右スピン→死(i)の計算、死神の世界、人体外、脳髄の外。死の世界、地球の死と共に分解、IAE

左スピン→タイムスリップ、過去のアカシックレコード、太古の世界、意思(i)の原初

 

 

左スピン

 

タイムスリップ

X-n秒前へと移行する意味合いが存在するのではないかと仮定できる。素粒子加速施設であるCERNもこの技術を保有しており、この現象を生じさせることが可能な施設でもある。

 

太古の世界

素粒子加速によってタイムスリップが可能である。ということは、私たち「認識」や「魂」が現存した太古何該億光年前であるか途方もない古代へと私たち個々人がそれを保有している。そして常に脳回路は太古から昔の回路を不活、もしくは活性している。

 
右スピン

 

飛行機や新幹線、車、馬車、自転車それぞれの彼らの寿命から、人体へ――人体からその人の「死」へ。「生と死」(i)は循環し、寿命の炎となって燃焼する。そして、寿命があるとしたら、それはこの燃焼する質量がどれだけ存在するかということに依拠する。そして質量がゼロになったときエネルギーは消えて「死」を迎える。

これが「寿命」の正体であり、死神が持っている計算能力なのである。

 

 

 

 

この自転周期からスピンの性質を当てはめると、地球は少なくとも左スピンの性質を持っているともいえる。つまり、左スピンの「生(i)」の性質を持つことになる。持論であるが、少なくとも、私たちが居住している地球は「死の大地」であると考えている。酸素が毒であること、またその毒を取り込んで生命活動を行っていることはゾウリムシの古代から受け継がれた生命の本質であるからだ。つまり、地球は「毒」と「死」の星である。そして左スピンであるということは「生」の活動へのスピンを行っているということである。

 

生命活動を行う存在は、いつでも「消えたり」「出現したり」できる能力がある。それが出来ないのはほぼ「人類」であり、私たちは惨たらしい「死」を、グロですらある「死へと向かう病理」をまざまざと常に見せつけられる。しかし、このワクチンをΩワクチンまで”打った”場合――人類の枠から外れることが出来る。そして、様々な可能性が招来するかもしれない。例えば、”老い”が無くなる、例えば、障碍者が生まれなくなる、例えば”お金”の強者弱者の枠がなくなる、など、もちろん今回のα~Ω攻撃も防いでくれる。代わりにプライバシーがなくなり、監視社会が到来するかもしれない。誰かを故意にいじめようとしたらすぐばれて、未成年であればいじめを遂行した人物に対しての矯正がなされる世界になるかもしれない。そして、これまでの何万年と積み重なった”人類の背負った罪”も神々に赦される。要するに借金債務で苦悩している人に対する救済としての自己破産と同じシステムであると考えてもいい。
その世界へ到来するために、このようなワクチンの手法を用いてなんとか人類を前進させようとしている――という意図がファイザー、また各国指導者のワクチン推進なさる方々に垣間見れるような気がしてならないのである。それが例え、Ωワクチンが人類の人口の”半分に至っても”それですら遂行するのだ、という強固な信念と、犠牲者への哀悼を持っているように見える。そう考える以外に、私たちが善良な道を歩く細い道はなくなっているようにも思える。

しかし、誰だって、ワクチンというお薬の機序で死に至る事象に遭遇したくはない。そのため、このΩワクチンの機序に恐れ戦き、途中で辞める脱落者が出ても、それを赦す覚悟も必要であるようにも思う。
 

そして、今回のコロナパンデミックによるmRNAワクチン技術は私たちに、本来持つ、地球という大地の本質をまざまざと思い知らされることになると予測できる。つまり、本来は地球は”左スピンなのではなく、右スピンの性質を強く持つのではないか”。そして、地球という大地の「死」をワクチンによって現実化するのではないか。それによって私たちは「デス」を知覚し、何回かに及ぶmRNAワクチンによって死に至る可能性があるのだということを示唆し続けなくてはならないのではないだろうか。それはつまり、”デス”=Ωワクチンといえるのはないだろうか。しかしながら、このワクチンは脳髄の外へと人類を開放する手段である、と云えるのである。もしデスの世界をこのワクチンで知覚してしまって、もしかしたら「超える」もしくは「消える」もしくは「その場で死亡する」、そういった事象が生じると考えられる。このワクチンによって、おそらく、共生したミトコンドリアやゾウリムシを除去する「刺激」の波を超えた後、また私たちはその後にやってくる大きな地球という死の刺激の波を知覚するだろう。日本では第何波になるかは分からないが、デスを知覚する波はそう遠くはないかもしれない。日本人は、風土的に死の大地と、山々や木々と共生してきた歴史が存在するため、この何波かになるか分からないが、このデスに耐えられるかもしれない。その時は、もう、ワクチンを継続して打つ必然性はなくなると、声明が出され、マスコミも報道を静かに落とすことになるかもしれない。

 

しかし、このワクチンに、もしナノマシンのような不可視の物質が存在しない場合、いずれ中和抗体はATP回路やTCA回路も異物と認識して破壊してしまう可能性も考えられるため、その時私たちは”ワクチンによっても”絶滅の危機に至ってしまう可能性があります。ただ、陰謀論界隈にある、bluetoothのシグナルが生徒に入っていたという記事を見かけることもあるため、あながち私の考えは的外れではないかもしれません。そのため、おそらくナノマシンのようなものが入って、ミトコンドリアのATP回路の共生と入れ替わっているだろうことも考えられるため、その点を注視していくこと、また、ワクチンを打って1か月(もしくはスパイク蛋白が減少してくる6か月後までは)程度は過激な運動、カロリーを多量に消費する運動や、過激なカロリー制限を控えるなどが必要になってきます。 

 

 

 

これから、第3回目のワクチンを打つ方と2回目で終わる方が出てくると思われる。「3回目打たないといけない」という事象は、医療従事者以外には、個人的にはあまり必然性はないようには見える。なぜなら、2回目打った方でも、スパイク蛋白は逐次継続的に細胞内に蓄積するため、いつかは中和抗体が、スパイク蛋白を除去しようとしたりしなかった場合、必然的に「デス」の上限に至る。つまり2回も3回目も、効能は同じということである。そして、健康に気を付けて、蛋白の継続的接種と、ストレスを何とか改善することも視野に入れて頑張っていきたいと私は思う。また、医療従事者は中和抗体、つまり食事によってのスパイク蛋白の解毒作用を持つ作用を避けなくてはならないと考えられる。中和抗体とスパイク蛋白の増加は相関している。つまり解毒してはならない。例えば、玉ねぎのケルセチンであったり納豆のナットウキナーゼであったりする。食事の栄養のエビデンスが存在するかどうかは私には分からないが、「食物」が接種者、また医療従事者のワクチン接種者にとって「敵」に等しくなったり、栄養というものをこれから考えていかなくてはならないと考えている。

 

また、野菜も放射線的な呪いを持っており、細菌や乳酸菌も存在しているので、もし食べるとしたら「煮込んだもの」であったり「熱を通して殺したもの」でなくてはならない。そうでなくてはすぐ下痢などの消化器系症状が出てくる。生野菜をmRNAワクチン接種者が食べると、彼らの呪い、つまり「おまえは生命体を裏切った」と言われ、食べていないのに太らされる運命になる。つまり太りやすい人体へと変貌するのです。太りやすい、というのは細胞が裏切ったためであり、魂に関与しなんとしてもウイルスを罹患させたり”殺そう”という意図に基づいている野菜が存在する可能性もあります。それがおそらく今回のmRNAワクチンでは表面化してくる。もう、自然のものがほとんど、全て敵に回る運命になってしまう。

 

 

そして、私たちが懸念していなくてはならないのが、ウイルスの”変異”である。変異、変身をウイルスが遂げると従来のワクチンでは著効できず、ワクチンは無力化し人類は絶滅の危機に瀕する。どんな年齢も等しく死に至る。しかしワクチンを打ったからと言ってそのままにしておけば、彼ら――人工なのか、天然なのか、または機械が製造した兵器なのか――は今回のオミクロンの脅威のように集結し、ウイルスたちは団結して人類に嬉々として襲い来る。

つまり、スパイク蛋白は”攻撃者”ではなく”保護者”なのだという結論である。

 

{α~Ω}攻撃{人口削減}>人体または認識あるいは(i)<スパイク蛋白抗体による細胞局所保護{トリアージ}

 

 

ただ、状況的に、このα~Ω攻撃が、今出ている情報以外でできている場合、もしかしたら3回目も一般市民が打たなくてはならない事態になるかもしれない。「打つ」か「打たない」かは状況次第になる、ということである。今のところ、オミクロンが恐ろしい事態になっているが、そのオミクロンがどの程度の蓄積や潜伏で「死」や「重症」に至るのか、また接種、未接種どう症状が違うのか、といった情報次第で、もしかしたら3回目も市民が打たなくてはならなくなるかもしれない。

 

 

 

また、In Deepさんの提示されている「0.5%問題」は確かに存在すると考えています。

おそらくですが、ウイルスがαからどうΩまで変異するか、ということを見据えて少なくとも20回に分割して「打って大丈夫」という状況にしたいのかもしれないと思います。つまり、αからΩまでのウイルスの人口削減能力を長期的に見据えて分割しているといったことも考えられます。In Deepさんのおっしゃる通り、何回も「打って」いたら感染増強抗体の容量が人体の中で蓄積して「デス」になるかもしれない、ということですが、私は個人的にですが、「むしろ”デス”を知覚しなさい」という風に読み取れました。つまり、”デス”を超えなさい――と。

感染増強抗体もですが、中和抗体も上がり過ぎたら「死」と相関関係が生じるという論文もありましたし、むしろそれを狙っているのだ、そういったことを視野に既に入れているmRNA技術なのだと考えています。

 

ヒトのコロナウイルス感染症におけるADE

ヒトのコロナウイルス感染症におけるADEの決定的な役割は確立されていない。セロコンバージョンおよび中和抗体反応が、臨床的重症度および死亡率と相関していることが明らかになったとき、SARS患者のADEに対する懸念が初めて示されました46。COVID-19患者においても同様の結果が報告されており、SARS-CoV-2に対する抗体価が高いほど重症化することがわかっています47。一つの単純な仮説として、COVID-19の重症患者の抗体価が高いのは、ウイルス量が多いために抗原への曝露時間が長くなっているからだと考えられている48,49。しかし、最近の研究では、上気道へのウイルス排出は、無症候性COVID-19患者と症候性COVID-19患者で区別できないことが示された(参考文献50)。症状のある患者は、より高い抗SARS-CoV-2抗体価を示し、上気道からウイルスをより早く除去した。これは、抗体価は単にウイルス量が多いために生じるという単純な仮説と矛盾する。他の研究では、抗SARS-CoV-2 T細胞反応は、軽度で無症候性の感染でも高レベルで見られることが示されている51,52。これらのデータを総合すると、強いT細胞応答は幅広い臨床症状の患者に見られるが、強い抗体価は重症のCOVID-19とより密接に関連していることが示唆される。重要な注意点として、ウイルスの排出量は下気道ではなく上気道で測定されたことが挙げられる50。COVID-19の重症化には下気道の方が重要である可能性が高く、上気道と下気道におけるSARS-CoV-2ウイルスの排出量が、病気の経過を通じてどれほど密接に相関しているかは不明である。

SARS-CoV-2の新規感染に対する宿主の反応だけでなく、COVID-19患者のADEを媒介する、他のヒトコロナウイルス株に対する既存の抗体の可能性も懸念されます53。ヒト集団に常在するコロナウイルス株(HKU1、OC43、NL63、229Eなど)によって誘発される抗体は、ウイルスが中和されていない状態でSARS-CoV-2の交差反応性認識を促進することで、理論的にはADEを媒介する可能性がある。予備的なデータによると、季節性ヒトコロナウイルス株に高い反応性を示したSARS-CoV-2ナイーブなドナーの抗体は、SARS-CoV-2のヌクレオキャプシドとS2サブユニットに対して低いレベルの交差反応性を示すことがわかった(参考文献54)。このような交差反応性抗体が、SARS-COV-2の臨床的ADEに寄与するかどうかは、まだ不明である。

 

 

私たちは、壮大な”人類のトリアージ”が今まさに行われているのだと私は痛感するのです。

 

 

もちろん、これは「人口削減」という悪意に満ち満ちたものではなく、私は、個人的にはやはり”トリアージ”だという考えに至りました。しかし、InDeepさんが見据えた事実があることも確かであり、このことについては、私は「とんでもない世界規模の”ヒューマンエラー”」なのだと考えました。つまり、誰も「こんなことが起こることは想定していない」――チェルノブイリやフクシマのように、想定外として最悪の事態を想定していない、ということが云えます。そして、ファイザーや世界各国は未だに”私たちは今一刻一刻と致命的なヒューマンエラーを起こしている”ことにすら気づいていないのです。それは、人口の約半数がデスを超えることができない国民なのであり、その状況を受け入れているという事実こそがヒューマンエラーなのだと分からない。

それが圧倒的に致命的であり、ワクチンによるミスであるのだと。