2011年、10月⑤ | 東京日記(未完)

東京日記(未完)

音楽、文学、酒やあれこれを無軌道、無造作に。

翌週の休日からは妹と合流して、とにかく父の部屋を片付ける、さらに片付ける。




さすがは主婦。兄である自分はすっかり妹の助手となり絶妙のコンビネーションで片付けてゆく。





アル中になってしまった父をどうにかこうにかして故郷へ帰す目的で行う…まぁこれって、ともすればどんよりとした後ろ暗い光景が浮かびますよね。



しかしながら、そんな中でもなぜか笑いが絶えない。





僕ら兄妹の暗黙のうちに生まれたユーモア。





酒乱ではあったけど、平常時においては優しさをうまく表現出来ない不器用な父に対して生まれたユーモア。




今では不思議となぜか本当に楽しんでいたりするんだけどね。






そんな風に片付けも順調に進んではいたけど、唯一にして最大の問題を置き去りには出来ない。




月末に故郷に帰る予定を立てたものの、日替わりで「(故郷に)帰る、やっぱり帰らない」を繰り返す父。




悔しかったんでしょうね。またこうして無様な姿をさらして故郷の母親のもとへ帰されるのが。



帰らない、と主張した時の父は、まだここで仕事を見つけて働く、と訴えた。でもそれは駄々をこねる子供の様だった。




そのたびに何度も言い続けた。



「このままここにいたら、お父さん、死ぬよ」





堂々巡りの説得を繰り返すに連れて、やがて言い合いになる。


これが何度も続くと、さすがに疲れるし、同じことを何度も繰り返しても何も前に進まないことに対して生まれるのは徒労感です。



そんな時には長兄や姉さん(叔母)に電話して、話をしてもらうと、その時は承諾する。それでも時間が経つとまた振り出しに戻る。







父は、自分自身にもう選択肢がないことがわからないのか?


住んでいる部屋は家賃が払えないから引き払わなければならないんだよ。









すると、こう言ってきた。


「彼女の家に居候しながら仕事を探す」



彼女も納得しているようだ。









でも、実際にそういう生活になったとしたらどうなるかは僕と妹にはわかっている。



それをその場で、父を交えて説明するのはさすがにはばかられた。


何よりも疲れてしまっていたし、日も暮れかけていた。





僕らは彼女に説明しなければならない。


どうしようかと思い悩んでいたら、帰りがけに彼女さんの方から僕と妹と3人でご飯に行かないか、と言って来てくれた。






ならばオブラートに包む必要はない。



甘えから生じる暴力、やがてそれは頻度を増すこと。

次第に弱ってゆく体。


最終手段としてアルコールから隔離すると禁断症状を起こすこと。すなわち狂う、ということ。





これらを話すことによって、父には悪いけど彼女さんに幻滅してほしかった。とてもこんな人、面倒見きれない、と諦めてほしかった。






それでも彼女さんはいい、と言った。それも緊張した面持ちではなく、飄々と。





僕は思った。
このおばさんはとんでもなく苦労してきた人なのかもしれない。それか、馬鹿なんじゃないかって、本当に、思った。






そのどちらかなのかは、今となってはわからないけど、その時点でただただ、この人はいい人なんだな、って思った。



その人が何を思って、どんな人間性なのか。直接何のフィルターもなく話せて良かった。


帰る頃には僕も妹も彼女さんのことを下の名前に¨さん¨付けで呼んでいた。








ほんの数パーセントだけど、この人に任せてみてもいいんじゃないかなって思えた。一瞬だけど。




ただし、本当の馬鹿であることの可能性に目をつぶれば…ということと同時に、そうなったら本当に絶縁することを僕は覚悟しなければならないから。




(続)