山肌に 囲まれた決して広い道ではないが、中央分離帯を気にすること無く反対車線の車が真正面から向かって来て、チキンレースよろしくギリギリの所ですれ違う。陽 が一番高く昇っているであろうこの時間帯、所々でオレンジのベストと白い帽子姿の作業員が道路や線路を工事している。そう言えば僕が唯一見たキルギス映画 「旅立ちの汽笛」の主人公も、彼等と同じ格好をして不毛の乾いた土地に敷かれた線路を修復するバイトに汗を流すシーンがあったな。それにしても彼等のかぶ る帽子。形は野球帽風であるが、真っ白なデザイン。作業員のみならず道行く人でこれをかぶっている人が意外と多い。民族帽であるカルパック帽も白いから か、カジュアルな帽子でもやはり白いものを好むのだろうか。


荒野の山肌に白い石を並べて文字が書かれているのがよく目に付く。器用に会社名やURLが綴られた広告も多い。同じ形態でソ連時代の革命スローガンも残っている所、ある程度歴史のあるスタイルのようだが、最もエコな宣伝方法なのかも知れないな。

 気が付くと周囲の風景は緑いっぱいの平地へと変わった。一直線の並木道が気持ちいい。左右の木々の間からは錆びついたレーニン像や、真新しいモスクがチラホラ見える。モスクは集落ごとにあるようで、なぜかどれもミラーボールのように銀色のドーム屋根であった。

 やがて左手に見えてきたのは海、と思ったが、この国に海は無い。しかし海としか思えない青々とした水面がどこまで走っても続いている。遂に来たのか、イシククル湖。こんなにも大きいとは!

  かくしてやっとのことで湖畔の町チョルポン・アタに到着。宿に入る前にちょびっと市内観光へ。観光と言っても、この町の見所は湖以外では岩絵野外博物館だ け。それほど興味も無かったが、ま、湖では完全にリゾートに入ってしまうので、隔離される前に少しだけ町の空気を吸ってみようと思い、イワンに連れて行っ てもらった。

 

  そこはただ無数の岩が辺り一面散乱している所、としか言いようがない場所だった。野外博物館とはよく言ったものだ。掘立小屋で番をしているおやじに入場料 を払うと、後はどうぞ好きなだけ歩き回って下さいといった感じ。数千年も前の古代人が絵を描き残したと言われる岩を放置、いや、展示しているということな のだが、一面埋め尽くす岩のほとんどは何も描かれていない。この中のどこかに岩絵の描かれたものがあるだけで、自らの足であちこち歩き回って探さなくては ならない。後で絵のある岩の場所を記す看板があることを知ったが、一番見るに値する巨大かつ沢山の絵が描かれた岩は、実は料金を払った掘立小屋から一番す ぐ近くにあり、残りは全てこれより小さい物ばかりで巨大岩以上の作品は無い。


しかもほとんど放置状態であるせいか、絵のある個所だけが黒く焦げていたり、ひどいものは絵の上に落書きが彫られている等、劣悪な保存状態のものも多々あった。


絵自体はヤギや鹿、牛、そしてそれを追う人々がモチーフとなっており、その角や尾が唐草模様みたく丸みを帯びた蔓状に描かれていて、模様として見てもユニークだ。ナスカの地上絵のミニチュア版のような趣もある。


こ れら岩々の絵はきっと組み合わせると古代人の生活とか、何らかストーリーが見えるのかも知れないし、時代ごとに絵のタッチや、登場する動物の種類、人物の 行動が違ってくるのかも知れない。それを分析する仕事をこの博物館がやっているのかは知らないが、時代ごとや、ストーリーごとにグループ化して屋内展示し た方がずっとわかりやすいよなぁ~、なんて思うペーパー博物館学芸員であった。って言うか、まずこの場所の8割近くを占める何も描いてない「ただの岩」を 何とかしろって!

 野外博物館を出ると、そこから見たイシククル湖の風景が圧巻だった。


黒いツヤツヤした馬達が草を食み、カモメが行き交い、バックに広がる紺碧の湖。


岩絵以上に見とれていると、今度はおびただしい数の羊の群れが現れた。


子供のように羊に手を触れようとしたり、写真を撮ったりしている僕の鼻先をロバに乗った初老の男が横切り、僕に軽く手を挙げて挨拶すると、遥か右手にそびえる廃墟のビルの方向に向かって行き、群れもその後を追って瞬く間に消えてしまった。


今や季節限定の職業となってしまったらしい幻のキルギス遊牧民。昔中央アジア映画祭で見た映像叙事詩的な場面の如く、白昼夢的な登場であった。



  町に戻って小さな郵便局を見つける。キルギスの絵葉書は売ってないかな? イワンを通して聞いてみると、出てきたのはパノラマ写真のようにやけに横長の風景写真であった。ひょっとすると封筒よりも長い。これまでの自分のコレク ションの中では規格外の大きさであるが、もう他ではどこにも無さそうなので我慢するか。

  イワンが郵便局から少し歩いた所にある小さな土産屋を見つけた。ちょっと覗いてみるか、と聞かれたので、僕はできれば規格に見合った絵葉書に期待して行っ てみることにした。そこで売られていたものは木製の民族衣装人形や、民族文様のハンカチ等、イマイチ食指が伸びない品々であったが、片隅の棚にふと段ボー ル箱に何かが詰まっているのに気付いた。映画のDVDかな、一瞬そう思って覗くと、何とキルギス・ポップスのCDではないか! 先程ここまで来る道中でも購入しているが、もう少し補充させてもらったのは言うまでもない。

 さて、そろそろイシククル湖に行くとするか。踏切の遮断機のようなゲートをくぐると咲き乱れる花々の歓迎を受ける。今日宿泊する「ラドゥガ・リゾート」だ。リゾートなんて、これまで自分の旅とは無縁な響きであるが、この後の半日、ポケーっとすることにしよう。