こんばんは、最近自分のブログを読み返しているszです








読み返してみたら、一つ気づいたことがありました。




4月頃の記事に比べて、5月以降の記事には知性が感じられないということです。




ただの事実の羅列というか、、


そんな感じがするんです。




ブログなんだからゆるーく書いたって全然いいとは思ってるんですが、



一応東大受験生ブログなんで、たまには頭を使って書いたような内容も欲しいなあと思いました。



昨日の記事なんか、友達とSNSで話しながら書いてましたからねww



クオリティの低下が激しいですね





そんな記事のクオリティの変化から、筆者の学力の変動が推し量れるブログ、「東大理2に何とかして受かりたい」を今後ともよろしくお願いいたします。









今日のお話は「過去の自分を引きずる」ことについてです。





はじめに「引きずる」という単語の辞書的な意味を調べると、


長いものをだらだらと引っ張る。

だとか、

過去の出来事を断ち切れずにいる。



という風に書いてあります。



どちらかというとネガティブなイメージがつきまとう語です。



実際、長いロープの一端に重りをつけ、他端を持って歩いたら、普通に歩く時よりも明らかに負担が増えます。


力学的に考えても、動摩擦力というものが存在して、それが進行方向と直交しない方向に働いているわけで、歩く人に余計な仕事をさせることは明らかです。



過去の自分だって18年という質量を持っている以上、それを常に引き連れて、あるいは引きずって歩いていれば、現在の自分に影響 —殊に悪い影響— を与えるのは自明の事実です。



だから過去の自分を断ち切ってしまおう。

何か失敗し挫折を味わう、まさに浪人したりすると、こういう気持ちが高まります。



しかしこう考えるとき、私たちはある一点を自分で隠蔽しているのです。


あるいはそれに気づいてすらいないか



それは振り返るとそこにあるもの —引きずったときについた痕跡—



これを無視して今の自分を語るなど到底不可能でしょう。

なぜなら、それが今の自分を自分たらしめているものであり、さらに言えば、それこそが自分そのものだからです。








私にもやり直せるならやり直したいと思うような時期があります。


それは中学生の頃です。



自分でいうのもなんですが、今から振り返れば、私は小学校の頃は頭のいい子供でした。


ここであんまり小学校時代の話をすると、それがただの自慢話になるだけでなく、過去の栄光にしがみつく残念な人の話になってしまうので多くは話しませんが、


少しだけ書くと、数3の微積ができるくらいでした。


周りからは「天才」と呼ばれ、表面では常に特別、別格みたいなイメージがつくと同時に、文字通り「別」という扱いを受け、


あまり良い小学校生活を送れませんでした。


逆にその反動で、数学だけが面と向かって話せる友達になっていったというか、、




その後中学生になって、いわゆる学校のテストの成績がより重要視されるようになったのですが、


私は単なる学問への好奇心に基づいて学んでいたため、学校の勉強に対してはさほど興味もなく、


特に一字一句違わず板書をノートに写したり、教科書の章句を暗記したりすることは大嫌いだったため、


学校の成績は良くありませんでした。


そんな中、中2になったくらいの頃、大学数学に初めて触れ、さらに哲学にも興味をもちました。


哲学はもちろん、大学数学もやった人はわかると思うのですが、

どちらも初めて触れたときに「今までやってきたものは何だったんだろう?」という疑問を抱きやすいものなのです。


このとき、私という小宇宙の中で、ある種のパラダイムシフトのようなものが起こりました。


そして中1にピークを迎えていた、学校に対する反動的性格を帯びた自堕落な生活が、終わることなく長引き、


周りから「普通になっちゃったね」と言われました。




ここまで長々と中学生時代の話をしてきましたが、これが私の後悔する時代です。


この時しっかり勉強していれば、東大にも現役で受かってたと思います。

少なくとも「合格」はしていたでしょう。


しかし、入試によって評価される学力という限定的な観点から見れば、この時期は明らかに「無駄」だったと思うし、


周りの評価通り、私が普通に「転落」した残念な時期だったと思います。



しかし得たものは大きい。



何のために勉強するか、という根源的な問いに一歩近づけたから。


この時期に何か温かみ、人間性を帯びた気がします。


そういう意味では確かに普通になったんでしょうね。





この浪人の時期も同じなのかもしれません。



一般的に考えれば足踏みの時期、余計な一年だと思われますが、


浪人してよかったと思えるように、未来の自分が引きずりたくなるような過去を現在進行形で創っていきたいと思います。


ただ勉強するだけではなく、ラフ画の人生に色をつけていくような...


明確なものは持ち合わせていないけれど、多角的な視点でものを見るための総合知、教養の基礎を手に入れる、そんな時期にしていきたいと思います。







少し前に、小中高の教科書や参考書で不要なものを一掃しました。


夜眠いのを我慢して取り組んだ中学校のワークや、必死に板書を写したノート


こんなものをずっと捨てられずに持っていました。こんなものをいつまでとっておくんだろうという不安とともに。


こんな物質的な痕跡でしか、中学生の自分を説明できなかったから。


これがなくなってしまえば、中学生の3年間は私という文脈においてタブララサ—空白—でしかなくなるという恐怖におびえていたから。




でもそんなものはいらない。



今まで築いてきた痕跡≫via≪こそが自分自身であり、引きずるべき過去だから。



だから、うまく引きずるべき過去をうまく引きずり、いらない部分は断絶するというよりはうまく淘汰していく、


そういう話でした。




もちろんこれは受験勉強においても成り立つ話だと考えていて、


過去の勉強(浪人生なら現役時の勉強)を否定・拒絶することなく、しっかり反省する。


詳しく言えば、現在の自分という、長い物語の中の一端のもつ価値観にしたがって、過去の自分の行為を一旦取り込んで、咀嚼し、再評価していく、


こういう作業を慎重におこなっていかなければならないんだと思います。




積荷を変えて、また引きずっていく永遠の旅人...










うーん、うまくまとまったかな?


少し書きすぎましたねww

気合い入っちゃった笑


今日はこの辺で!


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