
少し落ち着いたのか入手することが出来た。



第153回芥川賞受賞作品「火花」
著者が、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属
お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんということで
受賞前から話題を呼んでいた。





「火花」のあらすじ

主人公である僕(徳永)はお笑いを始めたばかりの芸人。
「スパークス」というコンビ名で漫才をやっていた。

そんな中、熱海の花火大会で別のコンビとして参加していた
先輩芸人「神谷」に出会う。(コンビ名:あほんだら)

そ し て 、

主人公の徳永と先輩芸人の神谷が師弟関係になって
お笑い芸人として売れる道を模索する。

徳永は熱意のある若者だが、
同期の芸人が売れていくのを傍目に見ながら
自分は中々売れず挫折を感じる日々が続く。

お笑いに一生懸命な「徳永」であるが
「神谷」は全く笑ってくれない。

厳しい芸人の世界の裏側を、そして、
徳永と神谷の壮絶な10年間を描いた交友録。




又吉さん曰く
『自分なりに人間を見つめて書いた、
 普段本を読まない方にも漫才だと思って
 読んでほしい』と語っている。




純文学とは何?

「純文学」とはそもそもどういう意味ですか?

…はい、「説明しろ!」と言われても
僕はきちんと答えることが出来ません。
なので調べました。
小説には大きく二分されるそうです。

大雑把な私的見解で申し訳ないのですが、
純文学は「芸術性」、大衆文学は「娯楽性」に
重きを置いているといった感じ。


前者は文章力やその文体の美しさ、
描写が如何に鮮明であるかが重要視され、
後者はストーリーやキャラの面白さだったり、
商業性、娯楽性が重要視される。


【純文学】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6

【大衆文学】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC


年に2回、純文学の新鋭に贈られる「芥川賞」を
「火花」は見事受賞しました。
しかし、「あれ?これって大衆文学じゃないの?」
ってくらいに娯楽性が強い!との声があります。

「火花」は売れない芸人の葛藤を描いたもの。
お笑い芸人の苦悩とお笑いの深さを描いた作品で、
芸人の又吉さんでなければ
書けないような作品だと感じました。
小説家が芸人にインタビューをしたところで
ここまで深い笑いの価値観は得られないと思います。

本当にすごいです!!
通常の書籍以上に各所に
笑いの要素を感じます。



ここが賛否両論別れる
ポイントの1つなのかもしれない。


純文学に贈られる「芥川賞」と
大衆文学に贈られる「直木賞」の
境界線は未だに曖昧で
今回の「火花」の様に人によっては
逆に感じる読者もいらっしゃると思う。
確実な線引きは現段階では
難しいのだと考えました。



なのでそういったことは置いて、
僕は一冊の小説として読んでみた。

テレビで観るお笑い芸人の又吉さんが
このような意見を持ち、こういった表現で
文章を書いたのかと驚きました。

「めちゃくちゃ面白かった!!」

寡黙ながら底知れぬ魅力を持つ
又吉さんを改めて偉大だと感じた。




レビューに火花を散らす

(ネタバレ含みます。閲覧注意)


期待に胸を膨らませ、
僕は「火花」の物語を開く。

その書き出しには、
『大地を震わす和太鼓の律動に、
甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。』とあった。

なるほど!
この文章から響きの重々しさを
出そうという意図が伝わる。

そして、また読み進める。

花火大会で前座が押してしまい、
主人公の2人組の漫才が始まる頃には
花火が打ち上がっていた。

花火の音に漫才の声はかき消される。
観客も花火を見ることに意識が流れ、
漫才を観てくれる人はおらず惨敗を喫する。

そこで、次に登場するのが
物語の重要な鍵を握る人物、先輩漫才師の神谷だ。
彼は「仇とったるわ」と憤怒の表情を浮かべ
舞台に上がっていく。


『どうも、あほんだらです』

※あほんだら(コンビ名)

しかし、無名の漫才師が花火に敵うわけもなく、
先輩の漫才がマイクを通して虚しく響く。
…と思った矢先の出来事だった。
急に先輩が大衆に喧嘩を売るような形で怒鳴り出した。
そこで発した先輩の言葉が衝撃的というか、
僕はドン引きだった…。
(物語上わざとそう思わせる意図がある)



花火大会での漫才を終えると
主人公・徳永が神谷の人柄に惚れ、
弟子にして欲しいと願うけど、
これが不思議で仕方なかった。
神谷の才能を買い被り過ぎでは?
カリスマ的に崇拝される神谷さんの
魅力を見つけることが出来ず、
僕は一度本を閉じた。

少し離れてみよう…。



そして、暫く経って
また最初のページから読み直してみた。



神谷の言動はやはりぶっ飛んでいる。
天才と馬鹿は紙一重というけど、
まさにそんな感じ。

け れ ど 、

そこに人生に対する覚悟の様なモノも
少しずつ感じられるようになり、
気が付けば夢中になって続きを追っていた。


しがない芸人が2人、「笑いとは何ぞや」という
傍から見ればどうでもいいような談義と、
世間から認められない日々を繰り返すだけなのに、
言葉の一つ一つを掘り下げて考えてみると、
「人生の問答に対する答えを出そうとしているんだな」
と実は鋭い会話のキャッチボールをしていることに気付いた。



「俺、なんでこの仕事してるんやろ?」

「この仕事はかくあるべきと思うねん」

「俺は絶対、これだけは譲れへんわ」



こういった自分ルールみたいなものって、
芸人の世界に限らず、サラリーマンでも
アスリートでも、政治家であったとしても、
誰しもが抱く感情なんだと思う。


実際に僕自身、好きなことをしてる時…
自分のしていることは正しいと信じている。
前に進めなくても、強い風当たりを受けても、
もう一度自分に言い聞かせて納得しているような、
そんな状況の時って多々ある。
だから今もこうして続けているんだと思うし、
男ってアホやなっていう自虐的な描写も
他人事とは思えない程リアルに響いた。



ユーモア溢れる言葉の羅列が続くのに、
笑えないくらい共感出来る部分があった。



ここで本のタイトルにもある
「火花」の意味が分かった気がしました。


なぜ"花火"ではなく"火花"なのか。


芸人さんがテレビやショーで活躍する姿は
一見華やかな"花火"の様に映るかもしれない。
しかし、そこに至るまでは苦難の連続。
華やかに見える世界の裏側は
実は"火花"が飛び散る険しい世界。


主人公のコンビ名はスパークス。
つまり、火花を指しているわけだけど、
それだけではないと思った。

徳永と相方との火花。
徳永と先輩芸人神谷との火花。
漫才師と世間との火花を
描いているんだなと感じた。


世の中には色んな職種、
感情、物の考えが存在するが、
"笑い"に対してここまで深い見解を持つのも
作者である又吉さんが芸人(ホーム)である
ということも強く関係しているだろうし、
それを正確に言語化出来るのは
やはり又吉さんだからこそ出来ることだと思った。



あと、僕は物語の序盤から
神谷は死ぬ運命にあると予想し読んでいた。
そういう伏線が張ってあるように思えたから…。
でも、結局最後まで誰一人と死ぬことはなかった。
ピース(平和)で出来ていて素敵だなぁ~。


人の死ほど悲しいことはないと思う。

しかし、人の死なくとも
悲哀の表情を感じちゃう…。

笑いにスポットを当てているからこそ
その逆が映えるのかなとも思いました。


特に物語の終盤で、
あるカップルが花火をリクエストする場面が出てくる。
スポンサー企業による巨額の資本投資で
打ち上げられた大きな花火に比べると、
カップルの花火はとても小さく敵わなかった。

そこで資本主義的な残酷さを強く感じたけど、
物語はそこで終わらなかった。
周囲の人間による粋な計らないに感動した。






火花も集まれば花火になる。
人の生き様について、
誠実に書かれているように感じました。



最後に、僕が一番深いと思ったこと。
それは神谷が漫才師とは
こういうものだと語る場面。

本当は漫才でボケをやったらかなりの才能があるのに、
それと知らずに野菜を売っている人間がいる、
そのこと自体がボケである、というように話した。

それに全部気付いた人間が1人で舞台に上がって、
僕の相方は自分が漫才師ということを忘れて
何にも気が付かんと野菜を売ってまんねん。
「なに野菜売ってるねん!」
とツッコミを入れるのが本物のツッコミだと。


実際こんな風に真面目なボケを
かましている人間なんていくらでもいるだろう。

やるべきことが他にあるにも関わらず、
そんなことはつゆ知らず、
自分の目の前に続く道をただ真っ直ぐに突き進む。


そのことに気が付いて道を変えるか、
そのまま歩みを続けるのか、
どちらの選択が幸せなのかはわからない。


しかし、自分がボケていると理解した上で、
ボケることが出来ていなければ、
売れる漫才師にも、小説家にもなれないと思う。




又吉さんの感性は本当に鋭く、
常日頃から自問自答を繰り返しているのだろう。
思わずハッとさせられる、本質を突いた言葉の数々。



「火花」は僕に大きな感動と
自分と向き合う時間を与えてくれました。





P.S.
せっかくの夏だ。
大人の読書感想文みたいな
感じで書いてみました。
学生の頃は渋々していた部分があったけど、
こんなにも楽しいものだと
気付いていなかったんだなぁ~。

そうだ静岡、いこう
火を噴くほど辛い「ゴジラカレー」を食べてきた
「シャークワールド」に行ってきた

普段はこんな感じのことを書いてます。
ジャンルに統一性がないように見えて
「僕」という型にはまっているのかも。