お久しぶりです。
最も近々のアジア旅であったカラカルパクスタン&キルギス編が完結しましたので、以前から中断していた旅行記を再開したいと思います。まずは2009年から止まってたネパール編から再開です。

 

 飛行機の窓から見える雲海の彼方、所々に見える白い波上の突起は雲か、山か、幻か。つい昨日の夕方まで息を切らせながら登って、降りたヒマラヤの山々が今となっては夢のようであった。

 

 

 機体は間も無くカトマンズ国内線空港に到着。国際線ほどタクシーは客待ちしていなかったが、一台見つけてパタンのkaibau宅 付近のホテルまで行ってもらい、そこから徒歩で路地に入り、ヘラカジ先生の民宿へと無事戻った。その晩は三日ぶりにキラン母さんの手料理を食す。ご飯に豆 スープ、炒めたジャガイモと青菜の漬物が一つのプレートに乗せられたダルバートと呼ばれるネパールの一般的食事だ。日本では多くて毎週ベースでネパール料 理店に通っている僕にとってはバターチキンカレーとナン、そしてチョウミン(焼きそば)やモモがネパール料理だと思っていたが、意外と現地の人々が普段食 べているのはこれ、ダルバートなのだ。ま、日本人も毎日寿司やすき焼きを食べているわけではないしな。

  食後、ヘラカジ先生は自らが経営する日本語学校へ行く道を案内してくれた。明日の午後、学校の生徒さんがパタン郊外の農村に案内してくれることになったの だが、当日先生本人は用事で不在なので、僕が一人で学校まで行くことになるからだ。首都の衛星都市かつ昔の都である街にしては街灯が少なく、やや暗い印象 があるパタンの夜。先生が一緒でなければちょっと出歩きたくない感じもした。ダサイン祭り前の大バーゲンが行われている一郭があり、沢山の女性達が売り場 の衣服を取り合っている光景を見かけた。どこの国も同じなんだな、とちょっと笑みがこぼれた。

 

 翌日、僕は少しゆっくり目に起き、kaibau宅に行った。家族はちょうど朝食中だったので、僕もちょびっとご馳走になった後、kaibauさ んと町に繰り出した。このパタンの町を歩くと歩道が狭い所は日本にそっくりで親しみを感じるが、道は舗装されているのにあちこち穴が空いていたり、コンク リが一部沈下して段差がいくつもできていたりして歩きにくく、何度となくつまずいた。日本では期末になるとあちこちで道路工事が行われ、税の無駄遣いだと 槍玉に上げられるのが常だが、そう言われるぐらいしつこく補修していないと道路ってこうも劣化してしまうんだな、と外国に来て改めて実感するのだった。途 中焼きトウモロコシの屋台を発見。おばあさんが道端で胡坐をかいてコンロと焼き網で焼いていたので一本買ってみるものの、これまた固くて食べられるもので はなかった。kaibauさんがダサイン祭りの準備で必要な食材を妻から頼まれたということで、近くのスーパーに立ち寄った後、木彫り彫刻の扉が美しい家々が点在する路地を案内してくれた。

 彼がおもむろにそのうちの一軒の家の前で大きな声を上げて中の人を呼ぶと、一人の青年がヌっと顔を出した。彼の旧友だそうで、なぜか僕のパタン市内観光に付き添うことになった。ま、考えてもみれば、kaibauさ んだって一時帰国の予定が限られている中で、できるだけ沢山の友人には会っておきたい。僕を町案内する道中に友人の家があるのなら、ついでに呼び出して、 ブラブラ歩く時間を使って交友を深めよう、という合理的な考えなのだろう。しかしもう一つ僕が興味深かったのは、いきなり家の前で声をかけただけで友人が 普通に出てきて、そのまま用事に付き合ってくれること。もし日本だったら一週間ぐらい前にアポを取らないとなかなか会えないよな。

 僕達は体を横にしながら家屋と家屋の間の狭い、狭い路地を通り抜ける。ショートカットなのかな、と思いきや、いきなり視界が広がったかと思うと目の前の中庭に4,5メー トルぐらいの石造りの仏塔がそびえ立っていた。塔の表面にはきめ細かな文様そして天上界を飛び回る仏の姿が彫刻されていた。よく見ると仏塔だけでなく、そ の四方を囲む木製の柱や壁、扉にも芸術的な文様が施され、仏が正にあちこちに現れては消えているかのような立体感を感じさせられた。

 

仏教的宇宙の文様が描かれた分厚い木製の扉を撮影した瞬間、いきなり扉が開き、宇宙の大魔王が顔を覗かせた。ギョっとしてカメラを落としそうになったが、よく見たらただの地元のオッサンだったのでホっとした。ま、これはこれでいい絵が撮れた。

 

 

  僕達はお散歩感覚でブラブラ歩いているうちにパタン観光のメインである旧王宮前のダルバール広場にやって来た。石で造られた丸屋根の神殿と、木で作られた 三角屋根の三重塔が立ち並ぶ。インド風と中国風が入り乱れた感じは両国に挟まれたネパールならではの光景だ。この盆地一帯にはその昔原住民であるネワール 族によるカトマンズ、パタン、バクタプールの三王国が存在していたが、バウン族或いはチェトリ族と呼ばれるインド系のヒンズー教徒に征服され、カトマンズ は今や彼等の国の首都となっている。国民の僅か5%の少数民族が首都人口の多数を占めている理由は そこにある。そんな異民族の土地なのに国の首都として正常な運営がなされているのは、それだけネワール族の都市が他と比較にならないほど機能的だったこと と、多数派民族がネワール族の文化を否定せず、むしろ取り入れたことで文化の融合が図られたということなのだろう。

 

 外国人観光客で賑わう広場を少し歩いてみた。天を舞うカラフルな仏が建物の梁の部分にまで彫られている所は独特で面白かったが、あまり予備知識が無かったし、詳しいガイドがいたわけではないので、いつものように「ああ、すごいねぇ」で終わってしまった。また、一緒にいたkaibauさ んもこれら建物よりも興味のあるものが他にあったのである。彼が駆け寄った露店には何やら缶のようなものが売られていた。ジュース缶より一回り大きい筒に ビールのラベルのようにきらびやかなシールが張られ、一本の棒がその筒を上から下へ突き刺したような形をしている。どうやらこれはダサイン祭りの期間中、 男性が一番楽しみにしている遊びで使うらしい。

 

 あれだよ。kaibauさ んがふと空を指差すと、いくつかの凧が浮かんでいた。露店で売られていた缶状のものは凧の糸巻であった。なるほど、日本の正月みたいに凧揚げをして遊ぶの か。但しそこで言う凧揚げは、空に舞う凧同士を絡ませて糸を切り合う凧合戦のことらしく、その点は日本の正月と少し違う。ダサインと凧揚げの関係はイマイ チよくわからないが、きっとこの時期だけは大手を振って賭け事にアツクなれるので男性達が楽しみなのだろう。結局kaibauさ ん、気に入った糸巻が見つからなかったので、近くにある喫茶店で休憩することにした。この店は三階建てのビルになっている。しかも屋上にも客席があり、そ こはダルバール広場を一望できる絶景ポイントなのだとか。そんなわけで僕達三人はモモを頬張り、チャイをすすりながらネワール伝統家屋のパノラマを楽しん でいた。

 

 ちょっとカゼ気味だし、ダサイン最終日までネパールに居られないし、きっと凧揚げは今回無理だなぁ~。kaibauさんがチャイのカップ片手にぼやいたその時だった。

 空から何か白い物が僕達のテーブルにバサッと落ちてきた。何だ、何だ?! 俺のチャイは無事か?! 三 人はしばし慌てふためいてしまったが、落ちてきたものをよく見ると、それは凧であった。先程売られていた糸巻は派手だったのに、凧そのものは多くが白いひ し形で模様も図柄も無く、シンプルである。きっとどこぞの凧合戦で敗れ、持ち主の手を離れて彷徨っていたのだろう。よく見るとこの凧、糸が大分長い状態で 残っている。まだ十分に使えるんじゃないか? Kaubauさんの目の色が変わったのを見逃さなかった。ぼやくのをやめて、さっさと遊べ、と言わんばかりに神は僕達に凧を授けたのだった。

 さぁ、そうと決まったら上げようじゃないか! kaibauさん、そしてその友人は興奮していた。ここは屋上であるが、テレビアンテナの置かれたもう少し高い場所があったので、我々三人は早速そこに上がり、一度は墜落した凧の再出陣の勝鬨を上げた。kaibauさんの腕が早くも発揮されているのか、凧はすんなりと気流に乗り、どんどん高く上がる。

 「よし、これならあそこの凧と勝負できるぞ!」

ダルバール広場辺りから上がっている別の凧と早くも空中戦が始まった。糸巻が無いのでkaibauさんの指示に従って友人と僕は糸を引いたり緩めたりする。エイヤ、エイヤ、と引っ張っているうちに敵の凧がS字を描きながら空中をふらつき、やがてゆっくりと墜落していった。やったぞっ!20分前には想像もしていなかった凧合戦の初勝利に三人はガッツポーズ。屋上で食事していた他のグループも拍手を送ってくれた。

しかし喜びも束の間、別の凧がいきなり現れ、勝負を挑んできた。よし、もういっちょやるか。kaibauさ んは再び糸を操作し始めた。それ引け、やれ引け、今度の勝負は結構時間を要した。実は凧合戦用の凧糸には粉末状のガラス片が埋め込まれ、相手の糸を切り易 いようにしてある。そんな糸を指で直接握っている我々。極細の糸ノコギリを手の平に当てられ、そのまま締め付けられているような痛みがジリジリと伝わって くる。勝ちたい気持ちと早く終わってほしい気持ち半々の中、指を真っ赤にしながらひたすらに糸を引き続けること5分程。一瞬スルっと糸が緩んだかと思うと、勝負は既についてしまった。我々の凧は時計の振子のようにゆっくりと弧を描きながら広場方面へと落下していった。

あ~ あ、もう一息だったのになぁ~。ちょっと残念だったが気持ちは晴れやかであった。元々天から降ってきた凧で二回もゲームを楽しめるなんて。ダサイン祭りは 期間が長く、今は各家庭で事前準備をする段階なので、街中ではあまり祭りの雰囲気は感じられない。そして山車が登場する本格的な祭りが行われる頃には僕は 既に帰国しているので、期間中でありながら祭り自体を目撃できないのが今回の旅の残念なところ。しかし、事前準備の一つである凧合戦に参加できただけでも ちょびっとダサインの雰囲気を味わえたのかな? と、ちょっとお得なパタン市内観光であった。


大分時間が経過しているので過去のおさらいはこちら:

プロローグ:「しゅっぱつ2009第二弾
①:「最初で最大のハラハラ体験
②:「無防備ヒマラヤ・トレッキング
③:「シェルパと共に山を行く
④:「ヒマラヤ ゴールはどこ?!